万葉集 巻第十二 3175〜3179番
若の浦に 袖さへぬれて
若の浦で袖まで濡れて忘れ貝を拾っても、妹は忘れられない。旅にいるので、苅薦のように思い乱れて妹を恋しく思わない日はない。名告藻の名のように名は告げたのに、どうして逢いにくいのか。国が遠くても嘆くな、風とともに行く雲のように便りは通うだろう。都に残った人を思うと、蜻蛉野にかかる白雲のように止む時もない。羈旅発思の歌の終わりの五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(羈旅に思を發す)
- 1若若わかののの浦浦うらににに若乃浦爾3175
- 2袖袖そでさへさへさへぬれぬれぬれててて袖左倍沾而
- 3忘忘わすれ貝貝がい忘貝
- 4拾拾ひりへへえどどど妹妹いもははは拾跡妹者
- 5忘忘わすらえらえらえなくなくなくににに不所忘爾
- 6くさくさくさまくらまくらまくら草枕3176
- 7旅旅たびにににししし居居おれれればばば羈西居者
- 8苅苅かり薦薦こもののの苅薦之
- 9亂亂みだれれれててて妹妹いもににに擾妹爾
- 10戀戀こひひいぬぬぬ日日ひはははなしなしなし不戀日者無
- 11志珂志珂しかののの海人海人あまののの然海部之3177
- 12磯磯いそににに苅苅かりりり干干ほすすす礒爾苅干
- 13名告藻名告藻なのりそののの名告藻之
- 14名名なははは告告のりりりてててしししををを名者告手師乎
- 15いかにいかにいかに逢逢あひひい難難がたききき如何相難寸
- 16國國くに遠遠とおみみみ國遠見3178
- 17思思おもひひいななな佗佗わびびびそそそ念勿和備曾
- 18風風かぜののの共共むた風之共
- 19雲雲くもののの行行ゆくくく如如なすすす雲之行如
- 20言言ことははは通通かよははわむむん言者將通
- 21留留とまりりりにににししし留西3179
- 22人人ひとををを念念おもふふうににに人乎念爾
- 23蜻蛉蜻蛉あきつ野野ぬににに蜓野
- 24居居いるるる白白しら雲雲くもののの居白雲
- 25止止やむむむ時時ときもももなしなしなし止時無
現代語訳
〔3175〕若の浦で袖まで濡らして、忘れ貝を拾ったけれど、いとしい人のことは忘れられないことだ。
〔3176〕(くさまくら)旅にいるので、苅薦が乱れるように思い乱れて、いとしい人を恋しく思わない日はない。
〔3177〕志珂の海人が磯で刈って干す名告藻の名のように、名は告げたのに、どうしてこんなに逢いにくいのだろう。
〔3178〕国が遠いからといって、思い悩まないでください。風とともに雲が流れて行くように、便りは通うでしょう。
〔3179〕都に留まった人を思っていると、蜻蛉野にかかる白雲のように、思いの止む時もない。
意訳
羈旅発思の歌の結びである。忘れ貝を拾っても恋人は忘れられない歌、旅にいて思い乱れて妻を恋う歌、名告藻の名にかけて名を告げたのに逢えない嘆き、国が遠くても風と雲のように便りは通うと慰める歌、都に残った人を思って白雲のように思いの止まない歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 忘貝
- 拾うと恋の苦しみを忘れるという貝。
- 拾へど
- 「ひりへど」。拾っても。
- 苅薦の
- 「亂れ」にかかる枕詞。
- 名告藻
- 「なのりそ」。「名告る」を掛ける。
- 共
- 「むた」。〜と共に。
- 蜻蛉野
- 「あきつぬ」。吉野の地名。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・3175〜3179番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 羈旅発思。作者未詳。
修辞
- 逆説
- 3175番は忘れ貝を拾っても忘れられないという。
- 序詞
- 3177番の上三句が「名」を、3179番の第三・四句が「止む時もなし」を導く。
解説
3178番は、旅立つ人を見送る側が、遠く離れても便りは通うと慰める歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、490頁(コマ38)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、566頁(コマ47)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日