万葉集 巻第十五 3606〜3610番
玉藻刈る 乎等女を過ぎて
使人たちが口ずさんだ柿本人麻呂の歌の異伝五首。乎等女を過ぎて野島の崎に仮寝をするという歌、藤江の浦で漁をする海人と見られるだろうかという歌、長い道を恋い来ると明石の門から家のあたりが見えるという歌、武庫の海は穏やかで海人の釣船が見えるという歌、阿胡の浦で船遊びする少女らの赤裳の裾に潮が満ちているだろうかという歌。
場面イラスト(準備中)
題詞(遣新羅使人等の歌)所に當りて誦詠せる古歌
- 1玉玉たま藻藻も刈刈かるるる多麻藻可流3606
- 2乎等女乎等女おとめををを過過すぎぎぎててて乎等女乎須疑氏
- 3夏夏なつ草草くさののの奈都久佐能
- 4野島野島ぬしまががが崎崎さきににに野島我左吉爾
- 5廬廬いおりすすす我我われははは伊保里須和禮波
- 6白白しろ妙妙たえののの之路多倍能3607
- 7藤江藤江ふじえののの浦浦うらににに藤江能宇良爾
- 8漁漁いざりするするする伊射里須流
- 9海人海人あまとととややや見見みらむらむらむ安麻等也見良武
- 10旅旅たび行行ゆくくく吾吾われををを多妣由久和禮乎
- 11天天あま離離ざかるるる安麻射可流3608
- 12鄙鄙ひなののの長長なが道道じををを比奈乃奈我道乎
- 13戀戀こひひい來來くれれればばば孤悲久禮婆
- 14明石明石あかしののの門門とよりよりより安可思能門欲里
- 15家家いえののの邊邊あたり見見みゆゆゆ伊敝乃安多里見由
- 16武庫武庫むこののの海海うみののの武庫能宇美能3609
- 17にはにはにはよくよくよくあらしあらしあらし爾波余久安良之
- 18漁漁いざりするするする伊射里須流
- 19海人海人あまののの釣釣つり船船ぶね安麻能都里船
- 20浪浪なみののの上上うえゆゆゆ見見みゆゆゆ奈美能宇倍由見由
- 21阿胡阿胡あごののの浦浦うらににに安胡乃宇良爾3610
- 22船船ふな乘乘のりりりすらむすらむすらむ布奈能里須良牟
- 23少女少女おとめらららががが乎等女良我
- 24赤赤あか裳裳もののの裾裾すそににに安可毛能須素爾
- 25潮潮しお滿滿みつつつらむらむらんかかか之保美都良武賀
現代語訳
〔3606〕玉藻を刈る乎等女を過ぎて、(夏草の)野島の崎に、仮の宿りをする、私は。
〔3607〕(白妙の)藤江の浦で漁をする海人と見ているだろうか。旅を行く私を。
〔3608〕(天離る)鄙からの長い道のりを恋い慕ってやって来ると、明石の海峡から家のあたりが見える。
〔3609〕武庫の海の漁場は穏やかであるらしい。漁をする海人の釣船が、波の上に見える。
〔3610〕阿胡の浦で船に乗って遊んでいるだろう少女らの、赤い裳の裾に、潮が満ちているだろうか。
意訳
使人たちが口ずさんだ柿本人麻呂の旅の歌の異伝である。いずれも巻第三の人麻呂の羇旅歌八首(249〜256番)や巻第一の伊勢行幸の歌(40番)と同じ歌の別の形で、瀬戸内の地名を詠みこんだ人麻呂の歌が、旅人の間で口伝えに歌われていたことを示す。
語釈・文法注
文法・本文
- 乎等女
- 「をとめ」。摂津の地名。処女塚のあるあたり。
- 野島
- 「ぬしま」。淡路の野島。
- 藤江
- 「ふぢえ」。播磨の地名。
- 漁
- 「いざり」。漁をすること。
- 明石の門
- 明石海峡。
- には
- 漁場、海面。
- 阿胡の浦
- 「あごのうら」。志摩の英虞湾とも。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十五・部立なし・3606〜3610番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 遣新羅使人がその場で口ずさんだ柿本人麻呂の歌の異伝。
修辞
- 異伝
- 人麻呂の歌の本文と少しずつ異なる。
解説
3608番は巻第三の255番「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」の異伝で、「家のあたり見ゆ」と旅人の家郷への思いを強めている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、555頁(コマ70)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、648頁(コマ88)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日