古典ライブラリー

万葉集 巻第十九 4224番

朝霧の たなびく田居に

光明皇后(こうみょうこうごう)

聖武天皇が吉野宮に行幸したときの光明皇后(藤原皇后)の御歌で、河辺東人が伝え誦んだもの。朝霧のたなびく田に鳴く雁を引き留めることができるだろうか、わが家の萩はという歌。

朝霧のたなびく田と、そこに降りる雁

題詞(藤原皇后の御作一首)

  1. 1朝あさ朝あさあさ霧ぎり霧ぎりぎりののの朝霧之
  2. 2たなびくたなびくたなびく田た田たた居ゐ居ゐいににに多奈引田爲爾
  3. 3鳴な鳴ななくくく雁かり雁かりかりををを鳴鴈乎
  4. 4留とど留とどとどめめめ得え得ええむむむかもかもかも留得哉
  5. 5吾わ吾わわががが屋戸やど屋戸やどやどののの萩はぎ萩はぎはぎ吾屋戸能波義

引用の仕方

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現代語訳

朝霧のたなびく田に鳴く雁を、引き留めることができるだろうか。わが家の萩は。

意訳

朝霧の田に鳴く雁を、庭に咲く萩の美しさで引き留められるだろうかと詠んだ、秋の風情豊かな歌である。

語釈・文法注

文法・本文

田居
「たゐ」。田。
留め得むかも
引き留めることができるだろうか。

和歌

作者
光明皇后(701–760)
藤原不比等の娘。聖武天皇の皇后で、施薬院・悲田院を設けた。
出典
『万葉集』巻第十九・部立なし・4224番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
状況
聖武天皇の吉野行幸の時の光明皇后の御歌。

修辞

倒置
結句に主語の「吾が屋戸の萩」を置く。

解説

光明皇后は藤原不比等の娘で、聖武天皇の皇后。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、693頁(コマ139)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、818頁(コマ173)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日