万葉集 巻第十二 2977〜2981番
何故か 思はずあらむ
どうして思わずにいられよう、紐の緒が心に入り込むように恋しいのに。この鏡を見てください、私の形見を持っていれば逢わないことがあろうか。じかに君を見たら、命がけの恋も止むだろう。見飽きない妹に逢わずに月が過ぎたので、生きた心地もしない。祝部が祭る御室の鏡のように、心に懸けて偲ぶ、逢う人ごとに。紐・鏡に寄せた歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1何何なに故故ゆえかかか何故可2977
- 2思思おもははわずずずあらあらあらむむん不思將有
- 3紐紐ひもののの緒緒をののの紐緒之
- 4心心こころににに入入いりりりててて心爾入而
- 5戀戀こいしきしきしきものものものををを戀布物乎
- 6まそまそまそ鏡鏡かがみ眞十鏡2978
- 7見見みままませせせ吾吾わが背背せ子子こ見座吾背子
- 8わわわががが形見形見かたみ吾形見
- 9持持もたたたらむらむらん時時ときににに將持辰爾
- 10逢逢あははわざらざらざらめめめやややももも將不相哉
- 11まそまそまそ鏡鏡かがみ眞十鏡2979
- 12直直ただ目目めににに君君きみををを直目爾君乎
- 13見見みてててばばばこそこそこそ見者許曾
- 14命命いのちににに對對むかふふう命對
- 15吾吾わががが戀戀こい止止やまままめめめ吾戀止目
- 16まそまそまそ鏡鏡かがみ犬馬鏡2980
- 17見見み飽飽あかかかぬぬぬ妹妹いもににに見不飽妹爾
- 18逢逢あははわずずずしししててて不相而
- 19月月つきののの經經へぬれぬれぬればばば月之經去者
- 20生生いけけけりりりともともともなしなしなし生友名師
- 21祝部祝部はふり等等らががが祝部等之2981
- 22齋齋いわふふう御室御室みむろののの齋三諸乃
- 23まそまそまそ鏡鏡かがみ犬馬鏡
- 24懸懸かけけけてててぞぞぞ偲偲しぬぶぶぶ懸而偲
- 25逢逢あふふう人人ひとごとごとごとににに相人每
現代語訳
〔2977〕どうして思わずにいられようか。紐の緒のように心の中に入り込んで、恋しいのに。
〔2978〕このまそ鏡を見てください、あなた。私の形見として持っていてくださる時に、逢わないことがありましょうか。
〔2979〕(まそ鏡)じかに目であなたを見たならばこそ、命がけの私の恋も止むだろう。
〔2980〕(まそ鏡)見飽きることのないいとしい人に逢わないで月が過ぎたので、生きている心地もしない。
〔2981〕祝部たちが祭る御室のまそ鏡を懸けるように、心に懸けて偲ぶことだ。逢う人ごとに。
意訳
紐と鏡に寄せた歌である。紐の緒のように心に入り込んだ恋、自分の形見の鏡を見て思い出してほしいという女の歌、じかに逢えば命がけの恋も止むという歌、見飽きない恋人に逢えず生きた心地もしない歌、神前に懸ける鏡のように恋人を心に懸けて偲ぶ歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 心に入りて
- 心の中に入り込んで。
- 形見
- 思い出のよすがとなる品。
- 直目
- 「ただめ」。じかに見ること。
- 命に對ふ
- 命に匹敵する、命がけの。
- 祝部
- 「はふり」。神に仕える人。
- 御室
- 「みむろ」。神を祭る所。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・2977〜2981番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(紐・鏡に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 枕詞
- 「まそ鏡」を用いる。
- 序詞
- 2981番の上三句が「懸け」を導く。
解説
2978番は、鏡を形見として恋人に贈り、それを見るたびに自分を思い出してほしいと願う女の歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、475頁(コマ30)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、547頁(コマ37)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日