万葉集 巻第十二 2982〜2985番
針はあれど 妹し無ければ
針はあっても縫ってくれる妹がいないので、つけようかと私を困らせて切れる紐の緒。自分の心のせいでよそにばかり見て、君を恋い続けるのか。名が惜しいこともない、この頃の恋の激しさに。行く末はわからないが、今は君に心を寄せてしまったのに。紐・剣・弓に寄せた歌四首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1針針はりはははあれあれあれどどど針者有杼2982
- 2妹妹いもししし無無なけれけれければばば妹之無者
- 3著著つけけけめめめやややととと將著哉跡
- 4吾吾われををを煩煩なやまししし吾乎令煩
- 5絕絕たゆるゆるゆる紐紐ひもののの緒緒を絕紐之緒
- 6高麗高麗こま劍劍つるぎ高麗劍2983
- 7わわわががが心心こころからからから己之景迹故
- 8外外よそのみのみのみににに外耳
- 9見見みつつつつつつややや君君きみををを見乍哉君乎
- 10戀戀こひひいわたりわたりわたりなむなむなん戀渡奈牟
- 11劍劍つるぎ太刀太刀たち劍太刀2984
- 12名名なののの惜惜おしけくしけくしけくももも名之惜毛
- 13吾吾われはははなしなしなし吾者無
- 14此此こののの頃頃ごろののの間間まののの比來之間
- 15戀戀こいののの繁繁しげきききににに戀之繁爾
- 16あづさあづさあずさ弓弓ゆみ梓弓2985
- 17末末すえはははししし知知しらららずずず末者師不知
- 18然然しかれれれどもどもども雖然
- 19まさかまさかまさかははは君君きみににに眞坂者君爾
- 20緣緣よりりりにににしししものものものををを緣西物乎
現代語訳
〔2982〕針はあるけれど、縫ってくれるいとしい人がいないので、自分でつけられようかと、私を困らせて切れる紐の緒よ。
〔2983〕(高麗劍)自分の心がけのせいで、よそながらにばかり見て、あなたを恋い続けるのだろうか。
〔2984〕(劍太刀)名が惜しいことも、私にはもうない。この頃の、恋の激しさのために。
〔2985〕(あづさ弓)行く末のことはわからない。けれども、今は、あなたに心を寄せてしまったのに。
意訳
紐・剣・弓に寄せた歌である。針はあっても縫ってくれる妻がいないので切れた紐の緒に困る独り身の男の歌、自分の心のせいで恋人をよそから見るばかりの歌、恋の激しさに名が立つのも惜しくない歌、行く末はわからないが今は恋人に心を寄せたという歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 煩し
- 「なやまし」。困らせる。
- 高麗劍
- 「こまつるぎ」。柄頭の環から「わ」にかかる枕詞。
- わが心から
- 自分の心のせいで。白文は「己之景迹故」と書く。
- 劍太刀
- 「名」にかかる枕詞。
- まさか
- 今、現在。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・2982〜2985番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(紐・剣・弓に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 枕詞
- 「高麗劍」「劍太刀」「あづさ弓」を用いる。
- 対照
- 2985番は「末」と「まさか」を対比する。
解説
2982番は、妻のいない男が切れた紐を前に途方に暮れる姿を、ユーモラスに詠んでいる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、475頁(コマ30)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、547頁(コマ37)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日