万葉集 巻第二 85〜89番
君が行
あなたの旅は日数が長くなった。山を尋ねて迎えに行こうか、それともひたすら待とうか。仁徳天皇の皇后磐姫が天皇を恋い慕った四首と、或本の歌。巻第二の巻頭歌群。

題詞難波高津宮御宇天皇代(大鷦鷯天皇) 磐姫皇后、天皇を思ひて御作歌四首/或本の歌
- 1君君きみががが君之行85
- 2日日け長長ながくくくなりなりなりぬぬぬ氣長成奴
- 3山山やま尋尋たずねねね山多都禰
- 4迎迎むかへへえかかか行行ゆかかかむむん迎加將行
- 5待待まちちちにににかかか待待またたたむむん待爾可將待
- 6斯斯かくくくばかりばかりばかり如此許86
- 7戀戀こひひいつつつつつつあらあらあらずずず戀乍不有者
- 8高高たか山山やまののの高山之
- 9磐磐いわ根根ねししし枕枕まきききててて磐根四卷手
- 10死死しなななましましましものものものををを死奈麻死物乎
- 11在在ありりりつつつつつつももも在管裳87
- 12君君きみをををばばば待待またたたむむん君乎者將待
- 13うちうちうち靡靡なびくくく打靡
- 14吾吾わががが黒黒くろ髪髪かみににに吾黑髮爾
- 15霜霜しもののの置置おくくくまでまでまでににに霜乃置萬代日
- 16秋秋あきののの田田たののの秋田之88
- 17穗穗ほののの上上へににに霧霧きらふらふらう穗上爾霧相
- 18朝朝あさ霞霞がすみ朝霞
- 19ののの方方かたににに何時邊乃方二
- 20我我わががが戀戀こひひいやまやまやまむむん我戀將息
- 21居居い明明あかしししててて居明而89(或本の歌)
- 22君君きみをををばばば待待またたたむむん君乎者將待
- 23ぬばたまぬばたまぬばたまののの奴婆珠乃
- 24吾吾わががが黒黒くろ髪髪かみににに吾黑髮爾
- 25霜霜しもははは降降ふるるるともともとも霜者零騰文
現代語訳
〔85〕あなたのお出かけは、日数が長くなってしまった。山を尋ねてお迎えに行こうか。それとも、ひたすら待ち続けようか。
〔86〕これほど恋い焦がれていないで、いっそ高い山の岩を枕にして死んでしまえばよかったのに。
〔87〕このままずっとあなたを待とう。なびく私の黒髪に霜が置くまでも。
〔88〕秋の田の稲穂の上にかかる朝霞のように、いつになったら私の恋はやむのだろうか。
〔89〕夜を明かしてあなたを待とう。(ぬばたまの)私の黒髪に霜が降りようとも。
意訳
四首は、夫を待つ女性の心の移り変わりを順に描いている。迎えに行くか待つかと迷う心(85)、苦しさに死んだほうがましだと思いつめる心(86)、それでも白髪になるまで待とうと決める心(87)、そして晴れることのない恋の思い(88)。嫉妬深い皇后として伝説に名高い磐姫に託して、ひとりの女性の一途な恋心を、起承転結のように組み立てた歌群である。
語釈・文法注
- 君が行(ゆき)
- あなたの旅、お出かけ。
- あらずは
- 「ずは」は…しないで、…するよりは。
- いづへ
- どちら、いつ。原文「何時邊」。
文法・本文
- 待ちにか待たむ
- 同じ動詞を「に」で重ねて意味を強める。ひたすら待とうか。
- 霧らふ
- 「霧る」に継続の「ふ」が付いた形。霧がかかり続ける。
- 左注
- 85番の後に「右の一首の歌は、山上憶良の臣の類聚歌林に載す」、89番の後に「右の一首、古歌集の中に出づ」とある。
和歌
- 作者
- 磐姫皇后(伝承の時代(5世紀前半))
仁徳天皇の皇后。葛城襲津彦の娘と伝えられる。『古事記』『日本書紀』では、天皇が八田皇女を妃としたことを激しく嫉妬した皇后として描かれる。この四首は皇后に仮託された歌とみられる。 - 出典
- 『万葉集』巻第二・相聞・85〜89番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 伝承の時代(舒明天皇より前)
- 状況
- 仁徳天皇の皇后磐姫が、天皇を恋い慕って詠んだと伝えられる四首(85〜88)と、87番の別伝(89)。巻第二の巻頭に置かれる。
修辞
- 序詞
- 88番の「秋の田の穗の上に霧らふ朝霞」が、晴れない恋の思いを導く。
- 枕詞
- 89番の「ぬばたまの」が「黒髪」にかかる。
解説
巻第一が雄略天皇の歌で始まるのに対し、巻第二はさらに古い仁徳天皇の皇后、磐姫の歌で始まる。磐姫は記紀で嫉妬深い皇后として描かれるが、この四首には嫉妬の激しさは見られず、ひたすら夫を待つ一途な女性の姿が描かれている。
四首の歌いぶりは整っており、実際には奈良時代に近いころ、磐姫に託して作られた歌群と考えられている。迷い、絶望、決意、そして晴れない思いへと移っていく構成は、物語のような流れを感じさせる。87番の「霜の置くまでに」は、黒髪が白くなるまで、すなわち年老いるまでという意味にも読める。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、49頁(コマ28)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、43頁(コマ27)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日