古典ライブラリー

万葉集 巻第十七 3891〜3899番

荒津の海 潮干潮滿ち

作者未詳

大伴旅人の従者たちが海路を上京する途中に詠んだ歌九首。荒津の海の潮の満ち干はいつも同じでも、いつ私が恋しく思わない時があろうという歌、磯ごとに海人の釣船が泊まっているが私の船はどこに泊まるかという歌、昨日船出した比治奇の灘を今日見ることだという歌、淡路島の門を渡る船の楫の間にも家を忘れないという歌、武庫の渡りで日が暮れれば家を思うという歌、家にいても波の上にいても不安な命だという歌、大海の果ても知らずに行く私の帰りはいつかと問うた子らという歌、大船の上にいると天雲の手がかりも知らないという歌、海人の娘の漁火が都努の松原を思わせるという歌。

夜の海に、海人の娘たちの漁火がぼんやりとともっている

題詞天平二年庚午冬十一月、太宰帥大伴卿、大納言に任られ(帥を兼ぬること舊の如し)京に上りし時、傔從等、別に海路を取りて京に入る。ここに羇旅を悲しみ傷みて、各所心を陳べて作れる歌十首

  1. 1荒津あらつ荒津あらつあらつののの海うみ海うみうみ荒津乃海3891
  2. 2潮しほ潮しほしお干ひ干ひひ潮しほ潮しほしお滿み滿みみちちち之保悲思保美知
  3. 3時とき時ときときはははあれあれあれどどど時波安禮登
  4. 4いづれいづれいずれののの時とき時ときときかかか伊頭禮乃時加
  5. 5吾わ吾わわががが戀こ戀ここひひいざらざらざらむむん吾孤悲射良牟
  6. 6磯いそ磯いそいそごとごとごとににに伊蘇其登爾3892
  7. 7海夫あま海夫あまあまののの釣つり釣つりつり船ぶね船ぶねぶね海夫乃釣船
  8. 8泊は泊ははてててにににけりけりけり波底爾家利
  9. 9我わ我わわががが船ふね船ふねふね泊は泊ははてててむむん我船波底牟
  10. 10磯いそ磯いそいそののの知し知ししらららなくなくなく伊蘇乃之良奈久
  11. 11昨日きのふ昨日きのふきのうこそこそこそ昨日許曾3893
  12. 12船ふな船ふなふな出で出でではははせせせしかしかしか敷奈底婆勢之可
  13. 13鯨魚いさな鯨魚いさないさな取と取ととりりり伊佐魚取
  14. 14比治奇ひぢき比治奇ひぢきひじきののの灘なだ灘なだなだををを比治奇乃奈太乎
  15. 15今日けふ今日けふきょう見み見みみつるつるつるかもかもかも今日見都流香母
  16. 16淡路あはぢ淡路あはぢあわじ島しま島しましま淡路島3894
  17. 17門と門とと渡わた渡わたわたるるる船ふね船ふねふねののの刀和多流船乃
  18. 18楫かぢ楫かぢかじ間ま間ままにににももも可治麻爾毛
  19. 19吾われ吾われわれははは忘わす忘わすわすれれれずずず吾波和須禮受
  20. 20家いへ家いへいえをををしししぞぞぞ思おも思おもおもふふう伊弊乎之曾於毛布
  21. 21玉たま玉たまたま映は映ははやすやすやす多麻波夜須3895
  22. 22武庫むこ武庫むこむこののの渡わたり渡わたりわたりににに武庫能和多里爾
  23. 23天あま天あまあま傳づたふ傳づたふづたう天傳
  24. 24日ひ日ひひののの暮く暮くくれれれゆけゆけゆけばばば日能久禮由氣婆
  25. 25家いへ家いへいえをををしししぞぞぞ思おも思おもおもふふう家乎之曾於毛布
  26. 26家いへ家いへいえにににてててももも家爾底母3896
  27. 27たゆたふたゆたふたゆたう命いのち命いのちいのち多由多敷命
  28. 28浪なみ浪なみなみののの上うへ上うへうえににに浪乃宇倍爾
  29. 29浮う浮ううきききてててししし居を居をおれれればばば宇伎氏之乎禮婆
  30. 30奧おく奧おくおく處か處かか知し知ししらららずずずももも於久香之良受母
  31. 31大おほ大おほおお海うみ海うみうみののの大海乃3897
  32. 32奧おく奧おくおく處か處かかももも知し知ししらららずずず於久可母之良受
  33. 33行ゆ行ゆゆくくく我われ我われわれををを由久和禮乎
  34. 34何時いつ何時いついつ來き來ききまさまさまさむむんととと何時伎麻佐武等
  35. 35問と問ととひひいししし兒こ兒ここらららはははももも問之兒等波母
  36. 36大おほ大おほおお船ぶね船ぶねぶねののの大船乃3898
  37. 37上うへ上うへうえにににししし居を居をおれれればばば宇倍爾之居婆
  38. 38天あま天あまあま雲ぐも雲ぐもぐもののの安麻久毛乃
  39. 39たどきたどきたどきももも知し知ししらららずずず多度伎毛思良受
  40. 40歌うた歌うたうた乞ひこ乞ひこひこせせせ我わ我わわががが兒せ兒せせ歌乞和我世
  41. 41海あま海あまあま未通女をとめ未通女をとめおとめ海未通女3899
  42. 42漁いざ漁いざいざりりり焚た焚たたくくく火ひ火ひひののの伊射里多久火能
  43. 43おぼほしくおぼほしくおぼほしく於煩保之久
  44. 44都努つぬ都努つぬつぬののの松まつ松まつまつ原ばら原ばらばら都努乃松原
  45. 45思おも思おもおもほほおゆるゆるゆるかもかもかも於母保由流可問

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

〔3891〕荒津の海は、潮の引く時、満ちる時と時はあるけれど、いったいいつの時に、私が恋しく思わないでいられようか。

〔3892〕磯ごとに海人の釣船は泊まってしまった。私の船の泊まる磯はわからないことだ。

〔3893〕昨日こそ船出をしたのに、(鯨魚取り)比治奇の灘を、もう今日見ることだ。

〔3894〕淡路島の海峡を渡る船の、楫を漕ぐ間にも、私は忘れずに家を思っている。

〔3895〕(玉映やす)武庫の渡り場で、(天傳ふ)日が暮れて行くと、家のことを思う。

〔3896〕家にいてもたゆたう命なのに、波の上に浮いていると、行く末もわからないことだ。

〔3897〕大海の果ても知らずに行く私に、いつ帰っていらっしゃるのかと問うた、あの子は。

〔3898〕大船の上にいると、天雲のように手がかりもわからない。歌を乞うてくれ、わが友よ。

〔3899〕海人の娘たちが漁をして焚く火がぼんやりしているように、都努の松原が、ぼんやりと思われることだ。

意訳

大宰府から海路で都へ向かう旅人の従者たちが、瀬戸内の荒津・比治奇の灘・淡路島・武庫などを通りながら詠んだ歌である。潮の満ち干に寄せる尽きぬ恋しさ、船の泊まりの不安、楫を漕ぐ間も忘れない家への思い、波の上にたゆたう命の頼りなさ、帰りを問うた恋人の思い出などを詠む。

語釈・文法注

文法・本文

荒津
「あらつ」。博多の港。
比治奇の灘
「ひぢきのなだ」。播磨灘か。
楫間
「かぢま」。楫を漕ぐ間。
玉映やす
「たまはやす」。「武庫」にかかる枕詞。
天傳ふ
「あまづたふ」。「日」にかかる枕詞。
奧處
「おくか」。果て、行く末。
歌乞せ
「うたひこせ」。歌を求めよ、の意か。
おぼほしく
ぼんやりと。
都努の松原
「つぬのまつばら」。摂津の地名か。

和歌

作者
作者未詳
出典
『万葉集』巻第十七・部立なし・3891〜3899番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
状況
大伴旅人の従者たち(作者未詳)が、海路で上京する途中に詠んだ歌。

修辞

反復
「家をしぞ思ふ」をくり返す。
序詞
3899番の「海未通女漁り焚く火の」が「おぼほしく」を導く。

解説

旅人自身は陸路で上京し、その時の歌は巻第三・第六にある。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、609頁(コマ97)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、713頁(コマ120)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日