万葉集 巻第十 1861〜1867番
能登河の 水底さへに
能登川の水底まで照り輝くほどに三笠の山の花が咲いた。雪を見るとまだ冬だが春霞が立ち梅が散る。去年咲いた久木がむなしく散るのか、見る人もなく。山あいを照らす桜がこの春雨に散るだろうか。遠くの梢が咲いていく。高円の桜、阿保山の桜。春の花の歌七首。
場面イラスト(準備中)
題詞(花を詠める)
- 1能登河能登河のとがはののの能登河之1861
- 2水水みな底底そこさへさへさへににに水底并爾
- 3光光てるるるまでまでまでににに光及爾
- 4三笠三笠みかさののの山山やまははは三笠之山者
- 5咲咲さきききにににけるけるけるかもかもかも咲來鴨
- 6雪雪ゆき見見みれれればばば見雪者1862
- 7いまだいまだいまだ冬冬ふゆなりなりなり未冬有
- 8しかすがしかすがしかすがににに然爲蟹
- 9春春はる霞霞がすみ立立たちちち春霞立
- 10梅梅うめははは散散ちりりりつつつつつつ梅者散乍
- 11去年去年こぞ咲咲さきききししし去年咲之1863
- 12久木久木ひさぎ今今いま咲咲さくくく久木今開
- 13徒徒いたずらららににに徒
- 14地地つちにににやややおちおちおちむむん土哉將墮
- 15見見みるるる人人ひとなしなしなしににに見人名四二
- 16あしひきあしひきあしひきののの足日木之1864
- 17山山やまののの間間ま照照てらすらすらす山間照
- 18櫻櫻さくら花花ばな櫻花
- 19このこのこの春春はる雨雨さめににに是春雨爾
- 20散散ちりりり去去ゆかかかむむんかもかもかも散去鴨
- 21うちうちうち靡靡なびくくく打靡1865
- 22春春はるさりさりさり來來くらしらしらし春避來之
- 23山山やまののの際際まののの山際
- 24遠遠とおききき木末木末こぬれののの最木末之
- 25咲咲さききき行行ゆくくく見見みれれればばば咲往見者
- 26春春はる雉雉きぎし鳴鳴なくくく春鴙鳴1866
- 27高圓高圓たかまとののの邊邊へににに高圓邊丹
- 28さくらさくらさくら花花ばな櫻花
- 29散散ちりりりててて流流ながらふらふらう散流歷
- 30見見みむむむ人人ひともがもがもがももも見人毛我裳
- 31阿保阿保あほ山山やまののの阿保山之1867
- 32櫻櫻さくらののの花花はなははは佐宿木花者
- 33今日今日きょうもももかもかもかも今日毛鴨
- 34散散ちりりり亂亂みだるるるらむらむらん散亂
- 35見見みるるる人人ひと無無なしししににに見人無二
現代語訳
〔1861〕能登川の水の底までも照り輝くほどに、三笠の山は花が咲いたことだ。
〔1862〕雪を見ると、まだ冬である。それなのに春霞が立って、梅の花は散り続けている。
〔1863〕去年咲いた久木が今咲いている。むなしく地面に散り落ちるのだろうか、見る人もいないままに。
〔1864〕(あしひきの)山あいを照らす桜の花は、この春雨に散って行ってしまうのだろうか。
〔1865〕(うち靡く)春がやって来たらしい。山あいの遠い梢が次々と咲いて行くのを見ると。
〔1866〕春のきじが鳴く高円のあたりに、桜の花が散って流れていく。見る人がいればよいのに。
〔1867〕阿保山の桜の花は、今日もまた散り乱れているのだろうか。見る人もいないままに。
意訳
春の花の歌の続きである。能登川の水底まで輝かせる三笠山の花、雪の残る中で霞が立ち梅が散る季節の移ろい、見る人もなく散る久木、春雨に散ろうとする山の桜、遠くの梢から順に咲いていく花に春の到来を知る歌、見る人もないまま散る高円や阿保山の桜を惜しむ歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 水底さへに
- 水の底までも。
- 久木
- 「ひさぎ」。あかめがしわ、またはきささげとされる木。
- 流らふ
- 「ながらふ」。散って流れていく。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十・雑歌・1861〜1867番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 春の花を詠んだ歌。
修辞
- 枕詞
- 「あしひきの」が「山」に、「うち靡く」が「春」にかかる。
- 反復
- 1863番・1867番は「見る人なしに」「見る人無しに」と、見る人のいない花を惜しむ。
解説
高円・阿保山・三笠山は奈良の都の東の山々で、都人の花見の地であった。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、381頁(コマ194)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、431頁(コマ221)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日