万葉集 巻第十二 2851〜2856番
人に見ゆる 表を結びて
人に見える上紐を結んで、人の見ない下紐を解いて恋う日が多い。人の噂がうるさい時に、妹が衣であったなら下に着ていたいのに。遠くの人を思って一重衣を一人で着て寝る。紐の緒が切れないうちに恋の結びをしよう、逢う日まで。新しく作った道のように、はっきりと妹の噂を聞いた。石田の杜に手向けをおろそかにしたからか、妹に逢いにくい。人麻呂歌集の寄物陳思の歌六首。
場面イラスト(準備中)
題詞物に寄せて思を陳ぶ
- 1人人ひとににに見見みゆるゆるゆる人所見2851
- 2表表うえををを結結むすびびびててて表結
- 3人人ひとののの見見みぬぬぬ人不見
- 4裏裏した紐紐ひもあけあけあけててて裏紐開
- 5戀戀こふるふるうる日日ひぞぞぞ多多おおききき戀日太
- 6人人ひと言言ごとののの人言2852
- 7繁繁しげききき時時ときににに繁時
- 8吾吾わぎ妹妹も子子こししし吾妹
- 9衣衣きぬにににありありありせせせばばば衣有
- 10下下したににに著著きましましましををを裏服矣
- 11眞眞ま珠珠たまつくつくつく眞珠服2853
- 12遠遠おちをををしかねしかねしかねててて遠兼
- 13おもふおもふおもうにににぞぞぞ念
- 14一一ひと重重へ衣衣ごろもををを一重衣
- 15一一ひと人人り著著きててて寢寢ぬるるる一人服寢
- 16白白しろ細細たえ布布の白細布2854
- 17我我わががが紐紐ひもののの緒緒をののの我紐緒
- 18絕絕たえええぬぬぬ間間まににに不絕間
- 19戀戀こい結結むすびびびせせせむむん戀結爲
- 20逢逢あははわむむん日日ひまでまでまでににに及相日
- 21新新にい墾墾ばりののの新治2855
- 22今今いま作作つくるるる路路みち今作路
- 23さやかさやかさやかにににももも淸
- 24聞聞ききききてててけるけるけるかもかもかも聞鴨
- 25妹妹いもががが上上うえのののことことことををを妹於事矣
- 26山城山城やましろののの山代2856
- 27石田石田いわたののの杜杜もりににに石田社
- 28心心こころ鈍鈍おそくくく心鈍
- 29手手た向向むけしししたれたれたれややや手向爲在
- 30妹妹いもににに逢逢あひひい難難がたききき妹相難
現代語訳
〔2851〕人に見える上紐は結んでおいて、人の見ない下紐を解いて、恋い慕う日が多いことだ。
〔2852〕人の噂のうるさい時に、いとしい人が衣であったなら、下に着ていようものを。
〔2853〕(眞珠つく)遠い先のことまで思いやって、一重の衣を一人で着て寝ることだ。
〔2854〕白妙の私の衣の紐の緒が切れないうちに、恋の結びをしておこう。逢う日までのために。
〔2855〕新しく切り開いて今作っている道のように、はっきりと聞いたことだ。いとしい人の身の上のことを。
〔2856〕山城の石田の杜に、心おろそかに手向けをしたからか、いとしい人に逢いにくいことだ。
意訳
人麻呂歌集の寄物陳思の歌である。上紐は結んで人目を繕い、人知れず下紐を解いて恋人を待つ歌、恋人が衣なら下に着て噂を避けられるのにという歌、遠い先を思って一重衣で独り寝る歌、逢う日のために紐の緒で恋の結びをしようという歌、新しい道のようにはっきり恋人の噂を聞いた歌、手向けがおろそかだったので恋人に逢えないのかと悔やむ歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 表
- 「うへ」。上紐。
- 裏紐
- 「したひも」。下紐。
- 眞珠つく
- 「をち」にかかる枕詞。
- 遠をしかねて
- 遠い先までかけて。
- 戀結び
- 恋が成就するようにまじないとして紐を結ぶこと。
- 新墾
- 「にひばり」。新しく切り開くこと。
- 心鈍く
- 「こころおそく」。心をこめずに、おろそかに。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十二・相聞・2851〜2856番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 寄物陳思(紐・衣・道・杜に寄せる)。柿本人麻呂歌集の歌。
修辞
- 対句
- 2851番の「人に見ゆる表」と「人の見ぬ裏紐」。
- 序詞
- 2855番の上二句が「さやか」を導く。
解説
2856番の石田の杜は旅の安全を祈る神社で、手向けをおろそかにした報いで恋人に逢えないとする発想がおもしろい。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、465頁(コマ25)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、536頁(コマ32)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日