万葉集 巻第四 619〜620番
押照る 難波の菅の
ねんごろに言い寄られて心を許したのに、あの人は通って来なくなり、使いも見えない。夜通し、日の暮れるまで嘆いても甲斐がなく、幼な子のように泣きながら、あの人の使いを待ちかねている。坂上郎女の怨恨の歌。
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題詞大伴坂上郎女、怨恨の歌一首并に短歌
- 1押押おし照照てるるる難波難波なにわののの菅菅すげののの押照 難波乃菅之619 長歌
- 2ねもころねもころねもころににに君君きみががが聞聞きかしししててて根毛許呂爾 君之聞四手
- 3年年とし深深ふかくくく長長ながくくくししし言言いへへえばばば年深 長四云者
- 4眞眞ま十十そ鏡鏡かがみ磨磨とぎぎぎししし情情こころををを眞十鏡 磨師情乎
- 5許許ゆるしししてててしししそのそのその日日ひののの極極きわみ縱手師 其日之極
- 6浪浪なみののの共共むた靡靡なびくくく玉玉たま藻藻もののの浪之共 靡珠藻乃
- 7かにかくにかにかくにかにかくに心心こころははは持持もたたたずずず云云 意者不持
- 8大大おお船船ぶねののの憑憑たのめめめるるる時時ときににに大船乃 憑有時丹
- 9ちはやぶるちはやぶるちはやぶる神神かみややや離離さけけけけむけむけん千磐破 神哉將離
- 10うつせみうつせみうつせみののの人人ひとかかか禁禁さふふうらむらむらん空蟬乃 人歟禁良武
- 11通通かよはしはしわしししし君君きみももも來來きまさまさまさずずず通爲 君毛不來座
- 12玉玉たま梓梓ずさののの使使つかいももも見見みえええずずず玉梓之 使母不所見
- 13なりなりなりぬれぬれぬればばば甚甚いたもももすべすべすべなみなみなみ成奴禮婆 痛毛爲便無三
- 14ぬばたまぬばたまぬばたまののの夜夜よるはははすがらすがらすがらににに夜干玉乃 夜者須我良爾
- 15赤赤あからびくらびくらびく日日ひももも暮暮くるるるるるるまでまでまで赤羅引 日母至闇
- 16嘆嘆なげけけけどもどもども驗驗しるしををを無無なみみみ雖嘆 知師乎無三
- 17念念おもへへえどもどもどもたづきたづきたずきををを知知しらららににに雖念 田付乎白二
- 18手手た弱弱わや女女めととと言言いははわくくくももも著著しるくくく幼婦常 言雲知久
- 19手手た童童わらわののの哭哭ねのみのみのみ泣泣なきききつつつつつつ手小童之 哭耳泣管
- 20徘徘た徊徊もとおりりり君君きみががが使使つかいををを待待まちちちやややかねかねかねてててむむん俳佪 君之使乎 待八兼手六
- 21はじめはじめはじめよりよりより從元620 反歌
- 22長長ながくくくいひいひいいつつつつつつ長謂管
- 23恃恃たのめめめずずずははは不令恃者
- 24斯斯かかるかるかる思思おもいににに如是念二
- 25逢逢あははわましましましものものものかかか相益物歟
現代語訳
〔619〕(押照る)難波の菅の根のように、ねんごろにあなたが言い寄って、いつまでも長くと言うので、(眞十鏡)磨きすました心を許してしまったその日から、波のままになびく玉藻のように、あれこれと迷う心は持たず、(大船の)頼みにしていた時に、(ちはやぶる)神が引き離したのか、(うつせみの)人が邪魔をしたのか、通ってきたあなたも来なくなり、(玉梓の)使いも見えなくなったので、どうしようもなく、(ぬばたまの)夜は夜通し、(赤らびく)昼は日の暮れるまで嘆くけれど甲斐がなく、思っても手だてがわからず、か弱い女と言われるとおり、幼な子のように声をあげて泣きながら、うろうろと、あなたの使いを待ちかねていることだろう。
〔620〕はじめから、いつまでもと言って頼みにさせなかったなら、こんな思いに逢うことがあっただろうか。
意訳
いつまでもと言い寄られて心を許したのに、相手はやがて通わなくなり、便りもよこさなくなった。神のしわざか、人の邪魔か。昼も夜も嘆き、幼な子のように泣きながら使いを待つ。反歌では、はじめから頼みにさせなければこんな思いをしなかったのにと、相手を恨む。題に「怨恨の歌」とあるように、捨てられた女の恨みを、物語のように構成した長歌である。
語釈・文法注
文法・本文
- 浪の共
- 「むた」は「…とともに」。
- 手童
- 「たわらは」は幼い子。
和歌
- 作者
- 大伴坂上郎女(生没年未詳)
大伴安麻呂の娘で、旅人の異母妹。家持の叔母で、のちに姑となった。万葉集の女性歌人のうち最も多くの歌を残した。 - 出典
- 『万葉集』巻第四・相聞・619〜620番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 大伴坂上郎女が詠んだ怨恨の歌(長歌と反歌)。
修辞
- 対句
- 「神や離けけむ」と「人か禁ふらむ」、「夜はすがらに」と「日も暮るるまで」。
- 枕詞
- 「押照る」「眞十鏡」「大船の」「ちはやぶる」「うつせみの」「玉梓の」「ぬばたまの」「赤らびく」。
解説
実際の体験というより、捨てられた女の心を題として詠んだ創作的な歌とみる説が有力である。坂上郎女の長歌の代表作の一つ。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、164頁(コマ86)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、173頁(コマ92)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日