万葉集 巻第八 1574〜1580番
雲の上に 鳴くなる雁の
雲の上で鳴く雁のように遠いけれど、あなたに逢おうと遠回りしてやって来た。雁の寒さに色づく萩の下葉、鹿を追い立てるように心を尽くすのもあなたのため、尾花を押し分けて来た甲斐のある逢瀬、浅茅の色づき、白露の置く秋萩、露霜に散る萩。右大臣橘諸兄の家の宴の歌七首。
場面イラスト(準備中)
題詞右大臣橘家にて宴する歌七首
- 1雲雲くもののの上上うえににに雲上爾1574
- 2鳴鳴なくくくなるなるなる雁雁かりののの鳴奈流鴈之
- 3遠遠とおけけけどもどもども雖遠
- 4君君きみににに逢逢あははわむむんととと君將相跡
- 5徘徊徘徊たもとおりりり來來きつつつ手回來津
- 6雲雲くもののの上上うえににに雲上爾1575
- 7鳴鳴なきききつるつるつる雁雁かりののの鳴都流鴈乃
- 8寒寒さむきききなべなべなべ寒苗
- 9萩萩はぎののの下下した葉葉ばははは芽子乃下葉者
- 10黃變黃變うつろははわむむんかもかもかも黃變可毛
- 11このこのこの岳岳をかににに此岳爾1576 巨曾倍津島
- 12小小を牡牡し鹿鹿か履履ふみみみ起起たててて小牡鹿履起
- 13窺狙窺狙うかねらららひひひ宇加埿良比
- 14左左かももも右右かくもももすらくすらくすらく可聞可聞爲良久
- 15君君きみ故故ゆえにににこそこそこそ君故爾許曾
- 16秋秋あきののの野野ぬののの秋野之1577 阿倍虫麻呂
- 17草草お花花ばなががが末末うれををを草花我末乎
- 18おしおしおしなべなべなべててて押靡而
- 19來來こしししくくくもももしるくしるくしるく來之久毛知久
- 20逢逢あへへえるるる君君きみかもかもかも相流君可聞
- 21今今け朝朝さ鳴鳴なきききててて今朝鳴而1578 阿倍虫麻呂
- 22行行ゆきききししし雁雁かりががが音音ね行之鴈鳴
- 23寒寒さむみみみかもかもかも寒可聞
- 24このこのこの野野ぬののの淺淺あさ茅茅じ此野乃淺茅
- 25色色いろづきづきずきにににけるけるける色付爾家類
- 26朝朝あさ戸戸と開開あけけけててて朝扉開而1579 文馬養
- 27ものものもの思思おもふふう時時ときににに物念時爾
- 28白白しら露露つゆののの白露乃
- 29置置おけけけるるる秋秋あき萩萩はぎ置有秋芽子
- 30見見みえええつつつつつつもとなもとなもとな所見喚鷄本名
- 31さをさをさお鹿鹿しかののの棹牡鹿之1580 文馬養
- 32來來き立立たちちち鳴鳴なくくく野野ぬののの來立鳴野之
- 33秋秋あき萩萩はぎははは秋芽子者
- 34露露つゆ霜霜じも負負おひひいててて露霜負而
- 35散散ちりりりにににしししものものものををを落去之物乎
現代語訳
〔1574〕雲の上で鳴いている雁のように遠いけれど、あなたに逢おうと、遠回りしてやって来た。
〔1575〕雲の上で鳴いた雁の声が寒々と聞こえるとともに、萩の下葉は色づくのだろうか。
〔1576〕この岡で雄鹿を踏み立てて様子をうかがうように、あれこれと心を尽くすのは、あなたのためなのです。
〔1577〕秋の野の尾花の穂先を押しなびかせてやって来た甲斐があって、お逢いできたあなたですね。
〔1578〕今朝鳴いて行った雁の声が寒かったからか、この野の浅茅が色づいたことだ。
〔1579〕朝の戸を開けて物思いをしている時に、白露の置いた秋萩が、むやみに目について。
〔1580〕雄鹿が来て立って鳴く野の秋萩は、露や霜を受けて、散ってしまったのに。
意訳
天平10年(738)8月20日、右大臣橘諸兄の家での宴の歌である。客たちは、遠い道を遠回りしてまで主人に逢いに来たと挨拶し、雁の声に色づく萩、狩りの比喩で主人への心尽くしを述べる歌、尾花を押し分けて来た甲斐があったという歌、色づく浅茅、白露の萩、散ってしまった萩と、秋の景物を詠みこみながら、主人への親愛を表している。
語釈・文法注
文法・本文
- 徘徊り
- 「たもとほり」。遠回りして。
- 窺狙ひ
- 「うかねらひ」。様子をうかがって。
- もとな
- むやみに、わけもなく。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第八・雑歌・1574〜1580番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平10年(738)8月20日、右大臣橘諸兄の家で宴をしたときの歌七首。
修辞
- 序詞
- 1574番の「雲の上に鳴くなる雁の」が「遠けども」を、1576番の「この岳に小牡鹿履み起し窺狙ひ」が「左も右も」を導く。
解説
橘諸兄の邸での宴は、万葉集にくり返し記録されている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、324頁(コマ166)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、365頁(コマ188)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日