古典ライブラリー

古今和歌集 巻第十六 哀傷歌 847番

みな人は

僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

人々は皆、華やかな花の衣に着替えたそうだ。苔の衣(僧衣)の私の袂よ、せめて乾くだけでもしておくれ。

作者
僧正遍昭
  1. 1深草ふかくさ深草ふかくさふかくさののの帝みかど帝みかどみかどののの御時おほんとき御時おほんときおおんときににに藏人くらうど藏人くらうどくろうどののの頭かしら頭かしらかしらにてよるひるなれつかうまつりけるにてよるひるなれつかうまつりけるにてよるいるなれつこうまつりけるををを諒闇りやうあん諒闇りやうあんりょうあんににに成な成ななりにければりにければりにければ更さら更さらさらににに世よ世よよにもまじらずしてにもまじらずしてにもまじらずして比叡ひえ比叡ひえひえののの山やま山やまやまににに登のぼ登のぼのぼりてかしらおろしてけりそのりてかしらおろしてけりそのりてかしらおろしてけりその又また又またまたののの年とし年としとしみなみなみな人ひと人ひとひと御おほん御おほんおおんぶくぬぎてあるぶくぬぎてあるぶくぬぎてあるはははかうぶりかうぶりこうぶり給たま給たまたまはははりなどよろこびけるりなどよろこびけるりなどよろこびけるををを聞き聞きききてよめるきてよめるきてよめる詞書
  2. 2みなみなみな人ひと人ひとひとははは初句
  3. 3はなのはなのはなの衣ころも衣ころもころもににに二句
  4. 4なりぬなりなりぬなりなりぬなり三句
  5. 5苔こけ苔こけこけのたもとよのたもとよのたもとよ四句
  6. 6かわきだにせよかわきだにせよかわきだにせよ結句

引用の仕方

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現代語訳

〔詞書〕深草の帝の御時に、蔵人頭として夜昼お仕えしていたが、帝が崩御されたので、もう世間とも交わらず、比叡山に登って出家してしまった。その翌年、人々が皆喪服を脱いで、ある者は位をいただくなどして喜んでいるのを聞いて詠んだ歌。

人々は皆、華やかな花の衣に着替えたそうだ。苔の衣(僧衣)の私の袂よ、せめて乾くだけでもしておくれ。

意訳

喪が明けて華やぐ人々をよそに、出家した自分はなお涙に暮れている。

語釈・文法注

花の衣
華やかな衣。
苔のたもと
僧衣の袂。

和歌

作者
僧正遍昭(そうじょうへんじょう) 816–890
桓武天皇の孫で、俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。仁明天皇に仕えて蔵人頭となったが、天皇の崩御を機に出家し、のちに僧正となって元慶寺・花山寺を開いた。素性法師の父。六歌仙・三十六歌仙の一人。
出典
『古今和歌集』巻第十六・哀傷歌・847番
歌体
短歌
状況
詞書「深草の帝の御時に藏人の頭にてよるひるなれつかうまつりけるを諒闇に成りにければ更に世にもまじらずして比叡の山に登りてかしらおろしてけりその又の年みな人御ぶくぬぎてあるはかうぶり給はりなどよろこびけるを聞きてよめる」(深草の帝の御時に、蔵人頭として夜昼お仕えしていたが、帝が崩御されたので、もう世間とも交わらず、比叡山に登って出家してしまった。その翌年、人々が皆喪服を脱いで、ある者は位をいただくなどして喜んでいるのを聞いて詠んだ歌)。

修辞

対比
花の衣と苔の衣。

解説

僧正遍昭の歌。仁明天皇の崩御を機に出家した遍昭の悲しみが深い。

関連

出典

底本
有朋堂文庫『古今和歌集・後撰和歌集』 塚本哲三校訂、有朋堂書店、大正15年(1926)、149〜150頁(コマ88)。正保四年版『八代集』を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日