万葉集 巻第十 2157〜2166番
暮影に 來鳴くひぐらし
夕暮れに来て鳴くひぐらしは毎日聞いても飽きない。秋風が寒く吹くにつれ、庭の浅茅のもとでこおろぎが鳴く。屋外の夕陰に鳴くこおろぎ、庭草に村雨が降ってこおろぎの声に秋を知る。吉野の岩辺で鳴くかじか、神名火の山の下の水に鳴くかじか、旅で聞くかじか、白波の瀬に鳴くかじか、上流で妻を呼ぶかじか。池の波間で鳴く鳥。蝉・こおろぎ・かじか・鳥の歌十首。
題詞蟬を詠める/蟋蟀を詠める/蝦を詠める/鳥を詠める
- 1暮暮ゆう影影かげににに暮影2157 蟬
- 2來來き鳴鳴なくくくひぐらしひぐらしひぐらし來鳴日晩之
- 3幾許幾許ここだくももも幾許
- 4日日ひ每每ごとににに聞聞きけけけどどど每日聞跡
- 5飽飽あかかかぬぬぬ聲聲こえかもかもかも不足音可聞
- 6秋秋あき風風かぜののの秋風之2158 蟋蟀
- 7寒寒さむくくく吹吹ふくくくなべなべなべ寒吹奈倍
- 8吾吾わががが屋前屋前にはののの吾屋前之
- 9淺淺あさ茅茅じがががもともともとににに淺茅之本
- 10蟋蟀蟋蟀こおろぎ鳴鳴なくくくももも蟋蟀鳴毛
- 11影影かげ草草くさののの影草乃2159 蟋蟀
- 12生生おひひいたるたるたる屋外屋外やどののの生有屋外之
- 13暮暮ゆう陰陰かげににに暮陰爾
- 14鳴鳴なくくく蟋蟀蟋蟀こおろぎははは鳴蟋蟀者
- 15聞聞きけけけどどど飽飽あかかかぬぬぬかもかもかも雖聞不足可聞
- 16庭庭にわ草草くさににに庭草爾2160 蟋蟀
- 17村村むら雨雨さめふりふりふりててて村雨落而
- 18こほろぎこほろぎこおろぎののの蟋蟀之
- 19鳴鳴なくくく聲聲こえ聞聞きけけけばばば鳴音聞者
- 20秋秋あきづきづきずきにににけりけりけり秋付爾家里
- 21みみみ吉野吉野よしぬののの三吉野乃2161 蝦
- 22石石いそ本本もと去去さらららずずず石本不避
- 23鳴鳴なくくく蝦蝦かわず鳴川津
- 24うべうべうべももも鳴鳴なきききけりけりけり諾文鳴來
- 25河河かはををを淸淸さやけみけみけみ河乎淨
- 26神神かむ名名な火火びののの神名火之2162 蝦
- 27山山やま下下した響響とよみみみ山下動
- 28行行ゆくくく水水みずににに去水丹
- 29かはづかはづかわずなくなくなくなりなりなり川津鳴成
- 30秋秋あきととと云云いははわむむんとととややや秋登將云鳥屋
- 31草草くさ枕枕まくら草枕2163 蝦
- 32旅旅たびににに物物もの念念おもひひい客爾物念
- 33吾吾わががが聞聞きけけけばばば吾聞者
- 34夕夕ゆう片片かた設設まけけけててて夕片設而
- 35鳴鳴なくくくかはづかはづかわずかもかもかも鳴川津可聞
- 36瀨瀨せををを速速はやみみみ瀨乎速見2164 蝦
- 37落落おちちち激激たぎちちちたるたるたる落當知足
- 38白白しら浪浪なみににに白浪爾
- 39かはづかはづかわず鳴鳴なくくくなりなりなり川津鳴奈里
- 40朝朝あさ夕夕よいごとごとごとににに朝夕每
- 41上上かみつつつ瀨瀨せににに上瀨爾2165 蝦
- 42かはづかはづかわず妻妻つま呼呼よぶぶぶ河津妻呼
- 43夕夕ゆうされされさればばば暮去者
- 44衣衣ころも手手で寒寒さむみみみ衣手寒三
- 45妻妻つままかまかまかむむんとととかかか妻將枕跡香
- 46妹妹いもががが手手てををを妹手乎2166 鳥
- 47取石取石とろしののの池池いけののの取石池之
- 48浪浪なみののの間間まゆゆゆ浪間從
- 49鳥鳥とりががが音音ね異異けににに鳴鳴なくくく鳥音異鳴
- 50秋秋あき過過すぎぎぎぬぬぬらしらしらし秋過良之
現代語訳
〔2157〕夕暮れの光の中に来て鳴くひぐらしは、これほどにも毎日聞いているのに、聞き飽きない声だなあ。
〔2158〕秋風が寒く吹くにつれて、わが家の庭の浅茅の根もとで、こおろぎが鳴いていることよ。
〔2159〕物陰の草の生えている庭の夕陰に鳴くこおろぎは、聞いても聞き飽きないことだ。
〔2160〕庭の草にむら雨が降って、こおろぎの鳴く声を聞くと、すっかり秋らしくなったことだ。
〔2161〕吉野の岩辺を離れずに鳴くかじかは、なるほどよく鳴くことだ。川が清らかなので。
〔2162〕神名火の山の下を響かせて流れる水に、かじかが鳴いている。秋だと言おうとしてだろうか。
〔2163〕(草枕)旅にあって物思いをしながら私が聞くと、夕方を待ち受けて鳴くかじかであることよ。
〔2164〕瀬が早いので激しく流れ落ちる白波の中で、かじかが鳴いている。朝ごと夕ごとに。
〔2165〕上流の瀬でかじかが妻を呼んでいる。夕方になると袖が寒いので、妻を抱いて寝ようというのだろうか。
〔2166〕(妹が手を)取石の池の波間から、鳥の声がいつもと違って鳴いている。秋は過ぎてしまったらしい。
意訳
秋の虫や生き物の声を詠んだ歌である。毎日聞いても飽きない夕暮れのひぐらし、秋風とともに浅茅の根もとで鳴くこおろぎ、夕陰のこおろぎの声、村雨の後のこおろぎに深まる秋を感じる歌、吉野の清い川に鳴くかじか、神名火山の下の流れに秋を告げるように鳴くかじか、旅の夕べに聞くかじか、白波の中で朝夕に鳴くかじか、寒い夕べに妻を呼ぶかじか、取石の池で声の変わった鳥に秋の過ぎ去るのを知る歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 幾許
- 「ここだく」。これほどに。
- 蟋蟀
- 「こほろぎ」。秋に鳴く虫の総称。
- 影草
- 物陰に生える草。
- 蝦
- 「かはづ」。かじか蛙。
- 異に
- 「けに」。ふだんと違って。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十・雑歌・2157〜2166番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 秋の雑歌。蝉・こおろぎ・かじか・鳥を詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 2163番の「草枕」が「旅」に、2166番の「妹が手を」が「取石」にかかる。
解説
万葉集の「かはづ」は、清流に住んで美しい声で鳴くかじか蛙を指すことが多い。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、405頁(コマ206)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、461頁(コマ236)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日