万葉集 巻第十五 3668〜3673番
大君の 遠の朝廷と
筑前の韓亭に三日泊まった時、明るい月の光に旅の悲しみを述べた歌六首。大君の遠の朝廷と思っても日が長いので恋しいという大使の歌、旅で火を灯しているのに妻は闇の中で恋い慕っているだろうという大判官の歌、能許の浦の波の立たない日はあっても家を恋しく思わない日はないという歌、夜空を渡る月であったら家の妻に逢って来るのにという歌、月が照り海人の漁火が灯り合うのが見えるという歌、風が吹くと沖の白波が恐ろしいので能許の泊まりに幾夜も寝るという歌。
題詞筑前國志麻郡の韓亭に到りて船泊てて三日を經たり。時に夜月の光皎皎として流照す。奄ち此の華に對して旅情悽噎、各心緒を陳べて聊以て裁せる歌六首
- 1大君大君おおきみののの於保伎美能3668 大使
- 2遠遠とおののの朝廷朝廷みかどととと等保能美可度登
- 3思思おもへへえれれれどどど於毛敝禮杼
- 4日日け長長ながくくくしししあれあれあればばば氣奈我久之安禮婆
- 5戀戀こひひいにににけるけるけるかもかもかも古非爾家流可母
- 6旅旅たびにににあれあれあれどどど多妣爾安禮杼3669 大判官
- 7夜夜よるははは火火ひ燭燭ともししし欲流波火等毛之
- 8居居おるるる我我われををを乎流和禮乎
- 9闇闇やみにににややや妹妹いもががが也未爾也伊毛我
- 10戀戀こひひいつつつつつつあるあるあるらむらむらん古非都追安流良牟
- 11韓亭韓亭からとまり可良等麻里3670
- 12能許能許のこののの浦浦うら浪浪なみ能許乃宇良奈美
- 13立立たたたたぬぬぬ日日ひははは多多奴日者
- 14あれあれあれどもどもども家家いえににに安禮杼母伊敝爾
- 15戀戀こひひいぬぬぬ日日ひははは無無なししし古非奴日者奈之
- 16ぬばたまぬばたまぬばたまののの奴婆多麻乃3671
- 17夜夜よ渡渡わたるるる月月つきににに欲和多流月爾
- 18あらあらあらませませませばばば安良麻世婆
- 19家家いえなるなるなる妹妹いもににに伊敝奈流伊毛爾
- 20逢逢あひひいててて來來こましましましををを安比弖許麻之乎
- 21ひさかたひさかたひさかたののの比左可多能3672
- 22月月つきははは照照てりりりたりたりたり月者弖利多里
- 23いとまいとまいとまなくなくなく伊刀麻奈久
- 24海人海人あまののの漁漁いざり火火びははは安麻能伊射里波
- 25燭燭ともししし合合あへへえりりり見見みゆゆゆ等毛之安敝里見由
- 26風風かぜ吹吹ふけけけばばば可是布氣婆3673
- 27沖沖おきつつつ白白しら浪浪なみ於吉都思良奈美
- 28恐恐かしこみみみととと可之故美等
- 29能許能許のこののの亭亭とまりににに能許能等麻里爾
- 30數多數多あまた夜夜よぞぞぞ宿宿ぬるるる安麻多欲曾奴流
現代語訳
〔3668〕大君の遠く離れた朝廷(大宰府)だと思うけれど、日数が長くなったので、家が恋しくなってしまったことだ。
〔3669〕旅にあっても、夜は火を灯している私なのに、闇の中でいとしい妻は、恋い慕い続けているのだろうか。
〔3670〕韓亭の能許の浦の波が立たない日はあっても、家を恋しく思わない日はない。
〔3671〕(ぬばたまの)夜空を渡る月であったなら、家にいるいとしい妻に逢って来ようものを。
〔3672〕(ひさかたの)月は照っている。絶え間なく、海人の漁火が灯し合っているのが見える。
〔3673〕風が吹くと沖の白波が恐ろしいので、能許の泊まりに、幾夜も寝ることだ。
意訳
筑前の韓亭(博多湾の西の能古島の対岸)に三日泊まり、明るい月の光を見て旅の悲しみを述べた歌である。大使は大宰府も都の出先と思うが日が重なって家が恋しいと詠み、大判官は火を灯す自分に対し闇の中で恋い慕う妻を思う。続いて、家を恋しく思わない日はない、月なら妻に逢いに行けるのに、という歌、月光と漁火の情景、風波を恐れて泊まりを重ねる歌が続く。
語釈・文法注
文法・本文
- 遠の朝廷
- 「とほのみかど」。地方の役所、ここでは大宰府。
- 日長く
- 「けながく」。日数が長く。
- 韓亭
- 「からとまり」。筑前国志麻郡の港。
- 能許
- 「のこ」。博多湾の能古島。
- いとまなく
- 絶え間なく。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十五・部立なし・3668〜3673番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 遣新羅使人が筑前の韓亭に三日泊まった時の歌。3668番は大使阿倍継麻呂、3669番は大判官壬生宇太麻呂の作。
修辞
- 対比
- 3669番は火を灯す自分と闇の中の妻とを対比する。
- 序詞
- 3670番の「韓亭能許の浦浪立たぬ日は」。
解説
題詞は漢文で、月光の美しさに旅情が募るさまを述べる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、563頁(コマ74)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、660頁(コマ94)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日