万葉集 巻第四 683〜689番
謂ふ言の 恐き國ぞ
人の噂の恐ろしい国だ、紅の色のように恋を表に出してはいけない、恋い死にしても。今はもう私は死んでしまおう、生きていてもあなたが私に寄り添うとは言わないのだから。坂上郎女の恋の歌七首。
題詞大伴坂上郎女の歌七首
- 1謂謂いふふう言言ことののの謂言之683
- 2恐恐かしこききき國國くにぞぞぞ恐國曾
- 3紅紅くれないののの紅之
- 4色色いろにににななな出出いでででそそそ色莫出曾
- 5念念おもひひい死死しぬぬぬともともとも念死友
- 6今今いまははは吾吾あははは今者吾波684
- 7死死しなななむむんよよよ吾吾わが背背せ將死與吾背
- 8生生いけけけりりりともともとも生十方
- 9吾吾われににに縁縁よるるるべしべしべしととと吾二可緣跡
- 10言言いふふうととといはいはいわなくなくなくににに言跡云莫苦荷
- 11人人ひと言言ごとををを人事685
- 12繁繁しげみみみややや君君きみががが繁哉君之
- 13二二ふた鞘鞘さやののの二鞘之
- 14家家いえををを隔隔へだてててててて家乎隔而
- 15戀戀こひひいつつつつつつ座座まさささむむん戀乍將座
- 16此此こののの頃頃ごろははは比者686
- 17千千ち歲歲とせややや往往ゆきききももも千歲八徃裳
- 18過過すぎぎぎぬるぬるぬるととと過與
- 19吾吾われややや然然しか念念おもふふう吾哉然念
- 20見見みまくまくまく欲欲ほれれれかもかもかも欲見鴨
- 21愛愛うつくしししととと愛常687
- 22吾吾わががが念念おもふふうこころこころこころ吾念情
- 23速速はや河河せののの速河之
- 24塞塞せくくくともともとも塞塞せくくくともともとも雖塞々友
- 25なほなほなおややや崩崩くえええなむなむなん猶哉將崩
- 26青青あお山山やまををを青山乎688
- 27横横よこ切切ぎるるる雲雲くもののの横殺雲之
- 28著著いちしろくろくろく灼然
- 29吾吾われととと咲咲えましましましててて吾共咲爲而
- 30人人ひとににに知知しらゆらゆらゆななな人二所知名
- 31海海うみ山山やまももも海山毛689
- 32隔隔へだたたたらららなくなくなくににに隔莫國
- 33何何なにしかしかしかももも奈何鴨
- 34目目め言言ごとをををだにだにだにももも目言乎谷裳
- 35幾許幾許ここだ乏乏ともしきしきしき幾許乏寸
現代語訳
〔683〕人の噂の恐ろしい国なのです。紅の色のように、恋を表に出してはいけません。思い死にをしても。
〔684〕今はもう私は死んでしまいましょう、あなた。生きていても、あなたが私に寄り添うと言ってくれるわけでもないのに。
〔685〕人の噂がうるさいからか、あなたは、二つの鞘のように二つの家に隔てられて、恋い続けておいでなのでしょうか。
〔686〕このごろは、千年も過ぎてしまったかと私はそう思う。逢いたいからだろうか。
〔687〕いとしいと私が思う心は、速い川の流れのように、せき止めてもせき止めても、やはりあふれて崩れてしまうだろう。
〔688〕青い山を横切る雲のようにはっきりと、私にほほえみかけて、人に知られないでください。
〔689〕海や山が隔てているわけでもないのに、どうして、顔を見て言葉を交わすことさえ、こんなに少ないのだろう。
意訳
坂上郎女の恋の歌七首である。うわさの恐ろしい世の中だから恋を表に出すなと戒め、どうせ寄り添ってくれないなら死んでしまおうと嘆く。人目のために隔てられた二人を二つの鞘にたとえ、逢えない日々を千年のように感じる。687番では、せき止めてもあふれる激流のように、恋心は抑えきれないと歌い、688番では、人前ではっきりほほえみかけてうわさにならないでと願い、689番では、海も山も隔てていないのに逢えない嘆きを歌っている。
語釈・文法注
文法・本文
- 二鞘の
- 二つの刀を納める鞘。「家を隔てて」を導く。
- 著ろく
- はっきりと目立って。
- 目言
- 顔を見て言葉を交わすこと。
和歌
- 作者
- 大伴坂上郎女(生没年未詳)
大伴安麻呂の娘で、旅人の異母妹。家持の叔母で、のちに姑となった。万葉集の女性歌人のうち最も多くの歌を残した。 - 出典
- 『万葉集』巻第四・相聞・683〜689番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 大伴坂上郎女の恋の歌七首。
修辞
- 比喩
- 687番で、恋心を激流にたとえる。
- 序詞
- 688番の「青山を横切る雲の」が「著ろく」を導く。
解説
687番の「愛しと吾が念ふこころ速河の塞くとも塞くともなほや崩えなむ」は、抑えきれない恋心を激流にたとえた名歌として知られる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、172頁(コマ90)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、183頁(コマ97)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日