万葉集 巻第九 1792〜1794番
白玉の 人のその名を
白玉のような人の名を、なまじっか心に秘めて逢えない日が多く過ぎ、恋しい日が重なるので、思いを晴らすすべもなく、心も砕けて、いつも口に出して恋い続ける娘を、玉釧のように手に取り、鏡のように直接見ないので、心の中で思うばかりで落ち着かない。娘子を思って作った田辺福麻呂歌集の歌。
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題詞娘子を思ひて作れる歌一首并に短歌
- 1白白しら玉玉たまののの人人ひとのののそのそのその名名なををを白玉之 人乃其名矣1792 長歌
- 2なかなかなかなかなかなかににに辭辭ことののの緒緒を下下した延延ばへへえ中々二 辭緒下延
- 3逢逢あははわぬぬぬ日日ひののの數多數多まねくくく過過すぐれぐれぐればばば不遇日之 數多過者
- 4戀戀こふるふるうる日日ひののの累累かさなりなりなり行行ゆけけけばばば戀日之 累行者
- 5思思おもひひい遣遣やるるるたどきたどきたどきををを知知しらららににに思遣 田時乎白土
- 6肝肝きも向向むかふふう心心こころ摧摧くだけけけててて肝向 心摧而
- 7珠珠たま襷襷だすき懸懸かけけけぬぬぬ時時とき無無なくくく珠手次 不懸時無
- 8口口くち息息やまままずずず吾吾わががが戀戀こふるふるうる兒兒こををを口不息 吾戀兒矣
- 9玉玉たま釧釧くしろ手手てににに取取とり持持もちちちててて玉釧 手爾取持而
- 10まそまそまそ鏡鏡かがみ直直ただ目目めににに見見みねねねばばば眞十鏡 直目爾不視者
- 11下下した檜檜ひ山山やま下下したゆくゆくゆく水水みずののの下檜山 下逝水乃
- 12上上うえににに出出いでででずずず吾吾わががが念念おもふふう情情こころ安安やすからからからぬぬぬかもかもかも上丹不出 吾念情 安虛歟毛
- 13垣垣かきほほほなすなすなす垣保成1793 反歌
- 14人人ひとののの橫橫よこ言言ごと人之橫辭
- 15繁繁しげみみみかもかもかも繁香裳
- 16逢逢あははわぬぬぬ日日ひ數多數多まねくくく不遭日數多
- 17月月つきののの經經へぬぬぬらむらむらん月乃經良武
- 18立立たち易易かわりりり立易1794 反歌
- 19月月つき重重かさなりなりなりててて月重而
- 20逢逢あははわざれざれざれどどど雖不遇
- 21眞實眞實さね忘忘わすらえらえらえずずず核不所忘
- 22面面おも影影かげにににしてしてして面影思天
現代語訳
〔1792〕(白玉の)あの人の名を、なまじっか言葉の緒を心の底に延ばして秘めているうちに、逢えない日が数多く過ぎ、恋しく思う日が重なっていくので、思いを晴らす手だてもわからずに、(肝向ふ)心も砕けて、(珠襷)心にかけない時はなく、口に出して絶えず私が恋い慕う娘を、玉の腕輪のように手に取り持って、(まそ鏡)じかに見ることがないので、下檜山の下を流れる水のように、表には出さずに私が思っている心は、落ち着かないことだ。
〔1793〕垣根のように取り巻く人々の中傷がうるさいからだろうか、逢えない日が多くて、月日が過ぎていくのだろう。
〔1794〕月が改まり、月を重ねて逢えないでいるけれど、本当に忘れられない。面影に浮かんで。
意訳
田辺福麻呂歌集の恋の長歌である。白玉のように美しい娘の名を心に秘めているうちに、逢えない日が重なり、思いを晴らすすべもなく心は砕ける。玉の腕輪のように手に取ることも、鏡のようにじかに見ることもできず、山陰を流れる水のように表には出せない思いに、心は落ち着かない。反歌では、人の噂がうるさくて逢えないまま月日が過ぎることを嘆き、月を重ねても面影は忘れられないと歌う。
語釈・文法注
文法・本文
- 下延へ
- 「したばへ」。心の底に思いを延ばして秘める。
- たどきを知らに
- 手だてもわからずに。
- 垣ほなす
- 垣根のように取り巻く。
- 眞實
- 「さね」。本当に、決して。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第九・相聞・1792〜1794番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 娘子を思って作った歌。田辺福麻呂歌集に出る。
修辞
- 枕詞
- 「白玉の」「肝向ふ」「珠襷」「まそ鏡」などの枕詞を連ねる。
- 序詞
- 「下檜山下ゆく水の」が「上に出でず」を導く。
解説
田辺福麻呂は橘諸兄の時代の宮廷歌人で、巻第六・巻第九に歌集の歌が多く収められている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、365頁(コマ186)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、415頁(コマ213)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日