万葉集 巻第一 60番
暮に逢ひて
夜に逢って、朝は顔を合わせるのが恥ずかしいので隠れるという名張で、日数長く旅する妻は仮の宿りをしていたのだろうか。地名に恋の言葉を重ねた長皇子の歌。

題詞長皇子の御歌
現代語訳
夜に逢って、朝は顔を合わせるのが恥ずかしいので隠れるという名張で、長い日数の旅をする妻は、仮の宿りをしていたのだろうか。
意訳
夜に恋人と逢った女性は、朝になると恥ずかしくて顔を隠す。その「隠れる(なばる)」から、地名の「名張」を導き出す。旅の途中、名張に宿ったであろう妻を思いやりながら、恋の場面を連想させる言葉で戯れている。言葉遊びの面白さと、旅の妻へのやさしい思いが一つになった歌である。
語釈・文法注
- 朝面無み(あしたおもなみ)
- 朝は顔を合わせるのが恥ずかしいので。「面無し」は恥ずかしい、きまりが悪い。
- 日(け)ながき
- 日数が長い。長い旅をしている。
文法・本文
- 暮に逢ひて 朝面無み
- 名張(なばり)を導く序詞。恥ずかしくて「なばる(隠れる)」意から地名に続ける。
- 廬せりけむ
- 「けむ」は過去推量。上の「か」と呼応して連体形で結ぶ。仮小屋を作って宿ったのだろうか。
和歌
- 作者
- 長皇子(?–715)
天武天皇の皇子。母は天智天皇の皇女の大江皇女。弓削皇子の同母の兄。万葉集に数首の歌を残す。 - 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・60番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 大宝2年(702)の三河行幸のときの歌として載せられている。行幸に従った妻を思う歌とも、宴席での戯れの歌ともいわれる。
修辞
- 序詞
- 「暮に逢ひて朝面無み」が、「隠る(なばる)」の意をかけて「名張」を導く。
解説
名張は、大和から伊勢・東国へ向かう道筋にある地名で、「なばる(隠れる)」に通じることから、43番でも「隱」の字で書かれている。この歌では、夜に逢った恋人が朝に恥じらって隠れるという、恋の情景を序詞にして名張を導いている。
「日ながき妹」が誰を指すかについては諸説があり、行幸に従った女性を思いやる歌とも、宴の席で同行の女性をからかった歌ともいわれる。言葉のつながりの妙を楽しむ、機知に富んだ歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、32頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、25頁(コマ18)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日