古典ライブラリー

古事記 中巻

秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫

伊豆志の神の娘、伊豆志袁登売を兄の秋山之下氷壮夫は得られず、弟の春山之霞壮夫は母が一夜で織った藤の衣と弓矢を身につけて求婚に成功する。賭けの品を払わない兄を母が呪い、兄は八年のあいだ病み枯れる。応神天皇の御子若野毛二俣王の子孫と、天皇の崩御を記して中巻が終わる。

  1. 1かれかれかれ此こ此ここののの神かみ神かみかみののの御女みむすめ御女みむすめみむすめ、、、名な名ななはははののの神かみ神かみかみませりませりませり。。。かれかれかれ八十神やそがみ八十神やそがみやそがみ此こ此ここののの伊豆志袁登賣いづしをとめ伊豆志袁登賣いづしをとめいずしおとめををを得え得ええむとすれどもむとすれどもむとすれども、、、皆みな皆みなみなえええ獲え獲ええずずず。。。是ここ是ここここににに二人ふたり二人ふたりふたりののの神かみ神かみかみありありあり。。。兄いろせ兄いろせいろせをををといひといひといい、、、弟おと弟おとおとをををとぞいひけるとぞいひけるとぞいいける。。。かれかれかれ其そ其そそののの兄いろせ兄いろせいろせ其そ其そそののの弟おと弟おとおとににに謂い謂いいひけらくひけらくいけらくははは、、、「「「吾伊豆志袁登賣あれいづしをとめ吾伊豆志袁登賣あれいづしをとめあれいずしおとめををを乞こ乞ここへへへどもえどもえどもえ獲え獲ええずずず、、、汝な汝ななこのこのこの少女をとめ少女をとめおとめををを得え得ええてむやてむやてむや。。。」」」といへばといへばといえば、、、「「「易やす易やすやすくくく得え得ええてむてむてむ。。。」」」といふといふという。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの兄いろせ兄いろせいろせののの曰いは曰いはいわくくく、、、「「「若も若ももししし汝な汝なな此こ此ここののの少女をとめ少女をとめおとめををを得え得ええてあらばてあらばてあらば、、、上下かみしも上下かみしもかみしもののの衣服きもの衣服きものきものををを避さ避ささけけけ、、、身み身みみののの高たか高たかたかををを量はか量はかはかりてりてりて甕みか甕みかみかににに酒さけ酒さけさけををを釀か釀かかみみみ、、、またまたまた山やま山やまやま河かは河かはかわののの物もの物ものものををを悉ことごと悉ことごとことごとににに備そな備そなそなへへえ設ま設ままけてけてけて、、、をををこそせめこそせめこそせめ。。。」」」といふといふという。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの弟おと弟おとおと、、、兄いろせ兄いろせいろせのいへるごとのいへるごとのいえるごと、、、具つぶさ具つぶさつぶさににに其そ其そそののの母おも母おもおもににに申まを申まをもうせばせばせば、、、卽すなは卽すなはすなわちちち其そ其そそののの母おも母おもおも、、、ををを取と取ととりてりてりて、、、一いち一いちいち夜よる夜よるよるののの間ほど間ほどほどににに、、、衣きぬ衣きぬきぬ、、、褌はかま褌はかまはかま、、、襪したぐつ襪したぐつしたぐつ、、、沓くつ沓くつくつまでまでまで織お織おおりりり縫ぬ縫ぬぬひひひ又弓矢またゆみや又弓矢またゆみやまたゆみやををを作つく作つくつくりてりてりて、、、其そ其そそののの衣褌きぬはかま衣褌きぬはかまきぬはかまををを服き服ききせせせ、、、其そ其そそののの弓矢ゆみや弓矢ゆみやゆみやををを取と取ととらせてらせてらせて、、、其そ其そそののの少女をとめ少女をとめおとめののの家いへ家いへいえににに遣や遣ややりしかばりしかばりしかば、、、其そ其そそののの衣服きもの衣服きものきものももも弓矢ゆみや弓矢ゆみやゆみやももも、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに藤ふぢ藤ふぢふじののの花はな花はなはなとぞとぞとぞ成な成ななれりけるれりけるれりける。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの春山之霞壯夫はるやまのかすみをとこ春山之霞壯夫はるやまのかすみをとこはるやまのかすみおとこ、、、其そ其そそののの弓矢ゆみや弓矢ゆみやゆみやををを少女をとめ少女をとめおとめののの廁かはや廁かはやかはやににに繫かか繫かかかかけたるけたるけたるををを、、、伊豆志袁登賣其いづしをとめそ伊豆志袁登賣其いづしをとめそいずしおとめそののの花はな花はなはなををを異こと異ことことしとしとしと思おも思おもおもひでひでいで、、、持も持ももちちち來き來ききるるる時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの少女をとめ少女をとめおとめののの後のち後のちのちににに立た立たたちてちてちて其そ其そそののの屋や屋ややににに入い入いいりてりてりて、、、則すなは則すなはすなわちちち婚よば婚よばよばひしつひしついしつ。。。かれかれかれ子こ子ここ一いち一いちいち人ひと人ひとひと生う生ううみたりきみたりきみたりき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの兄いろせ兄いろせいろせににに、、、「「「吾あ吾ああははは伊豆志袁登賣いづしをとめ伊豆志袁登賣いづしをとめいずしおとめををを得え得ええたりたりたり。。。」」」といふといふという。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの兄いろせ兄いろせいろせいいい、、、弟おと弟おとおとのえつることのえつることのえつることををを慨うれた慨うれたうれたみてみてみて、、、かのかのかのうれづくうれづくうれづくののの物もの物ものものををを償つぐの償つぐのつぐのはははずずず、、、かれかれかれ其そ其そそののの母おも母おもおもににに愁うれ愁うれうれひひひ申まを申まをもうすすす時とき時ときときににに、、、御祖みおや御祖みおやみおやのいへらくのいへらくのいえらく、、、「「「我あ我ああががが御世みよ御世みよみよののの事こと事ことこと、、、くこそくこそくこそ神かみ神かみかみ習なら習ならならはははめめめ。。。またまたまたうつしきうつしきうつしき習なら習ならならへやへやへや。。。其そ其そそののの物もの物ものもの償つぐの償つぐのつぐのはははぬぬぬ。。。」」」といひてといひてといいて、、、其そ其そそののの兄あに兄あにあになるなるなる子こ子ここををを恨うら恨うらうらみてみてみて、、、乃すなは乃すなはすなわちちち其そ其そそののの伊豆志いづし伊豆志いづしいずし河かは河かはかわののの河かは河かはかわ島しま島しましまののの節竹よたけ節竹よたけよたけををを取と取ととりてりてりて、、、八や八ややつつつ目め目めめのののををを作つく作つくつくりりり、、、其そ其そそののの河かは河かはかはののの石いし石いしいしををを取と取ととりりり、、、鹽しほ鹽しほしおににに合あ合ああへてへてえて、、、其そ其そそののの竹たけ竹たけたけののの葉は葉ははににに裹つつ裹つつつつみみみ、、、詛とこ詛とことこひひひ言い言いいはしめけらくはしめけらくわしめけらく、、、「「「此こ此ここののの竹たけ竹たけたけ葉は葉ははののの靑あを靑あをあおむがごとむがごとむがごと、、、此こ此ここののの竹たけ竹たけたけ葉は葉ははののの萎しを萎しをしおむがごとむがごとむがごと、、、靑あを靑あをあおみみみ萎しを萎しをしおめめめ。。。またまたまた此こ此ここののの鹽しほ鹽しほしおののの盈み盈みみちちち乾かわ乾かわかわるがごとるがごとるがごと、、、盈み盈みみちちち乾かわ乾かわかわよよよ。。。またまたまた此こ此ここののの石いそ石いそいそののの沉しづ沉しづしずむがごとむがごとむがごと、、、沉しづ沉しづしずみみみ臥ふ臥ふふせせせ。。。」」」此か此かかくくく詛とこ詛とことこひてひてひて竈かまど竈かまどかまどののの上うへ上うへうえににに置お置おおかしめきかしめきかしめき。。。こゝこゝここををを以もつ以もつもつててて其そ其そそののの兄いろせ兄いろせいろせ八年やとせ八年やとせやとせののの間干あひだかわ間干あひだかわあいだかわききき萎しを萎しをしおみみみ病やまひ病やまひやまいみみみ枯から枯からからしきしきしき。。。かれかれかれ其そ其そそののの兄いろせ兄いろせいろせ患うれ患うれうれひひい泣な泣ななきてきてきて、、、其そ其そそののの御祖みおや御祖みおやみおやににに請こ請ここへばへばへば、、、卽すなは卽すなはすなわちちち其そ其そそのののををを返かへ返かへかえさしめきさしめきさしめき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの身み身みみ本もと本もともとののの如ごと如ごとごとくにくにくに平たひら平たひらたいららぎきらぎきらぎき。。。(((此こ此ここははは神かみ神かみかみうれづくうれづくうれづくといふといふという言い言いいののの本もと本もともとなりなりなり。。。)))故茲神之女名伊豆志袁登賣神坐也。故八十神雖欲得是伊豆志袁登賣。皆不得婚。於是有二神。兄號秋山之下冰壯夫。弟名春山之霞壯夫。故其兄謂其弟。吾雖乞伊豆志袁登賣。不得婚。汝得此孃子乎。答曰易得也。爾其兄曰。若汝有得此孃子者。避上下衣服。量身高而釀甕酒。亦山河之物悉備設。爲宇禮豆玖云爾。〈自宇至玖以音。下效此〉爾其弟。如兄言具白其母。卽其母。取布遲葛而。〈布遲二字以音〉一宿之間。織縫衣褌及襪沓。亦作弓矢。令服其衣褌等。令取其弓矢。遣其孃子之家者。其衣服及弓矢。悉成藤花。於是其春山之霞壯夫。以其弓矢繫孃子之廁。爾伊豆志袁登賣思異其花。將來之時。立其孃子之後入其屋。卽婚。故生一子也。爾白其兄曰吾者得伊豆志袁登賣。於是其兄。慷愾弟之婚以。不償其宇禮豆玖之物。爾愁白其母之時。御祖答曰。我御世之事。能許曾〈此二字以音〉神習。又宇都志岐靑人草習乎。不償其物。恨其兄子。乃取其伊豆志河之河島之節竹而。作八目之荒籠。取其河石。合鹽而裹其竹葉。令詛言。如此竹葉靑。如此竹葉萎而。靑萎。又如此鹽之盈乾而。盈乾。又如此石之沉而。沉臥。如此令詛置於煙上。是以其兄八年之間于萎病枯。故其兄患泣。請其御祖者。卽令返其詛戶。於是其身如本以安平也。〈此者神宇禮豆玖之言本者也〉
  2. 2またまたまた此こ此ここののの品陀ほむだ品陀ほむだほむだののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの御子みこ御子みこみこ、、、ののの王きみ王きみきみ、、、其そ其そそののの御母みはは御母みははみははののの弟おと弟おとおと、、、百師木伊呂辨ももしきいろべ百師木伊呂辨ももしきいろべももしきいろべ、、、またのまたのまたの名な名ななははは弟日賣眞若比賣おとひめまわかひめ弟日賣眞若比賣おとひめまわかひめおとひめまわかひめののの命みこと命みことみことににに娶あ娶ああひてひていて生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、大郞子おほいらつこ大郞子おほいらつこおおいらつこ、、、またのまたのまたの名な名ななはははののの王きみ王きみきみ。。。次つぎ次つぎつぎにににののの命みこと命みことみこと。。。次つぎ次つぎつぎににに田井之中たゐのなか田井之中たゐのなかたいのなかつつつ比賣ひめ比賣ひめひめ。。。次つぎ次つぎつぎににに田宮之中たみやのなか田宮之中たみやのなかたみやのなかつつつ比賣ひめ比賣ひめひめ。。。次つぎ次つぎつぎににに藤原之琴節ふぢはらのことふし藤原之琴節ふぢはらのことふしふじわらのことふしののの郞女いらつめ郞女いらつめいらつめ。。。つぎにつぎにつぎに取賣とりめ取賣とりめとりめののの王きみ王きみきみ。。。つぎにつぎにつぎに沙禰さね沙禰さねさねののの王きみ王きみきみ。。。(((七柱ななはしら七柱ななはしらななはしら。。。)))かれかれかれ意富富杼おほほど意富富杼おほほどおほほどののの王きみ王きみきみははは、、、(((三國みくに三國みくにみくにののの君きみ君きみきみ、、、波多はた波多はたはたののの君きみ君きみきみ、、、息長おきなが息長おきながおきながののの君きみ君きみきみ、、、坂田さかた坂田さかたさかたののの酒人さかびと酒人さかびとさかびとののの君きみ君きみきみ、、、山道やまぢ山道やまぢやまじののの君きみ君きみきみ、、、筑紫之米多つくしのめた筑紫之米多つくしのめたつくしのめたののの君きみ君きみきみ、、、布勢ふせ布勢ふせふせののの君等きみら君等きみらきみらののの祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))又根鳥またねとり又根鳥またねとりまたねとりののの王きみ王きみきみ、、、庶妹三腹ままいもみはら庶妹三腹ままいもみはらままいもみはらののの郞女いらつめ郞女いらつめいらつめににに娶あ娶ああひてひていて生う生ううみませるみませるみませる御子みこ御子みこみこ、、、中なか中なかなかつつつ日ひ日ひひ子こ子ここののの王きみ王きみきみ。。。つぎにつぎにつぎに伊和島いわしま伊和島いわしまいわしまののの王きみ王きみきみ。。。(((二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしら。。。)))またまたまた堅石かたしは堅石かたしはかたしはののの王みこ王みこみこののの御子みこ御子みこみこははは久奴くぬ久奴くぬくぬののの王きみ王きみきみなりなりなり。。。すべてすべてすべて此こ此ここののの品陀ほむだ品陀ほむだほむだののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、御年壹百參拾歲みとしももちまりみそぢ御年壹百參拾歲みとしももちまりみそぢみとしももちまりみそじ、、、御陵みはか御陵みはかみはかははは川內かふち川內かふちこうちのののののの岡をか岡をかおかにありにありにあり。。。又此品陀天皇之御子。若野毛二俣王。娶其母弟百師木伊呂辨。亦名弟日賣眞若比賣命生子大郞子。亦名意富富杼王。次忍坂之大中津比賣命。次田井之中比賣。次田宮之中比賣。次藤原之琴節郞女。次取賣王。次沙禰王。〈七王〉故意富富杼王者。〈三國君。波多君。息長君。坂田酒人君。山道君。筑紫之米多君。布勢君等之祖〉也。又根鳥王娶庶妹三腹郞女生子中日子王。次伊和島王。〈二柱〉又堅石王之子者。久奴王也。凡此品陀天皇。御年壹佰參拾歲。御陵在川內惠賀之裳伏岡也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて、この神の娘で、名を伊豆志袁登売という神がいらっしゃった。多くの神々がこの伊豆志袁登売を妻にしようとしたが、誰も結婚することができなかった。ここに二柱の神がいた。兄を秋山之下氷壮夫といい、弟を春山之霞壮夫といった。そこで兄が弟に言った。「私は伊豆志袁登売に求婚したが、結婚できなかった。おまえはこの少女を手に入れられるか」。弟が「たやすく手に入れられます」と言うと、兄は「もしおまえがこの少女を手に入れたら、私は上下の衣服を脱いで差し出し、背丈ほどの甕に酒を醸し、また山や川の産物をすべて用意して、賭けの品(うれづく)を払おう」と言った。そこでその弟が、兄の言ったとおりに詳しく母に話すと、その母は藤の蔓を取ってきて、一晩のうちに、衣・袴・下沓・沓まで織り縫い、

また弓矢を作って、その衣と袴を着せ、その弓矢を持たせて、その少女の家に行かせると、その衣服も弓矢もすべて藤の花になった。そこで春山之霞壮夫は、その弓矢を少女の厠に掛けておいた。伊豆志袁登売がその花を不思議に思って持ってきたとき、その少女のあとについてその家に入り、そのまま結婚した。そして一人の子を生んだ。そこで兄に「私は伊豆志袁登売を手に入れました」と言った。ところがその兄は、弟が結婚したことをねたんで、あの賭けの品を払わなかった。そこで弟が母に嘆いて訴えると、母君は言った。「私たちの世のことは、よくよく神のならわしに従うべきです。それとも、この世の人間のならわしをまねたのですか。その品を払わないとは」。そしてその兄の子を恨んで、伊豆志河の中州の節の多い竹を取って、目の粗い籠を作り、その川の石を取って、塩にまぜて、その竹の葉に包み、呪いの言葉を言わせた。「この竹の葉が青々として、そしてしおれるように、青々として、しおれよ。またこの潮が満ちて引くように、満ちて引け。またこの石が沈むように、沈み伏せよ」。こう呪って、かまどの上に置かせた。こうしてその兄は、八年のあいだ、干からび、しおれ、病み衰えた。そこでその兄が嘆き泣いて母君に願うと、すぐにその呪いを解かせた。するとその体はもとのとおりに元気になった。(これが「神うれづく」という言葉のもとである。)

またこの品陀天皇(応神天皇)の御子の若野毛二俣王が、その母の妹の百師木伊呂弁、またの

名は弟日売真若比売命を妻として生んだ御子は、大郎子、またの名は意富富杼王。次に忍坂之大中津比売命、次に田井之中比売、次に田宮之中比売、次に藤原之琴節郎女、次に取売王、次に沙禰王。(七柱。)そして意富富杼王は、三国君・波多君・息長君・坂田酒人君・山道君・筑紫之米多君・布勢君らの祖である。また根鳥王が異母妹の三腹郎女を妻として生んだ御子は、中日子王、次に伊和島王。(二柱。)また堅石王の子は久奴王である。すべてこの品陀天皇のお年は百三十歳。御陵は河内の恵賀の裳伏の岡にある。

意訳

秋の山の神である兄と、春の山の神である弟が、一人の女神をめぐって争う話です。秋山の「下氷(したび)」は紅葉、春山の「霞」は春がすみを表し、秋から春への季節の移り変わりを兄弟の争いとして語った神話と考えられます。弟は母が一夜で織った藤の衣を着て求婚し、その衣が藤の花に変わって女神の心を引きつけました。

約束を破った兄に、母は竹の葉・塩・石を使って呪いをかけます。「竹の葉がしおれるように、潮が引くように、石が沈むように」衰えよという呪いは、身近な物を使って相手に同じことが起こるように願う「類感呪術」の典型です。兄は八年間病み衰え、許しを請うてようやく呪いを解かれました。「神うれづく(神の賭け)」という言葉の由来を語る話になっています。

最後に、応神天皇の御子若野毛二俣王の子孫が記されます。その孫の意富富杼王の子孫から、のちに継体天皇が出たとされ、この系譜は六世紀の皇統につながる重要なものです。こうして応神天皇の崩御をもって、古事記の中巻は終わります。

語釈・文法注

伊豆志袁登賣の神
伊豆志の八前の大神(天之日矛のもたらした宝)の娘。
秋山之下冰壯夫
秋の山の神。「したび」は木の葉が赤く色づくこと、紅葉。
春山之霞壯夫
春の山の神。春がすみを表す。
うれづく
賭け、またその賭けの品。原文は「宇禮豆玖」と音で書く。
布遲葛
「ふぢかづら」。藤の蔓。その繊維で布を織った。
神習はめ
神の世界のならわしに従うべきだ。人の世のように約束を破ってはならないという意。
靑人草
人間のこと。人を草にたとえた言葉。
八つ目の荒籠
編み目の粗い竹籠。
詛戶
「とこひど」。呪いのための品物。それを取り除いて呪いを解いた。
若野毛二俣の王
応神天皇の皇子。日本書紀では稚野毛二派皇子。その曾孫が継体天皇とされる。
意富富杼の王
若野毛二俣王の子。息長氏・三国君などの祖。継体天皇の曾祖父とされる。
忍坂之大中津比賣の命
若野毛二俣王の娘。のちに允恭天皇の皇后となる(下巻)。
川內の惠賀之裳伏の岡
応神天皇陵。大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳に治定されている。日本で二番目の規模の前方後円墳。

文法

原文の「故茲神之女名伊豆志袁登賣神坐也」
底本の原文は「女」と「名」の間に句点を刷らない。底本どおりとした。
原文の「慷愾弟之婚以」
底本は「慷愾」と刷る。ねたむ、腹を立てる意。訓み下しは「慨みて」。
靑み萎め
「青々として、そしてしおれよ」。命令形で呪いの言葉を結ぶ。
八年の間干き萎み病み枯しき
底本は「間」に「あひだ」、「干」に「かわ」とふりがなを付ける。
七柱
原文は「七王」。底本の訓み下しは「七柱」とする。

解説

秋山と春山の兄弟の争いは、季節の神の争いを語る珍しい神話で、日本書紀には見えません。弟が母の助けを得て女神を妻にし、約束を破った兄が母の呪いで苦しむという筋は、上巻の海幸彦・山幸彦の話とも通じるところがあります。藤の花に姿を変える衣装、竹・塩・石を使った呪いなど、古代の呪術や信仰をうかがわせる要素が豊かに含まれています。

応神天皇の段の最後に置かれた若野毛二俣王の系譜は、のちに越前から迎えられて即位した継体天皇の祖先につながる重要な系譜です。古事記は継体天皇の段(下巻)で「品太天皇の五世の孫」と記しており、この系譜がその根拠になっています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。225〜228頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日