万葉集 巻第十六 3811〜3813番
さ丹づらふ 君が御言と
長く通って来ない夫を恋い慕い、病み衰えて死に臨んだ車持氏の娘子が、夫を呼び寄せて泣きながら詠んだ長歌と反歌二首。夫からの使いも来ないので病む身で、神のせいにもするな、占いもするな、恋のために死ぬのだ、夫が呼んでいるのか母が呼んでいるのかと、八十の衢で夕占や卜を問うと詠み、反歌では、夫に会えるすべもわからないと嘆き、夫のために長く生きたいと願ったと詠む。
場面イラスト(準備中)
題詞夫君に戀ふる歌一首并に短歌
- 1さささ丹丹にづらふづらふずらう君君きみががが御御み言言ことととと左耳通良布 君之三言等長歌
- 2玉玉たま梓梓ずさののの使使つかいももも來來こねねねばばば玉梓乃 使毛不來者
- 3憶憶おもひひい病病やむむむ吾吾わががが身身み一一ひとつつつぞぞぞ憶病 吾身一曾
- 4ちはやぶるちはやぶるちはやぶる神神かみにににもももななな負負おおせせせ千磐破 神爾毛莫負
- 5卜部卜部うらべ坐坐ませせせ龜龜かめもももななな燒燒やきききそそそ卜部座 龜毛莫燒曾
- 6戀戀こいしくしくしくににに痛痛いたききき吾吾わががが身身みぞぞぞ戀之久爾 痛吾身曾
- 7いちじろくいちじろくいちじろく身身みににに染染しみみみとほりとほりとおり伊知白苦 身爾染登保里
- 8村村むら肝肝ぎもののの心心こころ碎碎くだけけけててて村肝乃 心碎而
- 9死死しなななむむん命命いのち俄俄にわかににになりなりなりぬぬぬ將死命 爾波可爾成奴
- 10今今いま更更さらににに君君きみかかか吾吾わををを喚喚よぶぶぶ今更 君可吾乎喚
- 11たらちねたらちねたらちねののの母母ははののの命命みことかかか足千根乃 母之御事歟
- 12百百もも足足たらららずずず八十八十やそののの衢衢ちまたににに百不足 八十乃衢爾
- 13夕夕ゆう占占けにににももも卜卜うらにににもももぞぞぞ問問とふふう死死しぬぬぬべきべきべき吾吾わががが故故ゆえ夕占爾毛 卜爾毛曾問 應死吾之故
- 14卜部卜部うらべをををももも卜部乎毛反歌
- 15八十八十やそののの衢衢ちまたももも八十乃衢毛
- 16占占うら問問とへへえどどど占雖問
- 17君君きみをををあひあひあい見見みむむむ君乎相見
- 18たどきたどきたどき知知しらららずずずももも多時不知毛
- 19吾吾わががが命命いのちははは吾命者或本の反歌
- 20惜惜おしくしくしくもももあらあらあらずずず惜雲不有
- 21さささ丹丹にづらふづらふずらう散追良布
- 22君君きみににに依依よりりりてててぞぞぞ君爾依而曾
- 23長長ながくくく欲欲ほりりりせせせししし長欲爲
現代語訳
〔3811〕(さ丹づらふ)あなたのお言葉だと言って、(玉梓の)使いも来ないので、思い病む私の身ひとつです。(ちはやぶる)神のせいにもなさいますな。卜部を招いて亀の甲も焼きなさいますな。恋しさのために痛む私の身なのです。はっきりと身にしみとおり、(村肝の)心も砕けて、死ぬ命がにわかに迫ってきました。今さらに、あなたが私を呼んでいるのか、(たらちねの)母上が呼んでいるのか。(百足らず)八十の衢で夕占にも卜にも問うのです。死ぬはずの私のために。
〔3812〕卜部にも八十の衢にも占って問うけれど、あなたに逢える手立てもわからないことです。
〔3813〕私の命は惜しくもありません。(さ丹づらふ)あなたのためにこそ、長く生きたいと願っていたのです。
意訳
車持氏の娘子は、夫が長い年月通って来なかったため、恋に病み衰えて死に臨んだ。使いをやって夫を呼び寄せたが、泣きながらこの歌を詠み、そのまま息を引き取ったという。病の原因を神のせいにするな、占いで亀甲を焼くな、恋しさのために死ぬのだと訴え、反歌では、夫に逢う手立てもわからないと嘆き、命は惜しくないが夫のためにこそ長く生きたかったと詠む。
語釈・文法注
文法・本文
- さ丹づらふ
- 「君」にかかる枕詞。赤く照り映える。
- 神にもな負せ
- 神のせいにするな。
- 卜部
- 「うらべ」。占いをつかさどる者。
- 龜もな燒きそ
- 亀の甲を焼いて占うな。
- いちじろく
- はっきりと。
- 八十の衢
- 「やそのちまた」。多くの道の分かれる辻。
- 夕占
- 「ゆふけ」。夕方に辻で行う占い。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十六・雑歌・3811〜3813番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 車持氏の娘子が、死に臨んで夫を恋い慕って詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「さ丹づらふ」「玉梓の」「ちはやぶる」「村肝の」「たらちねの」「百足らず」など。
解説
3811番は、病を神のたたりとして占う当時の習俗を背景に、恋の病の切実さを訴える。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、587頁(コマ86)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、689頁(コマ108)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日