万葉集 巻第九 1753〜1754番
衣手 常陸の國の
常陸の筑波山を見たいと検税使の大伴卿が来られたので、汗をかきながら木の根につかまって登り、頂を見せると、男神も女神も許し恵んで、いつも雲や雨にとざされる筑波嶺をはっきりと照らし、国のすばらしさを見せてくれた。今日の楽しさは昔の人が来た日にもまさるだろう。
場面イラスト(準備中)
題詞撿稅使大伴卿の筑波山に登れる時の歌一首并に短歌
- 1衣衣ころも手手で常陸常陸ひだちののの國國くに衣手 常陸國1753 長歌
- 2二二ふた竝竝ならぶぶぶ筑波筑波つくばののの山山やまををを二並 筑波乃山乎
- 3見見みまくまくまく欲欲ほりりり君君きみ來來きませませませりりりととと欲見 君來座登
- 4熱熱あつけくけくけくににに汗汗あせかきかきかきなげなげなげ熱爾 汗可伎奈氣
- 5木木こののの根根ね取取とりりり嘯嘯うそぶきききのぼりのぼりのぼり木根取 嘯鳴登
- 6岑岑おののの上上うえををを君君きみににに見見みすれすれすればばば岑上乎 君爾令見者
- 7男男をののの神神かみももも許許ゆるししし賜賜たまひひい男神毛 許賜
- 8女女めののの神神かみももも幸幸ちわひひい給給たまひひいててて女神毛 千羽日給而
- 9時時ときとととなくなくなく雲雲くも居居い雨雨あめ零零ふるるる時登無 雲居雨零
- 10筑波筑波つくば嶺嶺ねををを淸淸さやににに照照てらしししててて筑波嶺乎 清照
- 11いぶかりいぶかりいぶかりししし國國くにのののまほらまほらまほらををを言借石 國之眞保良乎
- 12委曲委曲つばらかににに示示しめししし賜賜たまへへえばばば委曲爾 示賜者
- 13歡歡うれしみしみしみととと紐紐ひもののの緒緒を解解ときききててて歡登 紐之緒解而
- 14家家いえののの如如ごと解解とけけけてててぞぞぞ遊遊あそぶぶぶ家如 解而曾遊
- 15うちうちうち靡靡なびくくく春春はる見見みましましましゆゆゆははは打靡 春見麻之從者
- 16夏夏なつ草草くさののの茂茂しげくくくはははあれあれあれどどど今日今日きょうののの樂樂たぬしさしさしさ夏草之 茂者雖在 今日之樂者
- 17今日今日きょうののの日日ひににに今日爾1754 反歌
- 18いかにいかにいかにかかか及及しかかかむむん何如將及
- 19筑波筑波つくば嶺嶺ねににに筑波嶺
- 20昔昔むかしののの人人ひとののの昔人之
- 21來來きけむけむけむ其其そののの日日ひももも將來其日毛
現代語訳
〔1753〕(衣手)常陸の国に二つ並ぶ筑波の山を見たいと、あなたが来られたので、暑い中を汗をかき嘆息しながら、木の根につかまり、息をはずませて登って、峰の上をあなたにお見せすると、男神もお許しくださり、女神も恵みをお与えくださって、いつも雲がかかり雨の降る筑波嶺を、くっきりと照らし出して、気がかりだった国のすばらしい眺めを、つぶさにお示しくださったので、うれしくて、着物の紐を解いて、家にいるようにくつろいで遊ぶ。草木のなびく春に見るよりは、夏草が茂ってはいるけれど、今日の楽しさといったら。
〔1754〕今日の日の楽しさに、どうして及ぶだろうか。筑波嶺に昔の人が来たというその日でさえも。
意訳
検税使として常陸に来た大伴卿を案内して、筑波山に登った時の歌である。暑さの中を汗をかいて登ると、男体山・女体山の神々が許しと恵みを与え、いつもは雲に隠れる山頂から常陸の国の眺めをはっきりと見せてくれた。うれしさに紐を解いてくつろぎ、花の春よりも夏草の茂る今日の方が楽しいと歌う。反歌では、昔の人がここに来た日の楽しさも今日には及ぶまいと、客人を迎えた喜びを重ねる。
語釈・文法注
文法・本文
- 撿稅使
- 諸国の正税を検査するために派遣された官。
- 汗かきなげ
- 汗をかき、嘆息して。
- 嘯き
- 「うそぶき」。息をはずませて。
- いぶかりし
- 気がかりだった、見たいと思っていた。
- まほら
- すぐれてよい所。
- 春見ましゆは
- 春に見るよりは。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第九・雑歌・1753〜1754番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 検税使の大伴卿(大伴旅人とも、大伴道足ともいう)が筑波山に登った時の歌。高橋虫麻呂歌集に出る。
修辞
- 枕詞
- 「衣手」が「常陸」に、「うち靡く」が「春」にかかる。
- 対句
- 「男の神も 許し賜ひ 女の神も 幸ひ給ひて」。
解説
筑波山は男体山と女体山の二つの峰からなり、それぞれ男神・女神として祭られている。『常陸国風土記』には、筑波の神が祖神をもてなしたので、人々が集い遊ぶ山になったという話がある。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、357頁(コマ182)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、406頁(コマ209)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日