万葉集 巻第十四 3361〜3366番
足柄の 彼面此面に
相模国の相聞歌十二首の前半六首。足柄の山の罠のように物音のしずまる間に恋人が紐を解くという歌、相模嶺を見過ごして忘れて来た妹の名を呼んで泣かせるなという歌、大和へ行った夫を足柄山の杉の木の間から待つ歌、粟は実ったのに逢えないのを怪しむ歌、鎌倉の見越の崎の崩れ岩のように後悔する心は持たないという歌、鎌倉の美奈の瀬川に潮が満ちるかと案じる歌。
場面イラスト(準備中)
題詞東歌(相聞)相模國
- 1足柄足柄あしがらののの安思我良能3361
- 2彼面彼面おても此面此面このもににに乎氏毛許乃母爾
- 3刺刺さすすす羂羂わなののの佐須和奈乃
- 4かなるかなるかなる間間ましづみしづみしずみ可奈流麻之豆美
- 5兒兒ころろろ我我あれ紐紐ひも解解とくくく許呂安禮比毛等久
- 6相模相模さがむ嶺嶺ねののの相模禰乃3362
- 7小小お峯峯みね見見み過過そぐしぐしぐし乎美禰見所久思
- 8忘忘わすれれれ來來くるるる和須禮久流
- 9妹妹いもががが名名な呼呼よびびびててて伊毛我名欲妣氏
- 10吾吾あををを哭哭ねししし泣泣なくくくななな吾乎禰之奈久奈
- 11吾吾わががが背背せ子子こををを和我世古乎3363
- 12大和大和やまとへへへ遣遣やりりりててて夜麻登敝夜利氏
- 13松松まつししし立立たすすす麻都之太須
- 14足柄足柄あしがら山山やまののの安思我良夜麻乃
- 15杉杉すぎののの木木こののの間間まかかか須疑乃木能末可
- 16足柄足柄あしがらののの安思我良能3364
- 17箱根箱根はこねののの山山やまににに波姑禰乃夜麻爾
- 18粟粟あわ蒔蒔まきききててて安波麻吉氏
- 19實實みとととはははなれなれなれるるるををを實登波奈禮留乎
- 20逢逢あははわなくなくなくももも怪怪あやししし阿波奈久毛安夜思
- 21鎌倉鎌倉かまくらののの可麻久良乃3365
- 22見越見越みこしののの埼埼さきののの美胡之能佐吉能
- 23石石いわ崩崩くえののの伊波久叡乃
- 24君君きみががが悔悔くゆゆゆべきべきべき伎美我久由倍伎
- 25心心こころははは持持もたたたじじじ己許呂波母多自
- 26ままま愛愛がなしししみみみ麻可奈思美3366
- 27さささ寢寢ねににに吾吾わははは行行ゆくくく佐禰爾和波由久
- 28鎌倉鎌倉かまくらののの可麻久良能
- 29美奈美奈みなののの瀨瀨せ河河がわににに美奈能瀨河泊爾
- 30潮潮しお滿滿みつつつなむなむなんかかか思保美都奈武賀
現代語訳
〔3361〕足柄のあちらこちらの斜面に仕掛ける罠が鳴る、その物音がしずまる間に、あの子が私のために紐を解く。
〔3362〕相模嶺の小峰を見過ごすように、忘れて来たいとしい人の名を呼んで、私を声をあげて泣かせないでくれ。
〔3363〕わが夫を大和へやって、待って立っている、足柄山の杉の木の間であろうか。
〔3364〕足柄の箱根の山に粟を蒔いて、実はなったのに、逢わないのは不思議なことだ。
〔3365〕鎌倉の見越の崎の崩れ岩のように、あなたが後悔するような心は持つまい。
〔3366〕いとしさに共寝をしに私は行く。鎌倉の美奈の瀬川に、潮が満ちているだろうか。
意訳
相模国の相聞歌で、足柄・箱根・鎌倉など相模の地名を多く詠みこむ。罠の音がやむ間に恋人が紐を解く歌、名を呼んで泣かせるなという歌、大和へ行った夫を足柄山の杉の木の間に立って待つ妻の歌、粟が実ったように仲は成ったのに逢えないのを怪しむ歌、崩れ岩のように心変わりはしないと誓う歌、潮の満ちる瀬川を気にかけながら恋人のもとへ急ぐ歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- 彼面此面
- 「をてもこのも」。あちらこちら。
- 羂
- 「わな」。獣を捕らえるわな。
- かなる間しづみ
- 音の鳴る間がしずまって、の意か。
- 我
- 「あれ」。私。
- 見過ぐし
- 「みそぐし」。見過ごして。
- 松し立す
- 「待つ」に「松」を掛ける。
- 實とはなれるを
- 実はなったのに。仲が成就したことのたとえ。
- 石崩
- 「いはくえ」。崩れた岩。
- ま愛しみ
- 「まがなしみ」。いとしいので。
- 美奈の瀨河
- 鎌倉の川。所在未詳。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十四・相聞・3361〜3366番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 東歌の相聞。作者未詳。相模国の歌。
修辞
- 序詞
- 3361番の「足柄の彼面此面に刺す羂の」、3365番の「鎌倉の見越の埼の石崩の」が序。
- 掛詞
- 3363番の「松」に「待つ」。
解説
3361番の「羂」、3364番の「粟」など、東国の山村の暮らしが歌の素材になっている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、530頁(コマ58)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、613頁(コマ70)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日