万葉集 巻第十二 2922〜2927番
夕さらば 君に逢はむと
夕方になれば君に逢えると思うからこそ、日が暮れるのもうれしい。今日でもじかに逢えるのに、噂を恐れて逢わずに恋い続ける。こんなに恋が募るとは思わず、君の袂を枕にしない夜もあった。赤子のためにこそ乳母は求めるものなのに、乳を飲むのか、君が乳母を求めるとは。悔しくも年老いた、背子が求める乳母になればよかった。離れてしまった袖をまた巻いたら、過ぎた恋がまた乱れて来るだろう。正述心緒の歌六首。
題詞(正に心緒を述ぶ)
- 1夕夕ゆうさらさらさらばばば夕去者2922
- 2君君きみににに逢逢あははわむむんととと於君將相跡
- 3念念おもへへえこそこそこそ念許憎
- 4日日ひののの暮暮くるらくるらくるらくももも日之晩毛
- 5嬉嬉うれしかりしかりしかりけれけれけれ悞有家禮
- 6直直ただ今日今日きょうももも直今日毛2923
- 7君君きみにににははは逢逢あははわめめめどどど君爾波相目跡
- 8人人ひと言言ごとををを人言乎
- 9繁繁しげみみみ逢逢あははわずずずててて繁不相而
- 10戀戀こひひいわたるわたるわたるかもかもかも戀度鴨
- 11世世よのののなかなかなかににに世間爾2924
- 12戀戀こい繁繁しげけけけむむんととと戀將繁跡
- 13思思おもははわねねねばばば不念者
- 14君君きみががが袂袂たもとををを君之手本乎
- 15纏纏まかかかぬぬぬ夜夜よもももありありありききき不枕夜毛有寸
- 16綠綠みどり兒兒こののの綠兒之2925
- 17爲爲ためこそこそこそ乳母乳母おもははは爲社乳母者
- 18求求もとむむむととと云云いへへえ求云
- 19乳乳ち飲飲のめめめややや君君きみががが乳飮哉君之
- 20乳母乳母おも求求もとむむむらむらむらん於毛求覽
- 21悔悔くやしくしくしくももも悔毛2926
- 22老老おいいいにににけるけるけるかもかもかも老爾來鴨
- 23我我わが背背せ子子こががが我背子之
- 24求求もとむるむるむる乳母乳母おもににに求流乳母爾
- 25行行ゆかかかましましましものものものををを行益物乎
- 26うらぶれうらぶれうらぶれててて浦觸而2927
- 27離離かれれれにににししし袖袖そでををを可例西袖叫
- 28またまたまた纏纏まかかかばばば又卷者
- 29過過すぎぎぎにににししし戀戀こいいいい過西戀以
- 30亂亂みだれれれ來來こむむむかもかもかも亂今可聞
現代語訳
〔2922〕夕方になったらあなたに逢えると思うからこそ、日が暮れていくのも、うれしかったことだ。
〔2923〕今日だってじかにあなたに逢えるのだけれど、人の噂がうるさいので、逢わずに恋い続けていることだ。
〔2924〕世の中にこれほど恋しさが募るものだとは思わなかったので、あなたの袂を枕にしない夜もあったことだ。
〔2925〕赤子のためにこそ乳母は探し求めるものだというのに、乳を飲むというのか、あなたが乳母を求めているとは。
〔2926〕悔しいことに年を取ってしまったことだ。あの人が求める乳母として、行ってあげたかったのに。
〔2927〕しょんぼりと離れてしまった袖を、また枕にしたなら、過ぎ去った恋が、また乱れ始めるだろうか。
意訳
正述心緒の歌の続きである。夕方になれば逢えると思うと日暮れもうれしい歌、噂を恐れてすぐ逢えるのに逢わない歌、これほど恋しくなるとは知らず共寝しない夜もあったという後悔、若い女を求める男を、赤子でもないのに乳母を求めるのかとからかう歌と、それに応じて年老いた自分を悔やむ女の歌、別れた恋人とまた共寝すれば過ぎた恋が再び乱れるだろうという歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 念へこそ
- 思うからこそ。
- 乳母
- 「おも」。乳母。年上の女性を戯れていう。
- 綠兒
- 「みどりこ」。乳飲み子。
- 離れにし
- 「かれにし」。離れてしまった。
- 戀い
- 「い」は強めの助詞。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・2922〜2927番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 正述心緒。作者未詳。
修辞
- 戯れ
- 2925・2926番は、若い女を求める男を乳母を求める赤子にたとえて戯れる。
解説
2925・2926番は、年上の女が年下の男をからかい、自らの老いを嘆いてみせる、ユーモラスな一組の歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、471頁(コマ28)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、542頁(コマ35)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日