万葉集 巻第十五 3718〜3722番
家島は 名にこそありけれ
新羅からの帰りに筑紫を経て海路で都へ向かい、播磨の家島に着いた時の歌五首。家島は名ばかりで恋い慕って来た妻はいないという歌、旅は長くないと妻に言ったのに年が改まったという歌、妻に早く逢おう、淡路島が雲の彼方に見え家が近づいたらしいという歌、夜通し船を漕いで行こう、御津の浜松が待ち恋うているだろうという歌、大伴の御津に船を泊めて竜田山をいつ越えて行こうかという歌。
場面イラスト(準備中)
題詞筑紫に回り來て海路京に入るに、播磨國家島に到れる時作れる歌五首
- 1家家いえ島島しまははは伊敝之麻波3718
- 2名名なにににこそこそこそありありありけれけれけれ奈爾許曾安里家禮
- 3海海うな原原はらををを宇奈波良乎
- 4吾吾あががが戀戀こひひい來來きつるつるつる安我古非伎都流
- 5妹妹いももももあらあらあらなくなくなくににに伊毛母安良奈久爾
- 6草草くさ枕枕まくら久左麻久良3719
- 7旅旅たびににに久久ひさしくしくしく多婢爾比左之久
- 8あらあらあらめめめやややととと安良米也等
- 9妹妹いもににに言言いひひいしししををを伊毛爾伊比之乎
- 10年年としののの經經えぬぬぬらくらくらく等之能倍奴良久
- 11わぎもこわぎもこわぎもこををを和伎毛故乎3720
- 12行行ゆきききててて早早はや見見みむむむ由伎弖波也美武
- 13淡路淡路あわじ島島しま安波治之麻
- 14雲雲くも居居いににに見見みえええぬぬぬ久毛爲爾見延奴
- 15家家いえづくづくずくらしらしらしももも伊敝都久良之母
- 16ぬばたまぬばたまぬばたまののの奴婆多麻能3721
- 17夜夜よ明明あかしししももも船船ふねははは欲安可之母布禰波
- 18こぎこぎこぎ行行ゆかかかななな許藝由可奈
- 19御津御津みつののの濱濱はま松松まつ美都能波麻末都
- 20待待まちちち戀戀こひひいぬぬぬらむらむらん麻知故非奴良武
- 21大伴大伴おおともののの大伴乃3722
- 22御津御津みつののの泊泊とまりににに美津能等麻里爾
- 23船船ふね泊泊はてててててて布禰波弖弖
- 24立田立田たつたののの山山やまををを多都多能山乎
- 25何時何時いつかかか越越こえええ往往いかかかむむん伊都可故延伊加武
現代語訳
〔3718〕家島とは名ばかりであった。海原を越えて私が恋い慕って来た妻も、ここにはいないのに。
〔3719〕(草枕)旅が長くなることがあろうかと妻に言ったのに、年が改まってしまったことよ。
〔3720〕いとしい妻のもとに行って早く逢おう。淡路島が雲の彼方に見えた。家に近づいたらしい。
〔3721〕(ぬばたまの)夜を明かしてでも船は漕いで行こう。御津の浜松が待ち恋しがっているだろう。
〔3722〕大伴の御津の泊まりに船を泊めて、竜田の山を、いつ越えて行けることだろう。
意訳
新羅からの帰途、播磨の家島に着いた時の歌である。家島という名なのに妻はいないと嘆き、旅は長くならないと言ったのに年が改まったと悔やむ。淡路島が見えて家が近いと喜び、夜通しでも漕いで行こう、難波に着いたら竜田山を越えて早く奈良へ帰りたいと詠んで、遣新羅使人の歌群を結ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 家島
- 「いへしま」。播磨の家島諸島。
- 名にこそありけれ
- 名ばかりであった。
- 年の經ぬらく
- 年が改まってしまったこと。
- 家づくらしも
- 家に近づいたらしい。
- 夜明しも
- 夜を明かしてでも。
- 立田の山
- 大和と河内の境の竜田山。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十五・部立なし・3718〜3722番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 遣新羅使人が帰途、播磨の家島で詠んだ歌。
修辞
- 照応
- 3718番は往路の3627番で家島を詠んだのと呼応する。
解説
使節は天平9年(737)正月に都へ帰ったが、大使阿倍継麻呂は対馬で病死し、副使大伴三中も病で遅れて帰京した。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、568頁(コマ77)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、668頁(コマ98)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日