万葉集 巻第十九 4236〜4237番
天地の 神は無かれや
妻を亡くした悲しみを詠んだ作者未詳の長歌と反歌で、遊行女婦の蒲生娘子が伝え誦んだもの。天地の神はいないのか、いとしい私の妻が離れて行った、手を取り合って共にいようと思っていたのに思いがけなく、言いようもなくどうしようもなく、木綿襷を肩に掛け倭文の幣を手に持って、離れさせないでと祈ったけれど、共に寝た妻の袂は雲となってたなびいていると詠む長歌と、現実のことと思いたい、夢の中でだけ袂を巻いて寝ているのを見るのはどうしようもないという反歌。
場面イラスト(準備中)
題詞死せし妻を悲しみ傷む歌一首并に短歌(作主未だ詳ならず)
- 1天地天地あめつちののの神神かみははは無無なかれかれかれややや天地之 神者無可禮也長歌
- 2愛愛うつくしきしきしき吾吾あががが妻妻つま離離さかるるる愛 吾妻離流
- 3光光ひかるるる神神かみ鳴波多鳴波多なりはた媙嬬媙嬬おとめ光神 鳴波多媙嬬
- 4手手て携携たずさひひい共共ともにににあらあらあらむむんととと携手 共將有等
- 5念念おもひひいしにしにしに情情こころ違違たがひひいぬぬぬ念之爾 情違奴
- 6言言いははわむむんすべすべすべ爲爲せむむむすべすべすべ知知しらららににに將言爲便 將作爲便不知爾
- 7木綿木綿ゆう襷襷だすき肩肩かたににに取取とりりり掛掛かけけけ木綿手次 肩爾取掛
- 8倭文倭文しず幣幣ぬさををを手手てににに取取とりりり持持もちちちててて倭文幣乎 手爾取持而
- 9ななな離離さけけけそそそととと我我われははは禱禱いのれれれどどど勿令離等 和禮波雖禱
- 10纏纏まきききててて寢寢ねししし妹妹いもががが袂袂たもとははは雲雲くもにににたなびくたなびくたなびく卷而寢之 妹之手本者 雲爾多奈妣久
- 11現現うつつにににととと寤爾等反歌
- 12おもひおもひおもいてててしかしかしかももも念氐之可毛
- 13夢夢いめのみのみのみににに夢耳爾
- 14袂袂たもと卷卷まききき寢寢ぬととと手本卷寢等
- 15見見みるるるはははすべすべすべ無無なししし見者須便奈之
現代語訳
〔4236〕天地の神はいないのか。いとしい私の妻が離れて行ってしまった。(光る神)鳴波多乙女と手を取り合って共にいようと思っていたのに、思いは違ってしまった。言いようもなく、どうしようもなくて、木綿襷を肩に掛け、倭文の幣を手に取り持って、離れさせないでくださいと私は祈ったけれど、共に寝た妻の袂は、雲となってたなびいている。
〔4237〕現実のことであってほしい。夢の中でだけ袂を巻いて寝ると見るのは、どうしようもない。
意訳
妻を亡くした男が、神に祈ったかいもなく妻が火葬の煙となって雲にたなびくのを見て、天地の神を恨み、夢にしか逢えない悲しみを嘆いた歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- 神は無かれや
- 神はいないのか。
- 光る神
- 「鳴」にかかる枕詞。雷のこと。
- 鳴波多媙嬬
- 「なりはたをとめ」。妻の名か、地名による呼び名か。未詳。
- 情違ひぬ
- 思いが違ってしまった。
- 木綿襷
- 「ゆふだすき」。神事に用いる木綿の襷。
- 倭文幣
- 「しづぬさ」。倭文で作った幣。
- 雲にたなびく
- 火葬の煙が雲となってたなびく。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十九・部立なし・4236〜4237番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 作者未詳の挽歌を、遊行女婦蒲生娘子が越中の宴で伝え誦んだもの。
修辞
- 対句
- 「木綿襷肩に取り掛け」と「倭文幣を手に取り持ちて」。
解説
宴席で古い挽歌が誦されたことがわかる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、695頁(コマ140)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、821頁(コマ174)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日