古事記 下巻
仁徳天皇と民のかまど
第十六代仁徳天皇(大雀命)は難波の高津宮で天下を治め、大后石之日売命らとの間に六柱の御子をもうける。茨田の堤や難波の堀江など多くの土木工事を行った。高い山から国を見て、民のかまどから煙が立たないのを知ると、三年間すべての課役を免除し、雨漏りする宮殿も修理しなかった。国に煙が満ちて民が豊かになったので、その御代を聖帝の世とたたえた。
- 1ののの命命みこと。。。難難かた波波なみのののののの宮宮みやににに坐坐いましてしてして、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。このこのこの天皇天皇すめらみこと、、、葛城葛城かずらきのののののの女女むすめ、、、ののの命命みこと(((大后大后おおきさき)))ににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、大江大江おおえのののののの命命みこと。。。次次つぎににに墨墨すみののの江江えののの中津王中津王なかつみこ。。。次次つぎにににののの命命みこと。。。次次つぎにににののの若子若子わくごののの宿禰宿禰すくねののの命命みこと。。。(((四柱四柱よはしら。。。)))またまたまた上上うえににに云云いへるへるえる日向日向ひむかののの諸諸もろもろ縣縣あがたののの君君きみ、、、牛諸牛諸うしもろががが女女むすめ、、、髮長比賣髮長比賣かみながひめををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、波多毘能大郞子波多毘能大郞子はたびのおおいらつこ、、、またのまたのまたの御名御名みなははは大日下大日下おおくさかののの王王きみ。。。次次つぎににに波多毘能若郞女波多毘能若郞女はたびのわかいらつめ、、、またのまたのまたの御名御名みなははは長日比賣長日比賣ながひひめののの命命みこと、、、またのまたのまたの御名御名みなははは若日下部若日下部わかくさかべののの命命みこと。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))またまたまた庶妹八田庶妹八田ままいもやたののの若郞女若郞女わかいらつめににに娶娶あひましひましいまし、、、またまたまた庶妹宇遲能若郞女庶妹宇遲能若郞女ままいもうじのわかいらつめににに娶娶あひましきひましきいましき。。。このこのこの二柱二柱ふたはしらははは御子御子みこまさざりきまさざりきまさざりき。。。すべてこのすべてこのすべてこの大雀大雀おおさざきののの天皇天皇すめらみことののの御子御子みこたちたちたち、、、あはせてあはせてあわせて六柱六柱むはしらましきましきましき。。。(((男王五柱男王五柱ひこみこいつはしら、、、女王一柱女王一柱ひめみこひとはしら。。。)))かれかれかれ、、、伊邪本和氣伊邪本和氣いざほわけののの命命みことははは、、、天天あめののの下治下治したしろしめししめししめし、、、次次つぎににに蝮蝮たじひののの水齒別水齒別みずはわけののの命命みことももも天天あめののの下下したしろしめししろしめししろしめし、、、次次つぎににに男淺津間男淺津間おあさずまののの若子若子わくごののの宿禰宿禰すくねののの命命みことももも天天あめののの下下したしろしめしきしろしめしきしろしめしき。。。大雀命。坐難波之高津宮。治天下也。此天皇。娶葛城之曾都毘古之女。石之日賣命。〈大后〉生御子。大江之伊邪本和氣命。次墨江之中津王。次蝮之水齒別命。次男淺津間若子宿禰命。〈四柱〉又娶上云日向之諸縣君牛諸之女。髮長比賣。生御子。波多毘能大郞子。〈自波下四字以音。下效此〉亦名大日下王。次波多毘能若郞女。亦名長日比賣命。亦名若日下部命。〈二柱〉又娶庶妹八田若郞女。又娶庶妹宇遲能若郞女。此之二柱。無御子也。凡此大雀天皇之御子等。幷六柱。〈男王五柱。女王一柱。〉故伊邪本和氣命者。治天下。次蝮之水齒別命亦治天下。次男淺津間若子宿禰命亦治天下也。
- 2このこのこの天皇天皇すめらみことののの御世御世みよににに、、、大后石之日賣大后石之日賣おおきさきいわのひめののの命命みことのののとしてとしてとして、、、葛城部葛城部かずらきべををを定定さだめたまひめたまひめたまい、、、またまたまた太子伊邪本和氣太子伊邪本和氣ひつぎのみこいざほわけののの命命みことののの御名代御名代みなしろとしてとしてとして、、、壬生部壬生部みぶべををを定定さだめめめ給給たまひひい、、、又水齒別又水齒別またみずはわけののの命命みことののの御名代御名代みなしろとしてとしてとして、、、蝮部蝮部たじひべををを定定さだめめめ給給たまひひい、、、またまたまた大日下大日下おおくさかののの王王みこののの御名代御名代みなしろとしてとしてとして、、、大日下部大日下部おおくさかべををを定定さだめめめ給給たまひひい、、、若日下部若日下部わかくさかべののの王王みこののの御名代御名代みなしろとしてとしてとして、、、若日下部若日下部わかくさかべををを定定さだめめめ給給たまひきひきいき。。。又又また秦人秦人はたびとををを役役えだてててててて、、、ののの堤堤つつみ、、、茨田茨田まむたののの三宅三宅みやけををを作作つくりたまひりたまひりたまい、、、またまたまた丸邇丸邇わにののの池池いけ、、、依綱依綱よさみののの池池いけををを作作つくりりり給給たまひひい、、、またまたまた難難かた波波なみのののををを掘掘こりてりてりて海海うみににに通通かよししし、、、またまたまた小椅小椅をはしののの江江えををを掘掘こりりり、、、またまたまた墨墨すみののの江江えののの津津つををを定定さだめめめ給給たまひきひきいき。。。此天皇之御世。爲大后石之日賣命之御名代。定葛城部。亦爲太子伊邪本和氣命之御名代。定壬生部。亦爲水齒別命之御名代。定蝮部。亦爲大日下王之御名代。定大日下部。爲若日下部王之御名代。定若日下部。又役秦人。作茨田堤。及茨田三宅。又作丸邇池依綱池。又掘難波之堀江而通海。又掘小椅江。又定墨江之津。
- 3こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと高山高山たかやまににに登登のぼりましてりましてりまして、、、四方四方よもののの國國くにををを見見みししし給給たまひてひていて、、、詔詔のりりり給給たまひつらくひつらくいつらく、、、「「「國中國中くぬちにににたたずたたずたたず、、、國皆貧國皆貧くにみなまずししし。。。かれかれかれ、、、今今いまよりよりより三年三年みとせといふまでといふまでというまでははは、、、こと〴〵にこと〴〵にことごとに人民人民おおみたからのののをををゆるせゆるせゆるせ。。。」」」とのりとのりとのり給給たまひきひきいき。。。是是ここををを以以もつててて大殿破壞大殿破壞おおとののやれこぼれてれてれて、、、こと〴〵にこと〴〵にことごとに雨漏雨漏あめもれどもれどもれども、、、都都かつててて修理修理つくろひひひ給給たまはずはずわず、、、楲楲こをもちてをもちておもちて、、、そのもるそのもるそのもる雨雨あめををを受受うけてけてけて、、、もらざるもらざるもらざる所所ところににに遷遷うつりりり避避さけましきけましきけましき。。。後後のちににに國中國中くぬちををを見見みししし給給たまへばへばえば、、、國國くにににに煙滿煙滿けぶりみちたりきちたりきちたりき。。。かれかれかれ人民富人民富おおみたからとめりとめりとめりと思思おもほしてほしておして、、、今今いまはははととと課役仰課役仰えだちおおせせせ給給たまひきひきいき。。。是是ここををを以以もつててて百姓榮百姓榮おおみたからさかえてえてえて、、、役使役使えだちににに苦苦くるしまざりきしまざりきしまざりき。。。かれかれかれ、、、其其そののの御世御世みよををを稱稱たたへてへてえて、、、ののの御世御世みよととと申申もうすすす。。。於是天皇登高山。見四方之國詔之。於國中煙不發。國皆貧窮。故自今至三年。悉除人民之課役。是以大殿破壞。悉雖雨漏。都勿修理。以楲受其漏雨。遷避于不漏處。後見國中。於國滿煙。故爲人民富。今科課役。是以百姓之榮。不苦役使。故稱其御世謂聖帝世也。
現代語訳
大雀命(仁徳天皇)は、難波の高津の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、葛城の曾都毘古の娘、石之日売命(大后)を妻として生んだ御子は、大江の伊邪本和気命、次に墨江の中津王、次に蝮の水歯別命、次に男浅津間若子宿禰命。(四柱。)また先に述べた日向の諸県君牛諸の娘、
髪長比売を妻として生んだ御子は、波多毘能大郎子、またの名は大日下王、次に波多毘能若郎女、またの名は長日比売命、またの名は若日下部命。(二柱。)また異母妹の八田若郎女を妻とし、また異母妹の宇遅能若郎女を妻とされた。この二柱には御子がなかった。すべてこの大雀天皇の御子たちは、あわせて六柱いらっしゃった。(男王五柱、女王一柱。)そして伊邪本和気命は天下を治め、次に蝮の水歯別命も天下を治め、次に男浅津間若子宿禰命も天下を治められた。
この天皇の御世に、大后石之日売命の御名代として葛城部を定め、また太子伊邪本和気命の御名代として壬生部を定め、また水歯別命の御名代として
蝮部を定め、また大日下王の御名代として大日下部を定め、若日下部王の御名代として若日下部を定められた。また秦人を使役して、茨田の堤と茨田の屯倉を作り、また丸邇池・依網池を作り、また難波の堀江を掘って海に通じさせ、また小椅江を掘り、また墨江の港を定められた。
さて天皇は、高い山に登って、四方の国をご覧になっておっしゃった。「国の中に煙が立っていない。国じゅうがみな貧しいのだ。そこで今から三年のあいだ、民の課役をすべて免除せよ」。こうして宮殿は壊れて、どこもかしこも雨漏りがしたが、まったく修理なさらず、器で漏れる雨を受け、漏らない所に移ってお避けになった。後に国の中をご覧になると、国に煙が満ちていた。そこで民が豊かになったとお思いになって、今こそと課役をお命じになった。こうして民は
栄えて、課役に苦しまなかった。それで、その御世をたたえて、聖帝の御世と申し上げるのである。
意訳
古事記の下巻は、仁徳天皇から始まります。上巻が神々の時代、中巻が神と人がまだ近い時代を描いたのに対し、下巻は人間の天皇たちの物語で、恋愛や皇位をめぐる争いが中心になります。
仁徳天皇は、大阪平野の開発に力を注いだ天皇として描かれます。淀川の洪水を防ぐ茨田の堤、難波の堀江の開削などは、実際にこの時代の大規模な治水・開発事業を反映したものと考えられます。
最も有名なのは「民のかまど」の話です。高い山から見て、かまどの煙が立たないことで民の貧しさを知った天皇は、三年間税を免除し、自らは雨漏りのする宮殿で暮らしました。民が豊かになって煙が満ちたのを見て、ようやく課役を再開したといいます。理想の君主「聖帝」として、仁徳天皇は後世長く語り継がれました。
語釈・文法注
- 大雀の命
- 第十六代仁徳天皇。応神天皇の子。大阪府堺市の大仙陵古墳(日本最大の前方後円墳)が陵に治定されている。
- 難波の高津の宮
- 大阪市中央区の辺りにあったとされる宮。
- 石之日賣の命
- 仁徳天皇の大后(皇后)。葛城の曾都毘古(葛城襲津彦)の娘。嫉妬深い皇后として描かれる。
- 葛城の曾都毘古
- 葛城襲津彦。建内宿禰の子とされ、葛城氏の祖。朝鮮半島に派遣された将軍としても伝えられる。
- 伊邪本和氣の命
- のちの第十七代履中天皇。
- 蝮之水齒別の命
- のちの第十八代反正天皇。歯が美しかったことからの名とされる。
- 男淺津間の若子の宿禰の命
- のちの第十九代允恭天皇。
- 御名代
- 皇族の名を後世に伝えるために設けた部民。
- 茨田の堤
- 淀川の氾濫を防ぐために築いた堤。大阪府寝屋川市・門真市の辺り。
- 難波の堀江
- 上町台地の北を開削して、河内湖の水を大阪湾に流した水路。今の大川(旧淀川)とされる。
- 煙たたず
- かまどの煙が立たない。食事の煮炊きもできないほど民が貧しいことを示す。
- 課役
- 「えだち」。民に課す労役や税。
- 聖帝の御世
- 「ひじりのみよ」。徳の高い天子の治める世。
文法
- 原文の「以楲受其漏雨」
- 底本の訓み下しは「楲」に「こ」とふりがなを付ける。器で雨を受ける意。
- こと〴〵に
- 「ことごとく」。すべて。
- 今はと
- 「今こそはと」。もうよいだろうと思って。
解説
「民のかまど」の話は、日本書紀にさらに詳しく記され、天皇が「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」と詠んだという歌も、のちに仁徳天皇の御製として新古今和歌集に収められました(実際には後世の作)。儒教の理想とする仁政の君主像を体現した天皇として、仁徳天皇は「聖帝」とたたえられてきました。
仁徳天皇の陵とされる大仙陵古墳は、全長約五百メートルの日本最大の古墳で、2019年に「百舌鳥・古市古墳群」として世界文化遺産に登録されました。ただし、実際の被葬者については研究者の間で議論があります。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。229〜232頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日