万葉集 巻第十 1982〜1986番
晩蟬は 時と鳴けども
ひぐらしは時を定めて鳴くが、恋に悩む手弱女の私は時を定めず泣く。人の噂が夏野の草のように繁くても、妹と手を取り合って寝られるなら。この頃の恋の繁さは夏草のように刈っても生い茂る。夏野の葛のように繁く恋したら命は続くまい。私だけがこうも恋しいのか、かきつばたのように美しい妹はどうしているか。蝉と草に寄せた恋の歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞蟬に寄す/草に寄す
- 1晩蟬晩蟬ひぐらしははは日倉足者1982 蟬
- 2時時ときととと鳴鳴なけけけどもどもども時常雖鳴
- 3物物もの戀戀こいににに物戀
- 4手弱女手弱女たわやめ我我われははは手弱女我者
- 5定定さだまらまらまらずずず泣泣なくくく不定哭
- 6人人ひと言言ごとははは人言者1983 草
- 7夏夏なつ野野ぬののの草草くさののの夏野乃草之
- 8繁繁しげくくくともともとも繁友
- 9妹妹いもととと吾吾われとととししし妹與吾
- 10携携たずさはりはりわり宿宿ねばばば携宿者
- 11このこのこの頃頃ごろののの迺者之1984 草
- 12戀戀こいののの繁繁しげけくけくけく戀乃繁久
- 13夏夏なつ草草くさののの夏草乃
- 14苅苅かりりり掃掃はらへへえどもどもども苅掃友
- 15生生おひひいしくしくしく如如ごとししし生布如
- 16眞田葛眞田葛まくず延延はふふう眞田葛延1985 草
- 17夏夏なつ野野ぬののの繁繁しげくくく夏野之繁
- 18斯斯かくくく戀戀こひひいばばば如是戀者
- 19まことまことまこと吾吾わががが命命いのち信吾命
- 20常常つねならならならめめめやややももも常有目八方
- 21吾吾われのみのみのみややや吾耳哉1986 草
- 22斯斯かくくく戀戀こいすすすらむらむらん如是戀爲良武
- 23杜若杜若かきつばた垣津旗
- 24丹丹にづらふづらふずらう妹妹いもははは丹頰合妹者
- 25如何如何いかにににかかかあらあらあらむむん如何將有
現代語訳
〔1982〕ひぐらしは時を定めて鳴くけれども、恋の物思いのために、たおやかな女の私は、時も定めず泣いている。
〔1983〕人の噂は夏の野の草のように繁くても、いとしい人と私とが手を取り合って寝られるのなら。
〔1984〕この頃の恋の繁さは、夏草を刈り払っても、また生い茂ってくるようなものだ。
〔1985〕真葛の這う夏の野が茂るように、こうも繁く恋い慕っていたら、本当に私の命は長く続くだろうか。
〔1986〕私だけがこんなに恋しく思っているのだろうか。かきつばたのように赤く美しい頬のあの人は、どう思っているのだろう。
意訳
蝉と草に寄せた恋の歌である。時を定めて鳴くひぐらしと違い、恋に悩む女は時も定めず泣く。夏野の草のように噂が繁くても恋人と寝られるならかまわないと思い、この頃の恋の思いは刈っても刈っても生える夏草のようだと嘆く。葛の茂る夏野のように繁く恋い続けたら命も続くまいと思い、自分だけが恋しいのか、美しいあの人はどう思っているのかと問いかける。
語釈・文法注
文法・本文
- 物戀
- 恋の物思い。
- 手弱女
- 「たわやめ」。たおやかな女性。
- 生ひしく
- 生い茂る。
- 丹づらふ
- 赤く照り映える。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十・相聞・1982〜1986番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 夏の相聞。蝉と草に寄せた恋の歌。
修辞
- 序詞
- 1985番の「眞田葛延ふ夏野の」が「繁く」を導く。
- 枕詞
- 1986番の「杜若」が「丹づらふ」にかかる。
解説
夏草の繁茂は、恋の思いや噂の多さのたとえとして好んで用いられた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、391頁(コマ199)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、445頁(コマ228)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日