古典ライブラリー

万葉集 巻第一 25〜26番

み吉野の 耳我の嶺に

天武天皇(てんむてんのう)

吉野の耳我の嶺には、絶え間なく雪が降り、雨が降る。その雪や雨のように、絶え間なく物思いをしながら来た、その山道を。天武天皇の長歌と、その別伝。

雪まじりの雨の吉野の山道を、蓑をまとって登る大海人皇子と供の者たち
雪まじりの雨の吉野の山道を、蓑をまとって登る大海人皇子と供の者たち

題詞天皇の御製の歌

  1. 1みみみ吉野よしの吉野よしのよしののののののの嶺みね嶺みねみねににに三吉野之 耳我嶺爾25
  2. 2時とき時ときときなくなくなくぞぞぞ雪ゆき雪ゆきゆきははは降ふ降ふふりりりけるけるける時無曾 雪者落家留
  3. 3間ま間ままなくなくなくぞぞぞ雨あめ雨あめあめははは零ふ零ふふりりりけるけるける間無曾 雨者零計類
  4. 4そのそのその雪ゆき雪ゆきゆきののの時とき時ときときなきなきなきががが如ごと如ごとごと其雪乃 時無如
  5. 5そのそのその雨あめ雨あめあめののの間ま間ままなきなきなきががが如ごと如ごとごと其雨乃 間無如
  6. 6もももおちおちおちずずず思おも思おもおもひひいつつつつつつぞぞぞ來く來くくるるるそのそのその山やま山やまやま道みち道みちみちををを隈毛不落 思乍叙來 其山道乎
  7. 7みみみ芳野よしの芳野よしのよしのののの耳我みみが耳我みみがみみがののの山やま山やまやまににに三芳野之 耳我山爾26(或本の歌)
  8. 8時とき時ときときぞぞぞ雪ゆき雪ゆきゆきははは降ふ降ふふるるるとととふふふ時自久曾 雪者落等言
  9. 9間ま間ままなくなくなくぞぞぞ雨あめ雨あめあめははは降ふ降ふふるるるとととふふふ無間曾 雨者落等言
  10. 10そのそのその雪ゆき雪ゆきゆきののの時とき時ときときじきじきじきががが如ごと如ごとごと其雪 不時如
  11. 11そのそのその雨あめ雨あめあめののの間ま間ままなきなきなきががが如ごと如ごとごと其雨 無間如
  12. 12隈くま隈くまくまもももおちおちおちずずず思おも思おもおもひひいつつつつつつぞぞぞ來く來くくるるるそのそのその山やま山やまやま道みち道みちみちををを隈毛不墮 思乍叙來 其山道乎

引用の仕方

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現代語訳

〔25〕吉野の耳我の嶺に、絶え間なく雪は降っていた、ひっきりなしに雨は降っていた。その雪が絶え間ないように、その雨がひっきりなしであるように、道の曲がり角ごとに、物思いをしながら来たことだ、その山道を。

〔26〕吉野の耳我の山に、いつとなく雪は降るという、ひっきりなしに雨は降るという。その雪がいつとなく降るように、その雨がひっきりなしであるように、道の曲がり角ごとに、物思いをしながら来たことだ、その山道を。

意訳

天智天皇の晩年、大海人皇子は皇位を辞して出家し、近江の都から吉野へ退いた。その道中、雪と雨の降りしきる山道を、絶え間ない物思いを抱えながら越えていった。わが身の行く末への不安、兄の天皇との関係、残してきた人々への思いなど、言葉にできない思いが、降りやまない雪と雨に重ねられている。のちに天皇となってから、苦難の日々を振り返って詠んだ歌と考えられる。

語釈・文法注

耳我(みみが)の嶺
吉野の山の名。どの山を指すかははっきりしない。
隈(くま)もおちず
道の曲がり角を一つも欠かさず。どこまでも、ずっと。
時じく
時を定めず、いつも。

文法・本文

降りける・零りける
係助詞「ぞ」の結びで、過去の助動詞「けり」の連体形。
思ひつつぞ來る
係助詞「ぞ」の結びで連体形「來る」。
降るとふ
「とふ」は「といふ」がつまった形。降るという。
左注
26番の後に「右句々相換れり。これに因りて重ねて載す」とあり、句が入れかわった別伝として重ねて載せたことを記す。

和歌

作者
天武天皇(?–686)
舒明天皇の皇子で、天智天皇の弟。大海人皇子。天智天皇の晩年に出家して吉野に退き、天皇の没後、壬申の乱(672)で大友皇子を破って即位した(在位673–686)。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・25〜26番
歌体
長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
天武天皇(大海人皇子)の御製。天智天皇10年(671)、皇子が出家して近江から吉野へ退いたときの山越えを回想した歌と考えられている。26番は「或本の歌」として載る別伝。

修辞

対句
「時なくぞ雪は降りける」と「間なくぞ雨は零りける」、「その雪の時なきが如」と「その雨の間なきが如」が対になる。
比喩
絶え間なく降る雪と雨を、絶え間ない物思いのたとえにする。

解説

天智天皇10年(671)10月、病の床にあった天智天皇から後事を託されようとした大海人皇子は、これを辞退して出家し、吉野に入った。そして翌年、壬申の乱を起こして大友皇子を破り、天武天皇として即位する。この歌は、吉野へ向かうときの苦しい山越えを、天皇となってから振り返ったものと考えられる。

雪と雨という自然の景を、そのまま心の中の絶え間ない物思いに重ねる構成は、古い歌謡の形をよく残している。何を思っていたのかを具体的には語らず、「思ひつつぞ來る」とだけ言うところに、かえって深い感慨がこもる。別伝の26番が並べて載せられているのは、この歌が広く歌い継がれ、いくつもの形で伝わっていたことを示している。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、24頁(コマ16)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、16頁(コマ14)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日