万葉集 巻第九 1773〜1775番
神南備の 神依板に
神南備の神依板にする杉のように、思いは過ぎ去らない、恋がしきりなので。母の言葉なので、長い年月頼りにして過ごしてよいものか。泊瀬川を夕方渡って来て、いとしい人の家の門に近づいた。弓削皇子・舎人皇子に献った歌三首。
場面イラスト(準備中)
題詞弓削皇子に獻れる歌一首/舍人皇子に獻れる歌二首
- 1神南備神南備かむなびののの神南備1773 弓削皇子に獻る
- 2神神かみ依依より板板いたににに神依板爾
- 3爲爲するるる杉杉すぎののの爲杉乃
- 4念念おもひひいももも過過すぎぎぎずずず念母不過
- 5戀戀こいのののしげきしげきしげきににに戀之茂爾
- 6垂乳根垂乳根たらちねののの垂乳根乃1774 舍人皇子に獻る
- 7母母ははののの命命みことののの母之命乃
- 8言言ことにににあれあれあればばば言爾有者
- 9年年としののの緒緒を長長ながくくく年緒長
- 10憑憑たのみみみ過過すぎぎぎむむんややや憑過武也
- 11泊瀨泊瀨はつせ河河がわ泊瀨河1775 舍人皇子に獻る
- 12夕夕ゆう渡渡わたりりり來來きててて夕渡來而
- 13我我わぎ妹妹も子子こががが我妹兒何
- 14家家いえののの金門金門かなどににに家門
- 15近近ちかづきづきずきにににけりけりけり近春二家里
現代語訳
〔1773〕神南備の神依板にする杉の木のように、思いは過ぎ去ることがない。恋しさがしきりなので。
〔1774〕(垂乳根の)母上の言いつけなので、長い年月をあてにして過ごしてよいものだろうか。
〔1775〕泊瀬川を夕方に渡って来て、いとしい人の家の門に近づいたことだ。
意訳
人麻呂歌集の三首で、弓削皇子と舎人皇子に献った歌である。神を招く板にする杉にかけて、恋の思いが過ぎ去らないことを歌い、母の言いつけゆえに逢えない恋を、いつまで待てばよいのかと嘆き、夕暮れの泊瀬川を渡ってようやく恋人の家の門に近づいた喜びを歌う。
語釈・文法注
文法・本文
- 神依板
- 「かみよりいた」。神を招き寄せるために打ち鳴らす板。
- 年の緒
- 年月の長く続くのを緒にたとえる。
- 金門
- 「かなど」。金具をつけた門、門。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第九・相聞・1773〜1775番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 弓削皇子・舎人皇子に献った歌。柿本人麻呂歌集に出る。
修辞
- 序詞
- 1773番の「神南備の神依板に爲る杉の」が「過ぎ」を導く。
- 枕詞
- 1774番の「垂乳根の」が「母」にかかる。
解説
皇子に献った歌だが内容は恋の歌で、宴などで披露されたものとみられる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、361頁(コマ184)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、410頁(コマ211)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日