万葉集 巻第十四 3367〜3372番
百津島 足柄小船
相模国の相聞歌十二首の後半六首。足柄小船のように通う人が多くて会えないが心は思っているという歌、土肥の河内の湯のように絶えずとは言わないのにという歌、小菅の菅枕をなぜするのか手枕をせよという歌、箱根の和草のような若い妻なのか紐も解かずに寝るのかという歌、足柄の坂が恐ろしく心の秘密を口にしてしまったという歌、淘綾の浜の真砂のような子がいとしいという歌。
場面イラスト(準備中)
題詞東歌(相聞)相模國
- 1百百もも津津つ島島しま母毛豆思麻3367
- 2足柄足柄あしがら小小お船船ぶね安之我良乎夫禰
- 3歩行歩行あるき多多おおみみみ安流吉於保美
- 4目目めこそこそこそ離離かるるるらめらめらめ目許曾可流良米
- 5心心こころははは思思もへへへどどど己許呂波毛倍杼
- 6足柄足柄あしがりののの阿之我利能3368
- 7土肥土肥といののの河內河內こうちににに刀比能可布知爾
- 8出出いづるづるずる湯湯ゆののの伊豆流湯能
- 9世世よにににもももたよらたよらたよらににに余爾母多欲良爾
- 10兒兒ころろろががが言言いははわなくなくなくににに故呂何伊波奈久爾
- 11足柄足柄あしがりののの阿之我利乃3369
- 12麻萬麻萬ままののの小小こ菅菅すげののの麻萬能古須氣乃
- 13菅菅すが枕枕まくら須我麻久良
- 14何何あぜかかか纏纏まかかかさささむむん安是加麻可左武
- 15兒兒ころろろせせせ手手た枕枕まくら許呂勢多麻久良
- 16足柄足柄あしがりののの安思我里乃3370
- 17箱根箱根はこねののの嶺嶺ねろろろののの波故禰能禰呂乃
- 18和和にこ草草ぐさののの爾古具佐能
- 19はなはなはなつつまつつまつつまなれなれなれややや波奈都豆麻奈禮也
- 20紐紐ひも解解とかかかずずず寢寢ねむむむ比母登可受禰牟
- 21足柄足柄あしがらののの安思我良乃3371
- 22みみみ坂坂さかかしこみかしこみかしこみ美佐可加思古美
- 23陰陰くもり夜夜よののの久毛利欲能
- 24吾吾あががが下下した延延ばへへえををを阿我志多婆倍乎
- 25言言こち出出でつるつるつるかもかもかも許知氏都流可毛
- 26相模相模さがむ路路じののの相模治乃3372
- 27淘綾淘綾よろぎののの濱濱はまののの余呂伎能波麻乃
- 28眞砂眞砂まなごなすなすなす麻奈胡奈須
- 29兒兒こ等等らははは愛愛かなしくしくしく兒良波可奈之久
- 30思思おもははわるるるるるるかもかもかも於毛波流留可毛
現代語訳
〔3367〕(百津島)足柄小船のように、あちこち出歩くことが多いので、逢うことこそ遠のいているのだろうが、心では思っているのに。
〔3368〕足柄の土肥の河内に湧き出る湯のように、絶えずゆらゆらと揺らぐなどとは、あの子は言っていないのに。
〔3369〕足柄の麻萬の小菅で作った菅枕を、どうして枕にしようか。あの子よ、手枕をしておくれ。
〔3370〕足柄の箱根の嶺の和草のように、若い花嫁だというのか、紐も解かずに寝るとは。
〔3371〕足柄の御坂が恐ろしいので、(陰夜の)私の心に秘めた思いを口に出してしまったことだ。
〔3372〕相模路の淘綾の浜の真砂のように、あの子はいとしく思われることだ。
意訳
相模国の相聞歌の後半である。あちこち出歩いて逢えなくても心は思っているという歌、湯のように揺らぐとは恋人は言っていないのにという歌、菅枕ではなく恋人の手枕を求める歌、紐も解かずに寝る恋人をなじる歌、足柄の御坂の神を恐れて秘めた恋人の名を口にしてしまった歌、淘綾の浜の真砂のように恋人がいとしいという歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- 百津島
- 「ももつしま」。「足柄小船」にかかる枕詞か。
- 歩行多み
- 「あるきおほみ」。出歩くことが多いので。
- 目こそ離るらめ
- 「めこそかるらめ」。逢うことは遠のいているだろうが。
- 河內
- 「かふち」。川の流域の平地。
- たよらに
- ゆらゆらと揺らいで。
- 何か
- 「あぜか」。「なぜか」の東国方言。
- 和草
- 「にこぐさ」。柔らかい草。
- はなつつま
- 「花妻」か。若い新妻。
- み坂かしこみ
- 足柄の峠の神を恐れて。
- 下延へ
- 「したばへ」。心に秘めた思い。
- 言出
- 「こちで」。「ことで」の東国方言。
- 淘綾
- 「よろぎ」。相模国の海岸の地名。
- 眞砂なす
- 「まなごなす」。細かい砂のように。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十四・相聞・3367〜3372番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 東歌の相聞。作者未詳。相模国の歌。
修辞
- 序詞
- 3368番の「足柄の土肥の河內に出づる湯の」、3372番の「相模路の淘綾の濱の眞砂なす」が序。
- 方言
- 「あぜか」「言出(こちで)」など。
解説
3371番は、峠の神の前で心に秘めた名を口にしてしまったという、峠越えの習俗を伝える歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、531頁(コマ58)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、614頁(コマ71)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日