万葉集 巻第十 2258〜2265番
秋萩の 枝もとををに
萩の枝もたわむほど置く露のように消えてしまいたい。萩に白露が置くたびに君の姿を偲ぶ。妻が衣であれば寒いこの頃下に着るのに。泊瀬風の吹く夜更けにいつまで独り寝するのか。萩を散らす長雨の頃は独り起きて恋う夜が多い。時雨の山霧のように晴れない胸は誰を見たら晴れるのか。こおろぎの喜ぶ秋の夜も寝る甲斐がない。かじかの声だけでも聞ければ恋しくはない。秋の相聞八首。
題詞(露に寄す)/風に寄す/雨に寄す/蟋蟀に寄す/蝦に寄す
- 1秋秋あき萩萩はぎののの秋芽子之2258 露
- 2枝枝えだもももとををにとををにとををに枝毛十尾爾
- 3置置おくくく露露つゆののの置露之
- 4消消けかかかもももしししなましなましなまし消毳死猿
- 5戀戀こひひいつつつつつつあらあらあらずずずははは戀乍不有者
- 6秋秋あき萩萩はぎののの秋芽子之2259 露
- 7上上うえににに白白しら露露つゆ上爾白露
- 8置置おくくくごとごとごとににに每置
- 9見見みつつつつつつぞぞぞしぬぶしぬぶしぬぶ見管曾思努布
- 10君君きみががが光儀光儀すがたををを君之光儀乎
- 11我我わぎ妹妹も子子こははは吾妹子者2260 風
- 12衣衣きぬにににあらあらあらなむなむなん衣丹有南
- 13秋秋あき風風かぜののの秋風之
- 14寒寒さむききき此此こののの頃頃ごろ寒比來
- 15下下したににに著著きましましましををを下著益乎
- 16泊瀨泊瀨はつせ風風かぜ泊瀨風2261 風
- 17かくかくかく吹吹ふくくく三更三更よいははは如是吹三更者
- 18何時何時いつまでまでまでかかか及何時
- 19衣衣ころも片片かた敷敷しききき衣片敷
- 20吾吾わがががひとりひとりひとり宿宿ねむむむ吾一將宿
- 21秋秋あき萩萩はぎををを秋芽子乎2262 雨
- 22散散ちらすらすらす長長なが雨雨めののの令落長雨之
- 23零零ふるるる頃頃ころははは零比者
- 24一人一人ひとり起起おききき居居いててて一起居而
- 25戀戀こふるふるうる夜夜よぞぞぞ多多おおききき戀夜曾大寸
- 26九月九月ながつきののの九月2263 雨
- 27時雨時雨しぐれののの雨雨あめののの四具禮乃雨之
- 28山山やま霧霧ぎりののの山霧
- 29いぶせきいぶせきいぶせき吾吾わががが胸胸むね煙寸吾胷
- 30誰誰たれををを見見みばばば息息やまままむむん誰乎見者將息
- 31こほろぎこほろぎこおろぎののの蟋蟀之2264 蟋蟀
- 32待待まちちち歡歡よろこべべべるるる待歡
- 33秋秋あきののの夜夜よををを秋夜乎
- 34寐寐ぬるるるしるししるししるしなしなしなし寐驗無
- 35枕枕まくらととと吾吾われははは枕與吾者
- 36朝朝あさ霞霞がすみ朝霞2265 蝦
- 37香火屋香火屋かびやががが下下したににに鹿火屋之下爾
- 38鳴鳴なくくくかはづかはづかわず鳴蝦
- 39聲聲こえだにだにだに聞聞きかかかばばば聲谷聞者
- 40吾吾われ戀戀こひひいめめめやややももも吾將戀八方
現代語訳
〔2258〕秋萩の枝もたわむほどに置く露のように、消えてしまいたいものだ。恋い続けているくらいなら。
〔2259〕秋萩の上に白露が置くたびに、それを見ながら偲んでいる。あなたの姿を。
〔2260〕いとしい人が衣であってくれたらよいのに。秋風の寒いこの頃、肌に近く着ていたいものを。
〔2261〕泊瀬風がこのように吹く夜更けは、いつまで衣の片袖を敷いて、私は独りで寝るのだろうか。
〔2262〕秋萩を散らす長雨の降る頃は、独り起きていて恋しく思う夜が多いことだ。
〔2263〕九月の時雨の雨の中の山霧のように、晴れない私の胸は、誰を見たら晴れるのだろうか。
〔2264〕こおろぎが待ちかねて喜ぶ秋の夜長も、寝る甲斐がない。枕と私だけなので。
〔2265〕(朝霞)鹿火屋の下で鳴くかじかの声のように、せめて声だけでも聞けたなら、私がこれほど恋しく思うだろうか。
意訳
露・風・雨・こおろぎ・かじかに寄せた恋の歌である。萩に置く露のように消えたいほどの恋、萩の白露を見るたびに偲ぶ恋人の姿、寒い秋風に恋人が衣であれば肌に着たいという願い、泊瀬風の夜更けの独り寝、長雨の夜に独り起きて恋う思い、時雨の山霧のように晴れない胸、こおろぎの喜ぶ秋の夜も枕と二人きりで寝る甲斐がないという嘆き、恋人の声だけでも聞ければと願う歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- とををに
- たわむほどに。
- 光儀
- 「すがた」。姿。
- 三更
- 「よひ」。夜更け。
- いぶせき
- 心が晴れない、うっとうしい。
- 香火屋
- 「かびや」。鹿や猪を追うために火をたく小屋、または蚊遣火の小屋とも。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十・相聞・2258〜2265番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 秋の相聞の歌。
修辞
- 序詞
- 2263番の上三句が「いぶせき」を、2265番の上三句が「聲」を導く。
- 擬人
- 2264番は枕と自分の二人だけという。
解説
秋の夜長の独り寝を嘆く歌は、虫の声や風雨とともに秋の相聞の中心となっている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、413頁(コマ210)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、472頁(コマ242)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日