万葉集 巻第二 150番
現身し 神に堪へねば
この世の人の身は神の定めに逆らえず、離れて嘆く君。玉なら手に巻いて持ち、衣なら脱ぐときもなく身につけていたいのに。その君が昨夜、夢に見えた。天智天皇の死を悼む、名も知れない女性の長歌。

題詞天皇崩じ給ひし時、婦人の作れる歌一首 姓氏いまだ詳ならず
現代語訳
この世に生きる人の身は、神の力には逆らえないので、遠く離れていて朝ごとに嘆き慕う君、離れていて私が恋い慕う君。玉であるならば手に巻いて持ち、衣であるならば脱ぐ時もなく身につけていたい、そう私が恋い慕う君が、昨夜、夢に見えた。
意訳
人は死という神の定めに逆らうことはできない。天皇は亡くなり、もう逢うことはできない。玉なら手に巻いておけるのに、衣なら身につけていられるのにと、せめて形あるものとしてそばにいてほしいと願う。そしてその天皇が、昨夜夢に現れた。名も伝わらない宮廷の女性の、素朴で切実な嘆きである。
語釈・文法注
- 昨夜(きそのよ)
- 昨夜。原文は「伎賊乃夜」と書く。
文法・本文
- 神に堪へねば
- 「堪ふ」は耐える、逆らう。神(の力)に逆らえないので。
- 君ぞ昨夜夢に見えつる
- 係助詞「ぞ」の結びで連体形「つる」。
和歌
- 作者
- 婦人(姓氏未詳)(7世紀後半)
天智天皇に仕えた女性とみられるが、名は伝わらない。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・挽歌・150番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
- 状況
- 天智天皇が亡くなったとき、天皇に仕えた女性(姓氏未詳)が詠んだ長歌。
修辞
- 対句
- 「離り居て朝嘆く君」と「放れ居て吾が戀ふる君」、「玉ならば手に卷き持ちて」と「衣ならば脱ぐ時もなく」が対になる。
解説
亡き人を玉や衣にたとえ、身につけてそばにおきたいと願う表現は、万葉集の挽歌や恋の歌によく見られる。この歌は短い長歌だが、対句を重ねて思いを高め、最後に夢に見たと結ぶ構成が印象的である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、61頁(コマ34)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、56頁(コマ34)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日