万葉集 巻第十 2222〜2229番
夕さらず 河蝦鳴くなる
夕べごとにかじかの鳴く三輪川の清い瀬音を聞くのはよい。天の海に月の船を浮かべ桂の楫で漕ぐ月人壮士が見える。夜が更けたらしい、雁の声の聞こえる空を月が渡る。夫の挿す萩の露を清かに見よと月が照る。物思いで眠れないのに秋の月がむやみに照る。時雨の後雲が晴れて月夜がさやかだ。萩の花盛りを見よとてか月が清く恋がまさる。白露を玉にした九月の有明の月夜は見飽きない。川と月の歌八首。
題詞河を詠める/月を詠める
- 1夕夕ゆうさらさらさらずずず暮不去2222 河
- 2河蝦河蝦かわず鳴鳴なくくくなるなるなる河蝦鳴成
- 3三輪三輪みわ河河がわののの三和河之
- 4淸淸きよききき瀨瀨せののの音音とををを清瀨音乎
- 5聞聞きかかかくくくししし宜宜よろしししももも聞師吉毛
- 6天天あめののの海海うみににに天海2223 月
- 7月月つきののの船船ふね浮浮うけけけ月船浮
- 8桂桂かつら梶梶かじ桂梶
- 9かけかけかけててて榜榜こぐぐぐ見見みゆゆゆ懸而搒所見
- 10月月つき人人ひと壯子壯子おとこ月人壯子
- 11此此こののの夜夜よらららははは此夜等者2224 月
- 12さささ夜夜よふけふけふけぬぬぬらしらしらし沙夜深去良之
- 13鴈鴈かりががが音音ねののの鴈鳴乃
- 14聞聞きこゆるゆるゆる空空そらゆゆゆ所聞空從
- 15月月つき立立たちちち渡渡わたるるる月立度
- 16吾吾わが背背せ子子こががが吾背子之2225 月
- 17挿頭挿頭かざしののの萩萩はぎににに挿頭之芽子爾
- 18おくおくおく露露つゆををを置露乎
- 19淸淸さやかかかににに見見みよよよととと清見世跡
- 20月月つきははは照照てるるるらしらしらし月者照良思
- 21心心こころなきなきなき無心2226 月
- 22秋秋あきののの月月つく夜夜よののの秋月夜之
- 23ものものもの念念もふふうととと物念跡
- 24寐寐いののの宿宿ねらえらえらえぬぬぬににに寐不所宿
- 25照照てりりりつつつつつつもとなもとなもとな照乍本名
- 26思思おもははわぬぬぬににに不念爾2227 月
- 27時雨時雨しぐれののの雨雨あめははは四具禮乃雨者
- 28零零ふりりりたれたれたれどどど零有跡
- 29天天あま雲雲ぐも霽霽はれれれててて天雲霽而
- 30月月つく夜夜よさやけしさやけしさやけし月夜清焉
- 31萩萩はぎががが花花はな芽子之花2228 月
- 32咲咲さきききのののををりををりおおりををを開乃乎再入緒
- 33見見みよよよとととかもかもかも見代跡可聞
- 34月月つく夜夜よののの淸淸きよききき月夜之清
- 35戀戀こい益益まさらくらくらくににに戀益良國
- 36白白しら露露つゆををを白露乎2229 月
- 37玉玉たまににになしなしなしたるたるたる玉作有
- 38九月九月ながつきののの九月
- 39ありあけありあけありあけののの月月つく夜夜よ在明之月夜
- 40見見みれれれどどど飽飽あかかかぬぬぬかもかもかも雖見不飽可聞
現代語訳
〔2222〕夕べごとにかじかの鳴いている三輪川の、清らかな瀬の音を聞くのは、よいものだ。
〔2223〕天の海に月の船を浮かべて、桂の楫を取りつけて漕いでいるのが見える。月人壮士が。
〔2224〕今夜は夜が更けたらしい。雁の声の聞こえる空を、月が渡って行く。
〔2225〕あの人が髪に挿した萩に置く露を、はっきり見よというので、月は照っているらしい。
〔2226〕思いやりのない秋の月夜よ、物思いをして眠ることもできないのに、照り続けて、むやみに。
〔2227〕思いがけず時雨の雨は降ったけれど、空の雲が晴れて、月夜がさやかなことだ。
〔2228〕萩の花の咲きたわんでいるのを見よというのだろうか。月夜が清らかで、恋しさが増すのに。
〔2229〕白露を玉のように光らせている九月の有明の月夜は、見ても見飽きないことだ。
意訳
川と月を詠んだ歌である。夕べごとに聞く三輪川のかじかの声と瀬音、天の海に月の船を浮かべて桂の楫で漕ぐ月人壮士、雁の声の空を渡る夜更けの月、夫の挿頭の萩に置く露を照らす月、物思いで眠れない夜にむやみに照る月、時雨の後に晴れたさやかな月夜、萩の花盛りを照らして恋しさを募らせる月、白露を玉のように光らせる有明の月が詠まれる。
語釈・文法注
文法・本文
- 聞かくし宜しも
- 聞くことがよい。
- 桂梶
- 月に生えるという桂で作った楫。
- 寐の宿らえぬ
- 眠ることができない。
- ををり
- 枝がたわむほど咲いていること。
- ありあけ
- 夜明けになっても空に残っている月。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十・雑歌・2222〜2229番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 秋の雑歌。川と月を詠んだ歌。
修辞
- 見立て
- 2223番は、月を船、空を海、星を桂の楫に見立てる。
- 擬人
- 2226番は月を「心なき」ものとして責める。
解説
2223番は巻第七の1068番(人麻呂歌集「天の海に雲の波立ち月の船」)と同じ発想による。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、410頁(コマ209)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、468頁(コマ240)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日