万葉集 巻第十二 3025〜3029番
石走る 垂水の水の
滝の水のように激しく君を恋うのは、自分の心のせいだ。君は来ず、私はわけもなく、波がしきりに立つように佗びしい、こうしてもう来ないのか。近江の海の岸辺は人も知るが、沖の波のように君以外に私の心を知る人はいない。大海の底のように深く契った妹の心は疑いもない。左太の浦に寄せる白波のように絶えず思うのに、どうして妹に逢いにくいのか。水・浪・海に寄せた歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1石石いわ走走ばしるるる石走3025
- 2垂垂たる水水みののの水水みずののの垂水之水能
- 3愛愛はしきしきしきやしやしやし早敷八師
- 4君君きみににに戀戀こふふうらくらくらく君爾戀良久
- 5吾吾わががが情情こころからからから吾情柄
- 6君君きみははは來來こずずず君者不來3026
- 7吾吾われははは故故ゆえ無無なみみみ吾者故無
- 8立立たつつつ浪浪なみののの立浪之
- 9しくしくしくしくしくしく佗佗わびびびししし數和備思
- 10斯斯かくくくててて來來こじじじとととややや如此而不來跡也
- 11淡海淡海おうみののの海海うみ淡海之海3027
- 12邊邊へたははは人人ひと知知しるるる邊多波人知
- 13沖沖おきつつつ浪浪なみ奧浪
- 14君君きみをををおきおきおきてててははは君乎置者
- 15知知しるるる人人ひとももも無無なししし知人毛無
- 16大大おお海海うみののの大海之3028
- 17底底そこををを深深ふかめめめててて底乎深目而
- 18結結むすびびびてててししし結義之
- 19妹妹いもががが心心こころははは妹心者
- 20疑疑うたがいもももなしなしなし疑毛無
- 21左太左太さだののの浦浦うらににに貞能納爾3029
- 22寄寄よするするする白白しら浪浪なみ依流白浪
- 23間間あいだなくなくなく無間
- 24思思おもふふうをををいかにいかにいかに思乎如何
- 25妹妹いもににに逢逢あひひい難難がたききき妹爾難相
現代語訳
〔3025〕岩の上をほとばしる滝の水のように、ああ、激しくあなたを恋い慕うのは、私の心のせいなのだ。
〔3026〕あなたは来ない。私は手立てもなく、立つ波のようにしきりにわびしい。このままもう来ないつもりなのか。
〔3027〕近江の海の岸辺は人も知っているが、沖の波のように奥深い私の心は、あなたのほかに知る人もいない。
〔3028〕大海の底のように深く心を込めて契り合った、いとしい人の心は、疑いもない。
〔3029〕左太の浦に寄せる白波のように、絶え間なく思っているのに、どうしていとしい人に逢いにくいのか。
意訳
水・浪・海に寄せた歌である。滝の水のように激しい恋は自分の心のせいだという歌、来ない恋人を待って波のようにしきりにわびしい女の歌、沖の波のように奥深い心はあなたしか知らないという歌、大海の底のように深く契った恋人を信じる歌、白波のように絶えず思うのに逢えない嘆きが並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 石走る
- 「いはばしる」。岩の上を激しく流れる。
- 垂水
- 「たるみ」。滝。
- 愛しきやし
- 「はしきやし」。ああ。白文は「早敷八師」と書き、「早し」を掛けるか。
- 佗びし
- 「わびし」。わびしい。
- 邊
- 「へた」。岸辺。
- 左太の浦
- 所在未詳。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・3025〜3029番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(水・浪・海に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 序詞
- 各首の上句が、水や海の様子から恋の心を導く。
- 対照
- 3027番は「邊」と「沖」を対比する。
解説
3028番は、深い海の底のように固く結ばれた恋人の心を信じる、明るく力強い歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、478頁(コマ32)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、551頁(コマ39)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日