古典ライブラリー

万葉集 巻第二 107番

あしひきの 山の雫に

大津皇子(おおつのみこ)

来ないあなたを山で待ち続けて、私は山のしずくにすっかりぬれてしまった。大津皇子が恋人の石川郎女に贈った歌。

月夜の霧深い山道で、木々から滴るしずくに濡れながら恋人を待つ大津皇子
月夜の霧深い山道で、木々から滴るしずくに濡れながら恋人を待つ大津皇子

題詞大津皇子、石川郎女に贈れる御歌一首

  1. 1ののの足日木乃
  2. 2山やま山やまやまのののににに山之四付二
  3. 3妹いも妹いもいも待ま待ままつつつととと妹待跡
  4. 4吾われ吾われわれ立た立たたちちち沾ぬ沾ぬぬれれれ吾立所沾
  5. 5山やま山やまやまののの雫しづく雫しづくしずくににに山之四附二

引用の仕方

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現代語訳

(あしひきの)山のしずくに、あなたを待つというので、私は立ちつくしてぬれてしまった。山のしずくに。

意訳

約束の場所で恋人を待ち続けたが、とうとう来なかった。夜の山の木々から落ちるしずくに、すっかりぬれてしまった。そう訴えることで、「これほどあなたを待っていたのだ」という思いを伝え、来なかった相手を軽くとがめている。最初と最後に「山の雫に」をくり返し、ぬれながら待ち続けた時間の長さを印象づける、恋の駆け引きの歌である。

語釈・文法注

あしひきの
「山」にかかる枕詞。語源には諸説ある。
雫(しづく)
木の枝や葉からしたたり落ちる水滴。夜露や霧のしずく。
立ち沾れぬ
立ったままぬれてしまった。「ぬ」は完了の助動詞。

文法・本文

妹待つと
「と」は「…として」「…というので」の意。あなたを待つというので。
原文「四付二」「四附二」
原文は「しづくに」を「四付二」「四附二」と、数字の音を借りて書く。万葉仮名の遊び心がうかがえる書き方。

和歌

作者
大津皇子(663–686)
天武天皇の皇子で、母は大田皇女。大伯皇女の同母の弟。容姿・才能にすぐれ、『懐風藻』には漢詩も残る。天武天皇の没後、謀反の疑いで捕らえられ、二十四歳で死を賜った。
出典
『万葉集』巻第二・相聞・107番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
大津皇子が、恋人の石川郎女に贈った歌。次の108番は石川郎女の返歌で、二首で一組の贈答になっている。

修辞

枕詞
「あしひきの」が「山」にかかる。
反復
第二句と第五句で「山の雫に」をくり返し、ぬれながら待った思いを強調する。古い歌謡の形式を生かした構成。

解説

大津皇子は、天武天皇の皇子たちの中でも特にすぐれた人物として知られ、『日本書紀』は、容姿が立派で言葉もさわやかであり、文筆を好んだと伝えている。この歌は、その大津皇子が恋人の石川郎女に贈ったもので、待ちぼうけをくった恨みを、山のしずくにぬれた自分の姿に託して訴えている。

石川郎女は、大津皇子の異母兄で皇太子であった草壁皇子からも歌を贈られている(巻第二・110番)。左注によれば、大津皇子は石川郎女との密会を津守連通の占いで暴かれたとも伝えられ(109番)、一人の女性をめぐる二人の皇子の関係が、のちの大津皇子の悲劇と重ねて語られることもある。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、53頁(コマ30)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、47頁(コマ29)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日