古典ライブラリー

万葉集 巻第一 27番

淑人の

天武天皇(てんむてんのう)

昔のよい人がよいところだとよく見て「よし」と言った吉野を、よく見なさい。今のよい人たちよ、よく見るがよい。「よし」の音を八回も重ねた、天武天皇の吉野の歌。

吉野の宮の縁から、川と新緑の山々を指し示す天武天皇と、それを眺める人々
吉野の宮の縁から、川と新緑の山々を指し示す天武天皇と、それを眺める人々

題詞天皇吉野宮に幸せる時、御製の歌

  1. 1淑よき淑よきよきののの淑人乃
  2. 2よしよしよしとととよくよくよく見み見みみててて良跡吉見而
  3. 3よしよしよしととと言い言いいひひいししし好常言師
  4. 4芳野よしの芳野よしのよしのよくよくよく見み見みみよよよ芳野吉見與
  5. 5よきよきよき人ひと人ひとひとよくよくよく見み見みみ良人四來三

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

昔のよい人が、よいところだとよく見て「よし」と言った、この吉野をよく見なさい。今のよい人たちよ、よく見るがよい。

意訳

吉野は、天武天皇がかつて出家して身を寄せ、壬申の乱を起こした地である。天皇となってから吉野を訪れ、皇子たちに「昔の立派な人々がよいと言ったこの吉野を、よく見ておきなさい」と語りかける。「よし」の音をくり返す言葉遊びのような調子だが、その裏には、皇子たちが心を一つにして国を治めてほしいという願いがこめられている。

語釈・文法注

淑人(よきひと)
りっぱな人、教養ある人。昔の賢人を指すとも、天皇自身を含めた人々を指すともいわれる。
よく見つ
「つ」は完了の助動詞とも、命令の意を強めたものともいわれる。原文「良人四來三」の訓みには諸説がある。

文法・本文

原文の表記
「よし」「よく」を「良」「吉」「好」「芳」「淑」と、さまざまな字で書き分けている。同じ音の言葉を、文字を変えて楽しむ工夫である。
原文「四來三」
「よく見」を「四(よ)來(く)三(み)」と、数字の音を借りて書く。
左注
『日本書紀』を引いて、天武天皇8年(679)5月5日に吉野宮に行幸したことを記す。

和歌

作者
天武天皇(?–686)
舒明天皇の皇子で、天智天皇の弟。大海人皇子。壬申の乱(672)で大友皇子を破って即位した(在位673–686)。吉野は乱の挙兵の地で、天皇にとって特別な場所であった。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・27番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
天武天皇8年(679)5月、天皇が吉野宮に行幸したときの御製。このとき天皇は、皇后(のちの持統天皇)と草壁・大津・高市などの皇子たちを集め、互いに助け合って争わないことを誓わせた(吉野の盟約)。

修辞

同音の反復
「よし」「よく」「よき」「芳野(よしの)」と、「よ」の音を八回くり返す。
文字の書き分け
同じ「よし」を、良・吉・好・芳・淑と書き分ける。

解説

天武天皇8年(679)5月、天皇は吉野宮に皇后と六人の皇子を集め、天智天皇の皇子も含めて、皆が助け合い、決して争わないことを誓わせた。これを「吉野の盟約」という。この歌は、その行幸のときの御製とされ、壬申の乱の出発点であった吉野の地を、皇子たちに「よく見よ」と語りかけている。

「よし」の音を何度もくり返す、言葉遊びのような軽やかな歌である。しかしその軽やかさの裏に、兄弟が争った壬申の乱のような悲劇を二度とくり返してはならないという、天皇の強い思いを読み取ることもできる。原文で「よし」をさまざまな漢字で書き分けているのも、目で見ても楽しめる工夫になっている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、25頁(コマ16)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、16頁(コマ14)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日