万葉集 巻第六 1019〜1023番
石上 布留の尊は
石上の布留の尊は、たおやかな女に心を惑わされたために、馬のように縄をかけられ、鹿や猪のように弓矢に囲まれて、土佐の国へ流されていく。罪を得て土佐に流された石上乙麻呂の旅を、本人や周りの人々の立場から歌った長歌三首と反歌。
題詞石上乙麿卿の土佐國に配せられし時の歌三首并に短歌
- 1石上石上いそのかみ布留布留ふるののの尊尊みことははは石上 振乃尊者1019 長歌
- 2手手た弱弱わや女女めののの惑惑まどいににに緣緣よりりりててて弱女乃 惑爾緣而
- 3馬馬うまじものじものじもの繩繩なわ取取とりりり附附つけけけ馬自物 繩取附
- 4鹿猪鹿猪ししじものじものじもの弓弓ゆみ矢矢や圍圍かくみみみててて肉自物 弓笑圍而
- 5王王おおきみののの命命みこと恐恐かしこみみみ王 命恐
- 6天天あま離離ざかるるる夷夷ひな邊邊べににに退退まかるるる天離 夷部爾退
- 7古古ふる衣衣ごろも又打又打まつちののの山山やまゆゆゆ還還かえりりり來來こぬぬぬかもかもかも古衣 又打山從 還來奴香聞
- 8王王おおきみののの命命みこと恐恐かしこみみみ王 命恐見1020・1021 長歌
- 9さしさしさし竝竝ならぶぶぶ國國くにににに出出いでででますますますややや刺並 國爾出座耶
- 10吾吾わががが背背せののの君君きみををを懸懸かけけけまくまくまくももも吾背乃公矣 繫卷裳
- 11ゆゆしゆゆしゆゆし恐恐かしこししし住吉住吉すみのえののの湯湯石恐石 住吉乃
- 12現現あら人人ひと神神がみ船船ふなののの舳舳へににに荒人神 船舳爾
- 13領領うしはききき賜賜たまひひい附附つききき給給たまははわむむん牛吐賜 付賜將
- 14島島しまののの埼埼さき埼埼ざき依依よりりり賜賜たまははわむむん島之埼前 依賜將
- 15磯磯いそののの埼埼さき埼埼ざき荒荒あらききき浪浪なみ礒乃埼前 荒浪
- 16風風かぜににに遇遇あははわせせせずずず草草くさづつみづつみづつみ風爾 不令遇 草管見
- 17疾疾やまいあらあらあらせせせずずず急急すむやけくけくけく身疾不有 急
- 18還還かへししし賜賜たまははわねねね本本もとののの國國くに邊邊べににに令變賜根 本國部爾
- 19父父ちち公公ぎみににに吾吾われははは愛愛まな子子ごぞぞぞ父公爾 吾者眞名子叙1022 長歌
- 20妣妣はは刀刀と自自じににに吾吾われははは愛愛まな兒兒ごぞぞぞ妣刀自爾 吾者愛兒叙
- 21參參まい上上のぼるるる八十八十やそ氏氏うじ人人びとののの參昇 八十氏人乃
- 22手手た向向むけするするする恐恐かしこののの坂坂さかににに手向爲 恐乃坂爾
- 23幣幣ぬさ奉奉まつりりり吾吾われはははぞぞぞ退退まかるるる遠遠とおききき土佐土佐とさ道道じををを幣奉 吾者叙退 遠杵土左道矣
- 24大大おお埼埼さきののの大埼乃1023 反歌
- 25神神かみののの小小お濱濱ばまははは神之小濱者
- 26狹狹せばけけけどもどもども雖小
- 27百百もも船船ふな人人びとももも百船純毛
- 28過過すぐぐぐととといはいはいわなくなくなくににに過迹云莫國
現代語訳
〔1019〕石上の布留の尊は、たおやかな女に心を惑わされたために、馬のように縄をかけられ、鹿や猪のように弓矢で囲まれて、大君の仰せをかしこまって、(天離る)遠い田舎へ下っていく。(古衣)又打山から、帰ってこないものだろうか。
〔1020・1021〕大君の仰せをかしこまって、(さし竝ぶ)隣の国へお出かけになるのか、わが背の君を。口にするのも恐れ多い住吉の現人神よ、船の舳先にいらしてお守りくださり、お寄りになる島の崎々、お着きになる磯の崎々で、荒い波や風にあわせず、病気にもさせず、すみやかにお帰しください、もとの国へ。
〔1022〕父君にとって私はかわいい子だ。母君にとって私はかわいい子だ。都へ上る多くの氏人たちが手向けをする恐ろしい坂に、幣を奉って、私は下っていく。遠い土佐への道を。
〔1023〕大崎の神の小浜は狭いけれども、多くの船人も素通りしていくとは言わないのに。(私だけは寄ることもできずに過ぎていく。)
意訳
天平11年(739)、石上乙麻呂は、藤原宇合の未亡人であった久米若売との関係をとがめられ、土佐に流された。1019番は、罪人として縄をかけられ兵に囲まれて連れて行かれる乙麻呂を、第三者の立場から気の毒がり、早く帰ってきてほしいと歌う。1020・1021番は、妻の立場から住吉の神に夫の旅の無事と帰還を祈る。1022番は、乙麻呂自身の立場で、父母にかわいがられた自分が、都へ上る人々とは逆に遠い土佐へ下っていく悲しみを歌い、1023番の反歌は、大崎の小浜にさえ寄ることを許されない身の上を嘆いている。
語釈・文法注
文法・本文
- 馬じもの・鹿猪じもの
- 「じもの」は「…のようなもの」。馬のように、鹿や猪のように。
- 懸けまくも
- 口にかけて言うのも。
- 領き賜ひ
- 「うしはく」は支配する、鎮座する。
- 草づつみ
- 「つつみ」は障り、病気。
- 急けく
- すみやかに。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第六・雑歌・1019〜1023番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 天平11年(739)、石上乙麻呂が久米若売との事件によって土佐国に流されたときの歌。長歌三首と反歌一首からなる。
修辞
- 枕詞
- 「天離る」が「夷」に、「古衣」が「又打」にかかる。
- 対句
- 1022番の「父公に吾は愛子ぞ」と「妣刀自に吾は愛兒ぞ」、1020・1021番の「附き給はむ島の埼埼」と「依り賜はむ磯の埼埼」。
解説
作者は記されていないが、三首の長歌はそれぞれ世間の人・妻・本人の立場を分けて歌っており、乙麻呂の事件を題材にした歌物語のような構成になっている。乙麻呂は漢詩にもすぐれ、『懐風藻』に土佐での作が残る。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、245頁(コマ126)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、268頁(コマ140)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日