万葉集 巻第十 2141〜2146番
この頃の 秋の朝明に
この頃の秋の明け方、霧に隠れて妻を呼ぶ雄鹿の声のさやけさ。牡鹿が妻を呼ぶ声が届く限り萩原よなびけ。君を恋うてしおれていると、敷の野の萩を押し分けて牡鹿が鳴く。雁は来た、萩は散ったと鹿の声もしおれた。萩への恋も尽きず、鹿の声が続くほど恋が増す。山近くに住むべきか、鹿の声を聞いて眠れない。鹿の鳴く声を詠んだ歌六首。
場面イラスト(準備中)
題詞鹿鳴を詠める
- 1このこのこの頃頃ごろののの比日之2141
- 2秋秋あきののの朝朝あさ明明けににに秋朝開爾
- 3霧霧きり隱隱がくりりり霧隱
- 4妻妻つま呼呼よぶぶぶ雄雄し鹿鹿かののの妻呼雄鹿之
- 5聲聲こえののの亮亮さやけさけさけさ音之亮左
- 6さささををお鹿鹿しかののの左男牡鹿之2142
- 7妻妻つまととのふととのふととのうととと妻整登
- 8鳴鳴なくくく聲聲こえののの鳴音之
- 9至至いたらららむむん極極きわみ將至極
- 10なびけなびけなびけ萩萩はぎ原原はら靡芽子原
- 11君君きみににに戀戀こひひい於君戀2143
- 12うらぶれうらぶれうらぶれ居居おれれればばば裏觸居者
- 13敷敷しきののの野野ぬののの敷野之
- 14秋秋あき萩萩はぎ凌凌しぬぎぎぎ秋芽子凌
- 15さささををお鹿鹿しか鳴鳴なくくくももも左牡鹿鳴裳
- 16鴈鴈かりははは來來きぬぬぬ鴈來2144
- 17萩萩はぎははは散散ちりりりぬぬぬととと芽子者散跡
- 18さささををお鹿鹿しかののの左小牡鹿之
- 19鳴鳴なくくくなるなるなる音音こえももも鳴成音毛
- 20うらぶれうらぶれうらぶれにににけりけりけり裏觸丹來
- 21秋秋あき萩萩はぎののの秋芽子之2145
- 22戀戀こいももも盡盡つきききねねねばばば戀裳不盡者
- 23さささををお鹿鹿しかののの左小鹿之
- 24聲聲こえいいい續續つぎぎぎいいい續續つぎぎぎ聲伊續伊繼
- 25戀戀こいこそこそこそ益益まされれれ戀許增益焉
- 26山山やま近近ちかくくく山近2146
- 27家家いえややや居居おるるるべきべきべき家哉可居
- 28さささををお鹿鹿しかののの左小牡鹿乃
- 29音音こえををを聞聞ききききつつつつつつ音乎聞乍
- 30宿宿いねねねがてがてがてぬぬぬかもかもかも宿不勝鴨
現代語訳
〔2141〕この頃の秋の明け方に、霧に隠れて妻を呼ぶ雄鹿の声の、なんとさやかなことよ。
〔2142〕牡鹿が妻を呼び寄せようと鳴く声の、届くかぎりの果てまで、なびけ、萩原よ。
〔2143〕あなたを恋しく思ってしおれていると、敷の野の秋萩を押し分けて、牡鹿が鳴いている。
〔2144〕雁はやって来た、萩は散ったと、牡鹿の鳴いている声も、しおれてしまったことだ。
〔2145〕秋萩への恋も尽きないので、牡鹿の声が続きに続くように、恋しさがいっそう募ることだ。
〔2146〕山の近くに家を構えて住むべきだろうか。牡鹿の声を聞きながら、眠ることもできないことよ。
意訳
鹿の鳴く声を詠んだ歌である。秋の明け方の霧の中で妻を呼ぶ雄鹿のさやかな声、その声の届く限り萩原よなびけと願う歌、恋にしおれる自分と萩を押し分けて鳴く鹿、雁が来て萩が散ったとしおれた声で鳴く鹿、萩への恋が尽きず鳴き続ける鹿の声に恋が募る思い、山近くに住んで鹿の声に眠れないという歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 亮けさ
- 「さやけさ」。澄んではっきりしていること。
- 妻ととのふ
- 妻を呼び寄せる。
- うらぶれ
- しおれて、元気をなくして。
- 宿ねがてぬ
- 眠ることができない。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十・雑歌・2141〜2146番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 秋の雑歌。鹿の鳴く声を詠んだ歌。
修辞
- 擬人
- 鹿が萩を妻として恋うという見立て。
解説
鹿の鳴く声は、妻を恋う声として秋の哀感を誘うものとされ、のちの和歌でも秋の代表的な景物となった。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、403頁(コマ205)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、460頁(コマ236)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日