万葉集 巻第十四 3355〜3359番
天の原 富士の柴山
駿河国の相聞歌五首。富士の柴山の木陰の時が過ぎれば逢えなくなるかという歌、遠い富士の山路も妹のもとへなら息も切らさず来たという歌、富士の山辺に来た自分を妹はどちらを向いて嘆くかという歌、共寝はわずかで恋しさは富士の鳴沢のように激しいという歌、駿河の海の浜つづらのように汝を頼みにして母に背いたという歌。
場面イラスト(準備中)
題詞東歌(相聞)駿河國
- 1天天あまののの原原はら安麻乃波良3355
- 2富士富士ふじののの柴柴しば山山やま不自能之婆夜麻
- 3木木こののの暗暗くれののの己能久禮能
- 4時時とき移移ゆつりりりなななばばば等伎由都利奈波
- 5逢逢あははわずずずかもかもかもあらあらあらむむん阿波受可母安良牟
- 6不盡不盡ふじののの嶺嶺ねののの不盡能禰乃3356
- 7いやいやいや遠遠とお長長ながききき伊夜等保奈我伎
- 8山山やま路路じをををももも夜麻治乎毛
- 9妹妹いも許許がりとととへへへばばば伊母我理登倍婆
- 10氣氣けににに吟吟よばばばずずず來來きぬぬぬ氣爾餘婆受吉奴
- 11霞霞かすみゐるゐるいる可須美爲流3357
- 12富士富士ふじののの山山やま傍傍びににに布時能夜麻備爾
- 13我我わががが來來きなななばばば和我伎奈婆
- 14何方何方いずち向向むきききてててかかか伊豆知武吉氏加
- 15妹妹いもががが嘆嘆なげかかかむむん伊毛我奈氣可牟
- 16さささ寢寢ぬらくらくらくははは佐奴良久波3358
- 17玉玉たまののの緒緒をばかりばかりばかり多麻乃緒婆可里
- 18戀戀こふふうらくらくらくははは古布良久波
- 19富士富士ふじののの高高たか嶺嶺ねののの布自能多可禰乃
- 20鳴鳴なる澤澤さわののの如如ごと奈流佐波能其登
- 21駿河駿河するがののの海海うみ駿河能宇美3359
- 22磯磯おし邊邊べににに生生おふるふるうる於思敝爾於布流
- 23濱濱はまつづらつづらつづら波麻都豆良
- 24汝汝いましををを憑憑たのみみみ伊麻思乎多能美
- 25母母ははににに違違たがひひいぬぬぬ波播爾多我比奴
現代語訳
〔3355〕(天の原)富士の柴山の木陰の暗さのように、時が移ってしまったら、逢えなくなってしまうのだろうか。
〔3356〕富士の嶺のはるかに遠く長い山道でも、いとしい人のもとへというので、息を切らすこともなくやって来た。
〔3357〕霞のかかる富士の山辺に私が来てしまったら、どちらの方を向いて、いとしい人は嘆くだろうか。
〔3358〕共寝をしたのは玉の緒ほどのわずかな間で、恋しく思うのは富士の高嶺の鳴沢のように激しいことだ。
〔3359〕駿河の海の磯辺に生える浜つづらのように、お前を頼みにして、母に背いてしまった。
意訳
駿河国の相聞歌五首で、富士の山をくり返し詠みこむ。時が過ぎれば逢えなくなるかと不安がる歌、恋人のもとへなら長い山道も苦にならないという歌、旅立った後の恋人の嘆きを思う歌、短い共寝と激しい恋しさを富士の鳴沢にたとえる歌、浜つづらのように相手を頼みにして母に背いたという女の歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- 木の暗
- 「このくれ」。木陰の暗いところ。「時」にかかる序。
- 時移り
- 「ときゆつり」。「うつり」の東国方言。
- 妹許
- 「いもがり」。いとしい人のもと。
- 氣に吟ばず
- 「けによばず」。息を切らさず、うめかず。
- 山傍
- 「やまび」。山のあたり。
- 何方
- 「いづち」。どちらの方。
- 玉の緒ばかり
- ほんのわずかな間。
- 鳴澤
- 「なるさは」。富士山の崩れ落ちる沢。音を立てるところから言う。
- 磯邊
- 「おしべ」。「いそべ」の東国方言。
- 汝
- 「いまし」。お前。
- 違ひぬ
- 「たがひぬ」。背いてしまった。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十四・相聞・3355〜3359番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 東歌の相聞。作者未詳。駿河国の歌。
修辞
- 序詞
- 3355番は「富士の柴山木の暗の」、3359番は「駿河の海磯邊に生ふる濱つづら」が序。
- 譬喩
- 3358番は恋の激しさを富士の鳴沢にたとえる。
解説
3355〜3358番は富士山を詠む東歌で、巻第三の山部赤人の富士の歌とは異なる、土地の人の身近な富士の姿が見える。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、530頁(コマ58)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、612頁(コマ70)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日