古典ライブラリー

万葉集 巻第八 1486〜1487番

吾が屋前の 花橘を

大伴家持(おおとものやかもち)

ほととぎすはわが家の花橘に来て鳴かないで、花を地に散らせてしまうつもりなのか。木が茂ってこんなになるまで、どうして来て鳴かないのか。ほととぎすの来るのが遅いのを恨んだ大伴家持の歌二首。

花の散りはじめた庭の橘の木の下で、若者が空を見上げてほととぎすを待っている

題詞大伴家持の霍公鳥の晩く喧くを恨むる歌二首

  1. 1吾わ吾わわががが屋に屋にに前は前ははののの吾屋前之1486
  2. 2花はな花はなはな橘たちばな橘たちばなたちばなををを花橘乎
  3. 3ほととぎすほととぎすほととぎす霍公鳥
  4. 4來き來きき喧な喧ななかかかずずず地つち地つちつちににに來不喧地爾
  5. 5散ち散ちちらしらしらしめめめむむんとととかかか令落常香
  6. 6霍公鳥ほととぎす霍公鳥ほととぎすほととぎす霍公鳥1487
  7. 7念おも念おもおもははわずずずありありありききき不念有寸
  8. 8木こ木ここののの晩くれ晩くれくれののの木晩乃
  9. 9斯か斯かかくくくなるなるなるまでまでまでににに如此成左右爾
  10. 10奈何など奈何などなどかかか來き來きき喧な喧ななかかかぬぬぬ奈何不來喧

引用の仕方

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現代語訳

〔1486〕わが家の庭の花橘を、ほととぎすは来て鳴かないで、地に散らせてしまおうというのか。

〔1487〕ほととぎすよ、思いもしなかった。木が茂って暗くなるこんな季節になるまで、どうして来て鳴かないのか。

意訳

花橘が咲いているのに、ほととぎすが来て鳴かないまま花が散ってしまいそうだと嘆き、木々が茂る盛夏になってもまだ来ないほととぎすを恨んでいる。

語釈・文法注

文法・本文

木の晩
「このくれ」。木が茂って暗い所。
奈何か
「などか」。どうして。

和歌

作者
大伴家持(718?–785)
大伴旅人の子。越中守などを務め、のちに中納言に至った。万葉集に最も多くの歌を残した。
出典
『万葉集』巻第八・雑歌・1486〜1487番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
状況
大伴家持が、ほととぎすの鳴くのが遅いのを恨んで詠んだ歌二首。

解説

ほととぎすの初音を待ちわびるのは、当時の貴族の風流であった。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、312頁(コマ160)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、351頁(コマ181)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日