古典ライブラリー

古今和歌集 巻第九 羇旅歌 421番

手向には

素性法師(そせいほうし)

手向けとしては、私の粗末なつづりの袖を切って捧げるべきだが、紅葉で満ち足りている神は返してくるだろうか。

「手向には」の歌をもとにした情景。手向けとしては、私の粗末なつづりの袖を切って捧げるべきだが、紅葉で満ち足りている神は返してくるだろうか。
「手向には」の歌をもとにした情景。手向けとしては、私の粗末なつづりの袖を切って捧げるべきだが、紅葉で満ち足りている神は返してくるだろうか。
詞書
「朱雀院の奈良におはしましける時に手向山にてよめる」(前の歌と同じ詞書)
作者
素性法師
  1. 1手向たむけ手向たむけたむけにににははは初句
  2. 2つづりのつづりのつづりの袖そで袖そでそでももも二句
  3. 3著き著ききるべきにるべきにるべきに三句
  4. 4紅葉もみぢ紅葉もみぢもみじにあけるにあけるにあける四句
  5. 5神かみ神かみかみやかへさむやかへさむやかえさむ結句

引用の仕方

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現代語訳

手向けとしては、私の粗末なつづりの袖を切って捧げるべきだが、紅葉で満ち足りている神は返してくるだろうか。

意訳

僧である自分の粗末な衣の袖を幣にしようとしても、美しい紅葉に満ち足りた神は受け取らないだろう、と謙遜する。

語釈・文法注

つづり
継ぎはぎした粗末な僧衣。
著るべき
「切るべき」をかける。
あける
飽きている、満ち足りている。

和歌

作者
素性法師(そせいほうし) 生没年未詳(九世紀後半〜十世紀初め)
僧正遍昭の子。俗名は良岑玄利(よしみねのはるとし)といい、父の命で出家した。雲林院や大和の石上の良因院に住み、宇多天皇・醍醐天皇の歌会や屏風歌に召された。三十六歌仙の一人。
出典
『古今和歌集』巻第九・羇旅歌・421番
歌体
短歌
状況
詞書「朱雀院の奈良におはしましける時に手向山にてよめる」(朱雀院(宇多上皇)が奈良にいらっしゃった時に、手向山で詠んだ歌)。

修辞

掛詞
「きる」に「着る」と「切る」、「あける」に「飽ける」。

解説

素性法師の歌。前の道真の歌と同じ時の作。羇旅歌の最後の歌。

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出典

底本
有朋堂文庫『古今和歌集・後撰和歌集』 塚本哲三校訂、有朋堂書店、大正15年(1926)、81頁(コマ54)。正保四年版『八代集』を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日