万葉集 巻第十二 3075〜3079番
斯くしてぞ 人の死ぬとふ
こうして人は恋に死ぬというのだ、藤波のようにただ一目見ただけの人のために。住吉の敷津の浦の名告藻のように名は告げたのに、逢えないのが不思議だ。名告藻のように、ままよ名は告げまい、父母が知っても。波と共になびく玉藻のような片思いに、思う人の噂がうるさい。沖の玉藻のようになびき寄って寝よう、早く来て、待つのは苦しい。藤・藻に寄せた歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1斯斯かくくくしししてててぞぞぞ如此爲而曾3075
- 2人人ひとののの死死しぬぬぬとととふふふ人之死云
- 3藤藤ふじ浪浪なみののの藤浪乃
- 4ただただただ一一ひと目目めのみのみのみ直一目耳
- 5見見みししし人人ひとゆゑゆゑゆえににに見之人故爾
- 6住吉住吉すみのえののの住吉之3076
- 7敷津敷津しきつののの浦浦うらののの敷津之浦乃
- 8名告藻名告藻なのりそののの名告藻之
- 9名名なははは告告のりりりてててしししををを名者告而之乎
- 10逢逢あははわなくなくなくももも怪怪あやししし不相毛恠
- 11みさごみさごみさご居居いるるる三佐呉集3077
- 12荒荒あり磯磯そににに生生おふるふるうる荒礒爾生流
- 13名告藻名告藻なのりそののの勿謂藻乃
- 14縱縱よししし名名なははは告告のらららじじじ吉名者不告
- 15父母父母おやははは知知しるるるともともとも父母者知鞆
- 16浪浪なみののの共共むた浪之共3078
- 17なびくなびくなびく玉玉たま藻藻もののの靡玉藻乃
- 18片片かた思思もいににに片念爾
- 19吾吾わががが思思おもふふう人人ひとののの吾念人之
- 20言言ことののの繁繁しげけくけくけく言乃繁家口
- 21海若海若わたつみののの海若之3079
- 22沖沖おきつつつ玉玉たま藻藻もののの奧津玉藻之
- 23靡靡なびききき寢寢ねむむむ靡將寢
- 24早早はや來來きままませせせ君君きみ早來座君
- 25待待まてててばばば苦苦くるしししももも待者苦毛
現代語訳
〔3075〕こうして人は恋に死ぬというのだ。(藤浪の)ただ一目だけ見た人のために。
〔3076〕住吉の敷津の浦の名告藻のように、名は告げてしまったのに、逢えないのが不思議だ。
〔3077〕みさごのいる荒磯に生える名告藻の名のように、ままよ、あなたの名は告げまい。たとえ父母が知っても。
〔3078〕波と共になびく玉藻のような片思いなのに、私が思う人との噂がうるさいことだ。
〔3079〕海の沖の玉藻のように、なびき寄り添って寝よう。早くおいでください、あなた。待っているのは苦しい。
意訳
藤と藻に寄せた歌である。一目見ただけの人に恋い死ぬ歌、名告藻の名にかけて名を明かしたのに逢えない不審、父母に知られても恋人の名は告げないという誓い、片思いなのに噂ばかり立つ嘆き、玉藻のように寄り添って寝ようと恋人を誘う女の歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 藤浪
- 「ふぢなみ」。波のように揺れる藤の花房。
- 名告藻
- 「なのりそ」。ほんだわら。「名告る」を掛ける。
- 怪し
- 「あやし」。不思議だ。
- 縱し
- 「よし」。ままよ。
- 共
- 「むた」。〜と共に。
- 海若
- 「わたつみ」。海。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・3075〜3079番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(藤・藻に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 掛詞
- 3076・3077番の「名告藻」は「名告る」を掛ける。
- 序詞
- 各首の上句が、藻の様子から下の句を導く。
解説
3077番は、名告藻の名を逆手にとって「名は告らじ」と言い、恋人の名を守り通す決意を詠んでいる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、481頁(コマ33)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、556頁(コマ42)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日