万葉集 巻第四 587〜610番
吾が形見
私の形見を見ながらしのんでください。白鳥の飛ぶ飛羽山の松のように、あなたを待ちながら恋い続けている。思わない人を思うのは、大寺の餓鬼の後ろから額をつくようなもの。大伴家持に恋をした笠女郎の歌二十四首。
題詞笠女郎、大伴宿禰家持に贈れる歌廿四首
- 1吾吾わががが形形かた見見み吾形見587
- 2見見みつつつつつつ偲偲しのばばばせせせ見管之努波世
- 3あらあらあらたまたまたまののの荒珠
- 4年年としののの緒緒を長長ながくくく年之緒長
- 5吾吾われももも思思しのばばばむむん吾毛將思
- 6白白しら鳥鳥とりののの白鳥能588
- 7飛羽飛羽とば山山やま松松まつののの飛羽山松之
- 8待待まちちちつつつつつつぞぞぞ待乍曾
- 9吾吾わががが戀戀こひひいわたるわたるわたる吾戀度
- 10このこのこの月月つき頃頃ごろををを此月比乎
- 11衣衣ころも手手でををを衣手乎589
- 12打打うち多武多武たむののの里里さとににに打廻乃里爾
- 13あるあるある吾吾われををを有吾乎
- 14知知しらららずずずぞぞぞ人人ひとははは不知曾人者
- 15待待まてててどどど來來こずずずけりけりけり待跡不來家留
- 16あらあらあらたまたまたまののの荒玉590
- 17年年としののの經經へぬれぬれぬればばば年之經去者
- 18今今いましはしはしはととと今師波登
- 19勤勤ゆめよよよ吾吾わが背背せ子子こ勤與吾背子
- 20吾吾わががが名名な告告のらすらすらすななな吾名告爲莫
- 21吾吾わががが念念おもいををを吾念乎591
- 22人人ひとににに知知しらせらせらせややや人爾令知哉
- 23玉玉たま匣匣くしげ玉匣
- 24開開ひらききき明明あけけけつつつととと開阿氣津跡
- 25夢夢いめにににししし見見みゆるゆるゆる夢西所見
- 26闇闇やみののの夜夜よににに闇夜爾592
- 27鳴鳴なくくくなるなるなる鶴鶴たずののの鳴奈流鶴之
- 28外外よそのみのみのみににに外耳
- 29聞聞ききききつつつつつつかかかあらあらあらむむん聞乍可將有
- 30逢逢あふふうとととはははなしなしなしににに相跡羽奈之爾
- 31君君きみににに戀戀こひひい君爾戀593
- 32甚甚いたももも術術すべなみなみなみ痛毛爲便無見
- 33平平なら山山やまののの楢山之
- 34小小こ松松まつががが下下もとににに小松下爾
- 35立立たちちち嘆嘆なげくくくかもかもかも立嘆鴨
- 36吾吾わががが屋屋や戸戸どののの吾屋戸之594
- 37夕夕ゆう陰陰かげ草草くさののの暮陰草乃
- 38白白しら露露つゆののの白露之
- 39消消けぬぬぬがががにににもとなもとなもとな消蟹本名
- 40念念おもほほおゆるゆるゆるかもかもかも所念鴨
- 41わわわががが命命いのちののの吾命之595
- 42全全またけけけむむんかぎりかぎりかぎり將全牟限
- 43忘忘わすれれれめめめややや忘目八
- 44いやいやいや日日ひににに日日けにににははは彌日異者
- 45おもひおもひおもい益益ますすすともともとも念益十方
- 46八八や百百ほ日日か行行ゆくくく八百日徃596
- 47濱濱はまののの沙沙まなごももも濱之沙毛
- 48吾吾わががが戀戀こいににに吾戀二
- 49あにあにあに益益まさらららじじじかかか豈不益歟
- 50奧奧おきつつつ島島しま守守もり奥島守
- 51うつせみうつせみうつせみののの宇都蟬之597
- 52人人ひと目目めををを繁繁しげみみみ人目乎繁見
- 53石石いわ走走ばしるるる石走
- 54間間ま近近ぢかききき君君きみににに間近君爾
- 55戀戀こひひいわたるわたるわたるかもかもかも戀度可聞
- 56戀戀こいにににもももぞぞぞ戀爾毛曾598
- 57人人ひとははは死死しにするするする人者死爲
- 58水水み無無な瀨瀨せ河河がわ水無瀨河
- 59下下したゆゆゆ吾吾われ瘦瘦やすすす下從吾痩
- 60月月つきににに日日ひにににけにけにけに月日異
- 61朝朝あさ霧霧ぎりののの朝霧之599
- 62欝欝おおににに相相あい見見みししし欝相見之
- 63人人ひとゆゑゆゑゆえににに人故爾
- 64命命いのち死死しぬぬぬべくべくべく命可死
- 65戀戀こひひいわたるわたるわたるかもかもかも戀渡鴨
- 66伊勢伊勢いせののの海海うみののの伊勢海之600
- 67磯磯いそもももとどろとどろとどろににに礒毛動爾
- 68寄寄よするするする浪浪なみ因流浪
- 69恐恐かしこききき人人ひとににに恐人爾
- 70戀戀こひひいわたるわたるわたるかもかもかも戀渡鴨
- 71情情こころゆゆゆももも從情毛601
- 72吾吾あははは念念おもははわざりざりざりききき吾者不念寸
- 73山山やま河河かわももも山河毛
- 74隔隔へだたたたらららなくなくなくににに隔莫國
- 75斯斯かくくく戀戀こひひいむむんとととははは如是戀常羽
- 76夕夕ゆうささされれればばば暮去者602
- 77ものものもの念念おもい益益まさるるる物念益
- 78見見みししし人人ひとののの見之人乃
- 79言言こと問問とふふうすがたすがたすがた言問爲形
- 80面面おも影影かげにににしししててて面景爲而
- 81おもふおもふおもうにににししし念西603
- 82死死しにするするするものものものににに死爲物爾
- 83あらあらあらませませませばばば有麻世波
- 84千千ち遍遍たびぞぞぞ吾吾われははは千遍曾吾者
- 85死死しにかへらかへらかえらましましまし死變益
- 86劒劒つるぎ太太た刀刀ち劒太刀604
- 87身身みににに取取とりりり副副そふふうととと身爾取副常
- 88夢夢いめににに見見みつつつ夢見津
- 89何何なにのののさとしさとしさとしぞぞぞももも何如之恠曾毛
- 90君君きみににに逢逢あははわむむん爲爲ため君爾相爲
- 91天天あめ地地つちののの天地之605
- 92神神かみししし理理ことわり神理
- 93なくなくなくばばばこそこそこそ無者社
- 94吾吾わががが念念おもふふう君君きみににに吾念君爾
- 95逢逢あははわずずず死死しにせせせめめめ不相死爲目
- 96吾吾われももも念念おもふふう吾毛念606
- 97人人ひともももななな忘忘わすれれれ人毛莫忘
- 98おほなわおほなわおおなわににに多奈和丹
- 99浦浦うら吹吹ふくくく風風かぜののの浦吹風之
- 100止止やむむむ時時ときなかれなかれなかれ止時無有
- 101皆皆みな人人ひとををを皆人乎607
- 102寢寢ねよよよとととののの鐘鐘かねははは宿與殿金者
- 103打打うつつつなれなれなれどどど打禮杼
- 104君君きみをををししし念念おもへへえばばば君乎之念者
- 105寢寢いねねねがてがてがてぬぬぬかもかもかも寐不勝鴨
- 106相相あい念念おもははわぬぬぬ不相念608
- 107人人ひとををを思思おもふふうははは人乎思者
- 108大大おお寺寺てらののの大寺之
- 109餓餓が鬼鬼きののの後後しりえににに餓鬼之後爾
- 110額額ぬかづくづくずく如如ごとししし額衝如
- 111情情こころゆゆゆももも從情毛609
- 112我我わははは念念おもははわざりざりざりききき我者不念寸
- 113又又また更更さらににに又更
- 114吾吾わががが故故ふる郷郷さとににに吾故鄕爾
- 115還還かえりりり來來こむむむとととははは將還來者
- 116近近ちかくくくあらあらあらばばば近有者610
- 117見見みずずずともともともあるあるあるををを雖不見在乎
- 118いやいやいや遠遠とおくくく彌遠
- 119君君きみががが坐坐いまさささばばば君之伊座者
- 120ありありありかつかつかつましじましじましじ有不勝自
現代語訳
〔587〕私の形見を見ながらしのんでください。(あらたまの)年月長く、私もあなたをしのびましょう。
〔588〕(白鳥の)飛羽山の松のように、待ちながら私は恋い続けている。この幾月もの間を。
〔589〕(衣手を)打多武の里にいる私を知らないで、あの人は待っても来ないことだ。
〔590〕(あらたまの)年が経ったので、もういいだろうと、決して、あなた、私の名を人に告げないでください。
〔591〕私の思いを人に知らせたのだろうか。櫛箱を開けてしまったと夢に見た。
〔592〕闇夜に鳴く鶴の声をよそに聞くように、よそながら聞いているだけなのだろうか。逢うこともなく。
〔593〕あなたが恋しくてどうしようもなく、奈良山の小松の下に立って嘆いている。
〔594〕わが家の夕陰草に置いた白露のように、消えてしまいそうなほど、むやみに思われることだ。
〔595〕私の命が無事である限り、忘れることがあろうか。日に日に思いはつのっても。
〔596〕八百日もかかって歩くほど長い浜の砂の数でも、私の恋の思いにまさりはしないだろう。沖の島守よ。
〔597〕(うつせみの)人目が多いので、(石走る)すぐ近くにいるあなたに、恋い続けていることだ。
〔598〕恋のためにも人は死ぬものだ。水無瀬川の水が地下を流れるように、ひそかに私はやせていく、月ごと日ごとに。
〔599〕朝霧のようにぼんやりと逢った人のために、命も絶えそうに恋い続けていることだ。
〔600〕伊勢の海の磯もとどろくほどに寄せる波のように、恐れ多い人に恋い続けていることだ。
〔601〕心にも私は思わなかった。山や川も隔てていないのに、こんなに恋しく思うようになるとは。
〔602〕夕方になると物思いがつのる。逢った人の、話しかけた姿が面影に浮かんで。
〔603〕恋しく思うことで死ぬのであったなら、私は千回でも死を繰り返していることだろう。
〔604〕剣の太刀を身に添えたと夢に見た。何のお告げだろう、あなたに逢える前ぶれだろうか。
〔605〕天地の神々に道理というものがないのなら、私は思うあなたに逢えずに死ぬこともあろう。
〔606〕私も思っている。あなたも忘れないで。浦を吹く風がやむ時のないように。
〔607〕皆の人に寝よと告げる鐘は打つけれど、あなたを思うと寝られないことだ。
〔608〕思ってくれない人を思うのは、大寺の餓鬼像の後ろから額をついて拝むようなものだ。
〔609〕心にも私は思わなかった。また再び故郷に帰って来ようとは。
〔610〕近くにいれば、逢わなくても耐えていられたのに、いよいよ遠くにあなたが行ってしまったら、とても生きていられない。
意訳
笠女郎は、若い大伴家持に激しい恋をし、二十四首もの歌を贈った。形見を見てしのんでほしいと願い、松のように待ち続け、夢の吉凶にも一喜一憂する。近くにいるのに人目のために逢えず、ひそかにやせ細っていく。恋で死ぬのなら千回でも死んでいるだろうと歌い、ついには、思ってくれない人を思うのは大寺の餓鬼像を後ろから拝むようなものだと、報われない恋を自嘲する。最後の二首は、別れて故郷に帰った後に贈った歌で、遠く離れてはとても生きていられないと訴えている。
語釈・文法注
文法・本文
- 勤よ
- 「ゆめ」は決して。
- 水無瀨河
- 水が地下を流れる川。「下ゆ」を導く。
- 餓鬼
- 寺に置かれた餓鬼の像。それを後ろから拝んでも何の功徳もない。
和歌
- 作者
- 笠女郎(生没年未詳)
大伴家持に恋をした女性。万葉集に二十九首の歌を残し、万葉集を代表する恋の歌人の一人。 - 出典
- 『万葉集』巻第四・相聞・587〜610番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第4期(733〜759年(〜万葉集の最後の歌))
- 状況
- 笠女郎が大伴家持に贈った歌二十四首。家持は607・608番などに答えず、611・612番の二首だけを返している。
修辞
- 序詞
- 588番の「白鳥の飛羽山松の」、592番の「闇の夜に鳴くなる鶴の」、594番の「吾が屋戸の夕陰草の白露の」、600番の「伊勢の海の磯もとどろに寄する浪」など。
- 比喩
- 608番で、片思いを餓鬼の後ろから額づくことにたとえる。
解説
笠女郎の二十四首は、恋の始まりから絶望、別れまでを順にたどるように並べられ、万葉集の恋歌の白眉とされる。特に「相念はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づく如し」は、機知と痛切さをあわせもつ歌として名高い。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、161頁(コマ84)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、170頁(コマ91)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日