古典ライブラリー

古事記 中巻

熊野と八咫烏

熊野に回った神倭伊波礼毘古命と軍勢は、大熊の出現で気を失うが、高倉下が夢のお告げで得た建御雷神の太刀を献じると目覚め、荒ぶる神々も倒れる。高木大神が遣わした八咫烏に導かれて吉野・宇陀へと進み、国つ神たちを従え、偽って殺そうとした兄宇迦斯を討つ。

  1. 1かれかれかれ神倭伊波禮毘古かむやまといはれびこ神倭伊波禮毘古かむやまといはれびこかむやまといわれびこののの命みこと命みことみこと、、、其地そこ其地そこそこよりよりより廻めぐ廻めぐめぐりいでましてりいでましてりいでまして、、、ののの村むら村むらむらにいでませるにいでませるにいでませる時とき時ときときににに、、、大おほ大おほおおきなるきなるきなる熊くま熊くまくま、、、山やま山やまやまよりよりより出い出いいでてでてでて卽すなは卽すなはすなわちちち失う失ううせぬせぬせぬ。。。こゝにこゝにここに神倭伊波禮毘古かむやまといはれびこ神倭伊波禮毘古かむやまといはれびこかむやまといわれびこののの命みこと命みことみことにににをををえましえましえまし、、、またまたまた御軍みいくさ御軍みいくさみいくさももも皆みな皆みなみなをををえてえてえて伏ふ伏ふふしきしきしき。。。此こ此ここののの時とき時ときときににに熊野くまぬ熊野くまぬくまぬののの、、、一横刀ひとふりのたち一横刀ひとふりのたちひとふりのたちをもちてをもちておもちて天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこののの伏ふ伏ふふせるせるせる地ところ地ところところにまゐにまゐにまい來き來ききててて獻たてまつ獻たてまつたてまつるるる時とき時ときときににに、、、天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこ卽すなは卽すなはすなわちちち寤さ寤ささめましてめましてめまして、、、「「「長寢ながい長寢ながいながいしつるかもしつるかもしつるかも。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ其そ其そそののの横刀たち横刀たちたちををを受う受ううけけけ取と取ととりりり給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの熊野くまぬ熊野くまぬくまぬののの山やま山やまやまののの荒あら荒あらあらぶるぶるぶる神かみ神かみかみ、、、自づか自づかずかららら皆みな皆みなみな切き切ききりりり仆たふ仆たふたうさえてさえてさえて、、、かのかのかのをををえええ伏ふ伏ふふせるせるせる御軍みいくさ御軍みいくさみいくさ悉ことごと悉ことごとことごとににに寤さ寤ささめたりきめたりきめたりき。。。かれかれかれ天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこ、、、其そ其そそののの横刀たち横刀たちたちををを獲え獲ええつるつるつる故かれ故かれかれををを問と問ととひたまへばひたまへばいたまえば、、、高倉下たかくらじ高倉下たかくらじたかくらじ答こた答こたこたへへえ申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「己おの己おのおのががが夢いめ夢いめいめににに、、、天あめ天あめあめ照て照てて大神おほかみ大神おほかみおおかみ高木たかぎ高木たかぎたかぎののの神かみ神かみかみ、、、二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしらののの神かみ神かみかみののの命みこと命みことみこともちてもちてもちて、、、建御雷たけみかづち建御雷たけみかづちたけみかずちののの神かみ神かみかみををを召め召めめしてしてして詔の詔ののりたまはくりたまはくりたまわく、、、『『『葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ國くに國くにくにははは甚いた甚いたいたくくく騷さや騷さやさやぎてありけりぎてありけりぎてありけり。。。我あ我ああががが御子みこ御子みこみこたちたちたちみますらしみますらしみますらし。。。かのかのかの葦あし葦あしあし原はら原はらはらののの中なか中なかなかつつつ國くに國くにくにははは、、、專もは專もはもわららら汝な汝ななががが言向ことむ言向ことむことむけつるけつるけつる國くに國くにくになればなればなれば、、、汝な汝なな建御雷たけみかづち建御雷たけみかづちたけみかずちののの神かみ神かみかみ降くだ降くだくだりてよりてよりてよ。。。』』』とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。こゝにこゝにここに答こた答こたこたへへえ申まを申まをもうさくさくさく、、、『『『僕あ僕ああ降くだ降くだくだらずともらずともらずとも、、、專もは專もはもわらかのらかのらかの國くに國くにくに平たひら平たひらたいらけしけしけし横刀たち横刀たちたちあればあればあれば、、、降くだ降くだくだしてむしてむしてむ。。。(((此こ此ここののの刀たち刀たちたちののの名な名ななははは佐士布都さじふつ佐士布都さじふつさじふつののの神かみ神かみかみといふといふという、、、またのまたのまたの名な名ななははは甕布都みかふつ甕布都みかふつみかふつののの神かみ神かみかみといふといふという、、、またのまたのまたの名な名ななはははののの御魂みたま御魂みたまみたま、、、此こ此ここののの刀たち刀たちたちははは石いそ石いそいそののの上かみ上かみかみののの神かみ神かみかみののの宮みや宮みやみやににに坐ま坐まますすす。。。)))このこのこの刀たち刀たちたちををを降ふ降ふふさむさむさむ狀さま狀さまさまははは、、、高倉下たかくらじ高倉下たかくらじたかくらじががが倉くら倉くらくらののの頂むね頂むねむねををを穿うが穿うがうがちてちてちて、、、そこよりそこよりそこより墮おと墮おとおとししし入い入いいれむれむれむ。。。』』』とまとまとまをををしたまひきしたまひきしたまいき。。。(((かれかれかれ建御雷たけみかづち建御雷たけみかづちたけみかずちののの神かみ神かみかみ敎をし敎をしおしへへえ給たま給たまたまはくはくわく、、、『『『汝な汝ななががが倉くら倉くらくらののの頂むね頂むねむねををを穿うが穿うがうがちてちてちて、、、このこのこの刀たち刀たちたちををを墮おと墮おとおとししし入い入いいれむれむれむ。。。)))かれかれかれくくく、、、汝な汝なな取と取ととりりり持も持ももちてちてちて、、、天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこににに獻たてまつ獻たてまつたてまつれれれ。。。』』』ととと敎をし敎をしおしへたまひきへたまひきえたまいき。。。かれかれかれ夢いめ夢いめいめののの敎をし敎をしおしへのまゝにへのまゝにえのままに、、、旦あした旦あしたあした己おの己おのおのががが倉くら倉くらくらををを見み見みみしかばしかばしかば、、、信まこと信まことまことににに横刀たち横刀たちたちありきありきありき。。。かれこのかれこのかれこの横刀たち横刀たちたちははは獻たてまつ獻たてまつたてまつるにこそるにこそるにこそ。。。』』』とまとまとまをををしきしきしき。。。」」」故神倭伊波禮毘古命。從其地廻幸。到熊野村之時。大熊髮出入卽失。爾神倭伊波禮毘古命。倐忽爲遠延。及御軍皆遠延而伏。〈遠延二字以音〉此時熊野之高倉下。〈此者人名〉齎一橫刀。到於天神御子之伏地而獻之時。天神御子卽寤起。詔長寢乎。故受取其橫刀之時。其熊野山之荒神。自皆爲切仆。爾其惑伏御軍。悉寤起之。故天神御子。問獲其橫刀之所由。高倉下答曰。己夢云。天照大神高木神。二柱神之命以。召建御雷神而詔。葦原中國者伊多玖佐夜藝帝阿理祁理。〈此十一字以音〉我之御子等。不平坐良志。〈此二字以音〉其葦原中國者。專汝所言向之國故。汝建御雷神可降。爾答曰。僕雖不降。專有平其國之橫刀。可降。〈此刀名。云佐士布都神。亦名云甕布都神。亦名布都御魂。此刀者坐石上神宮也。〉降此刀狀者。穿高倉下之倉頂。自其墮入。故建御雷神敎曰。穿汝之倉頂。以此刀墮入。故阿佐米余玖〈自阿下五字以音〉汝取持。獻天神御子。故如夢敎而。旦見己倉者。信有橫刀。故以是橫刀而獻耳。
  2. 2こゝにまたこゝにまたここにまた高木たかぎ高木たかぎたかぎののの大神おほかみ大神おほかみおおかみののの命みこと命みことみこともちてもちてもちて、、、さとしさとしさとし申まを申まをもうしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこ、、、こゝよりこゝよりここより奧おく奧おくおくつつつ方かた方かたかたになになにな入い入いいりましそりましそりましそ。。。荒あら荒あらあらぶるぶるぶる神かみ神かみかみいといといと多おほ多おほおおかりかりかり。。。今いま今いまいま天あめ天あめあめよりよりよりををを遣おこ遣おこおこせむせむせむ。。。かれかれかれ其そ其そそののの八咫烏やたがらす八咫烏やたがらすやたがらす導みちび導みちびみちびきなむきなむきなむ。。。其そ其そそののの立た立たたたむたむたむ後のち後のちのちよりよりより幸さき幸さきさきすべしすべしすべし。。。」」」とさとしとさとしとさとし申まを申まをもうしたまひきしたまひきしたまいき。。。かれかれかれ其そ其そそののの御覺みさと御覺みさとみさとしのしのしのまに〳〵まに〳〵まにまに、、、其そ其そそののの八咫烏やたがらす八咫烏やたがらすやたがらすののの後のち後のちのちよりいでましかばよりいでましかばよりいでましかば、、、吉野えしぬ吉野えしぬえしぬののの河かは河かはかはのののににに到いた到いたいたりましきりましきりましき。。。時とき時ときときにににをををうちてうちてうちて魚取なと魚取なとなとるるる人ひと人ひとひとありきありきありき。。。こゝにこゝにここに天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこ、、、「「「汝な汝ななははは誰たれ誰たれたれぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととはしければはしければわしければ、、、「「「僕あ僕ああははは國くに國くにくにつつつ神かみ神かみかみ、、、名な名ななはははののの子こ子ここ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。(((此こ此ここははは阿陀之鵜養あだのうかひ阿陀之鵜養あだのうかひあだのうかいののの祖おや祖おやおや。。。)))其地そこ其地そこそこよりいでませばよりいでませばよりいでませば、、、尾を尾をおあるあるある人ひと人ひとひと井ゐ井ゐいよりよりより出い出いいででで來き來きき、、、其そ其そそののの井光ゐひか井光ゐひかいひかれりれりれり。。。「「「汝な汝ななははは誰たれ誰たれたれぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととはせばはせばわせば、、、「「「僕あ僕ああははは國くに國くにくにつつつ神かみ神かみかみ、、、名な名ななははは。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。(((此こ此ここははは吉野えしぬ吉野えしぬえしぬののの首等おびとら首等おびとらおびとらががが祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))かくてかくてかくて其そ其そそののの山やま山やまやまににに入い入いいりまししかばりまししかばりまししかば、、、またまたまた尾を尾をおあるあるある人ひと人ひとひと遇あ遇ああへりへりへり。。。このこのこの人ひと人ひとひと巖いはほ巖いはほいわおをををおしおしおし分わか分わかわかけてけてけて出い出いいででで來き來きき。。。「「「汝な汝ななははは誰たれ誰たれたれぞぞぞ。。。」」」ととと問と問ととはせばはせばわせば、、、「「「僕あ僕ああははは國くに國くにくにつつつ神かみ神かみかみ、、、名な名ななははは石押分いはおしわく石押分いはおしわくいわおしわくののの子こ子ここ、、、今いま今いまいま天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこ幸さき幸さきさきすとすとすと聞き聞ききけるけるける故かれ故かれかれににに、、、まゐまゐまい迎むか迎むかむかへまつるにこそへまつるにこそえまつるにこそ。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。(((此こ此ここははは吉野えしぬ吉野えしぬえしぬのののののの祖おや祖おやおや。。。)))其地そこ其地そこそこよりよりより蹈ふ蹈ふふみみみ穿うが穿うがうがちちち越こし越こしこしえてえてえてににに幸さき幸さきさきしきしきしき。。。かれかれかれ宇陀うだ宇陀うだうだののの穿うがち穿うがちうがちといふといふという。。。於是亦高木大神之命以覺白之。天神御子。自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自天遣八咫烏。故其八咫烏引道。從其立後應幸行。故隨其敎覺。從其八咫烏之後幸行者。到吉野河之河尻。時作筌有取魚人。爾天神御子。問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂贄持之子。〈此者阿陀之鵜養之祖〉從其地幸行者。生尾人自井出來。其井有光。爾問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂井冰鹿。〈此者吉野首等祖也〉卽入其山之。亦遇生尾人。此人押分巖而出來。爾問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂石押分之子。今聞天神御子幸行故。參向耳。〈此者吉野國巢之祖〉自其地蹈穿越。幸宇陀。故曰宇陀之穿也。
  3. 3かれこゝにかれこゝにかれここに宇陀うだ宇陀うだうだににに、、、弟宇迦斯おとうかし弟宇迦斯おとうかしおとうかしととと二人ふたり二人ふたりふたりありけりありけりありけり。。。かれかれかれ先ま先ままづづず八咫烏やたがらす八咫烏やたがらすやたがらすををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして、、、二人ふたり二人ふたりふたりににに問と問ととはしめたまはくはしめたまはくわしめたまわく、、、「「「今いま今いまいま天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこいでませりいでませりいでませり、、、汝な汝ななどもどもども仕つか仕つかつかへまつらむやへまつらむやえまつらむや。。。」」」こゝにこゝにここに兄宇迦斯えうかし兄宇迦斯えうかしえうかし鳴鏑なりかぶら鳴鏑なりかぶらなりかぶらをもちてをもちておもちて、、、其そ其そそののの御使みつかひ御使みつかひみつかいををを待ま待ままちちち射返いかへ射返いかへいかえしきしきしき。。。かれかれかれ其そ其そそののの鳴鏑なりかぶら鳴鏑なりかぶらなりかぶらののの落お落おおちたりしちたりしちたりし地ところ地ところところををを訶夫羅前かぶらさき訶夫羅前かぶらさきかぶらさきととと謂い謂いいふふう。。。待ま待ままちちち擊う擊ううたむといひてたむといひてたむといいて、、、軍人いくさびと軍人いくさびといくさびとををを聚あつ聚あつあつめしかどもめしかどもめしかども、、、えええ聚あつ聚あつあつめざりしかばめざりしかばめざりしかば、、、仕つか仕つかつかへまつらむとへまつらむとえまつらむと欺いつは欺いつはいつわりてりてりて、、、大殿おほとの大殿おほとのおおとのををを作つく作つくつくりてりてりて、、、其そ其そそののの殿內とのぬち殿內とのぬちとのぬちにににををを張は張ははりてりてりて待ま待ままちけるちけるちける時とき時ときときににに、、、弟宇迦斯おとうかし弟宇迦斯おとうかしおとうかし先ま先ままづまゐづまゐずまい迎むか迎むかむかへてへてえて、、、拜をろが拜をろがおろがみてみてみて申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「僕あ僕ああががが兄いろせ兄いろせいろせ、、、兄宇迦斯えうかし兄宇迦斯えうかしえうかし天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこののの御使みつかひ御使みつかひみつかいををを射返いかへ射返いかへいかえししし、、、待ま待ままちちち攻せ攻せせめむとしてめむとしてめむとして軍いくさ軍いくさいくさををを聚あつ聚あつあつむれどもむれどもむれども、、、えええ聚あつ聚あつあつめざればめざればめざれば大殿おほとの大殿おほとのおおとのををを作つく作つくつくりりり、、、其そ其そそののの內うち內うちうちににに押機おし押機おしおしををを張は張ははりてりてりて、、、待ま待ままちちち取と取ととらむとすらむとすらむとす。。。かれまゐかれまゐかれまい迎むか迎むかむかへてへてえて顯あら顯あらあらはははしましましまをををすすす。。。」」」ととと申まを申まをもうしきしきしき。。。こゝにこゝにここに大伴おほとも大伴おほともおおともののの連等むらじら連等むらじらむらじらががが祖おや祖おやおや、、、ののの臣おみ臣おみおみののの命みこと命みことみこと、、、久米くめ久米くめくめののの直等あたへら直等あたへらあたえらががが祖おや祖おやおや、、、ののの命みこと命みことみこと二人ふたり二人ふたりふたり、、、兄宇迦斯えうかし兄宇迦斯えうかしえうかしををを召め召めめしてしてして罵の罵ののりていひけらくりていひけらくりていいけらく、、、「「「伊賀いが伊賀いがいが作つく作つくつくりつかへまつれるりつかへまつれるりつかえまつれる大殿內おほとのぬち大殿內おほとのぬちおおとのぬちにににははは、、、おれおれおれ先ま先ままづづず入い入いいりてりてりて、、、其そ其そそのつかへまつらむとするのつかへまつらむとするのつかえまつらむとする狀さま狀さまさまををを明あか明あかあかしましましまをををせせせ。。。」」」といひてといひてといいて、、、横刀たち横刀たちたちののの手上たがみ手上たがみたがみ握と握ととりりり、、、槍ほこ槍ほこほこゆけゆけゆけ矢刺やさ矢刺やさやさしてしてして追お追おおひひい入い入いいるゝるゝるる時とき時ときときににに、、、己おの己おのおのががが張は張ははりりり置お置おおけるけるける押機おし押機おしおしににに打う打ううたれてたれてたれて死し死ししにきにきにき。。。卽すなは卽すなはすなわちちち控ひ控ひひききき出い出いいしてしてして斬き斬ききりりり散ち散ちちりきりきりき。。。かれかれかれ其地そこ其地そこそこををを宇陀うだ宇陀うだうだののの血ち血ちち原はら原はらはらとなもいふとなもいふとなもいう。。。故爾於宇陀。有兄宇迦斯〈自宇以下三字以音下效此也〉弟宇迦斯二人。故先遣八咫烏。問二人曰。今天神御子幸行。汝等仕奉乎。於是兄宇迦斯。以鳴鏑待射返其使。故其鳴鏑所落之地。謂訶夫羅前也。將待擊云而聚軍然。不得聚軍者。欺陽仕奉而。作大殿。於其殿內作押機待時。弟宇迦斯先參向拜曰。僕兄兄宇迦斯。射返天神御子之使。將爲待攻而聚軍。不得聚者。作殿。其內張押機將待取。故參向顯白。爾大伴連等之祖道臣命。久米直等之祖大久米命二人。召兄宇迦斯罵詈云。伊賀〈此二字以音〉所作仕奉於大殿內者。意禮〈此二字以音〉先入。明白其將爲仕奉之狀而。卽握橫刀之手上。矛由氣〈此二字以音〉矢刺而。追入之時。乃己所作押見打而死。爾卽控出斬散。故其地謂宇陀之血原也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて神倭伊波礼毘古命は、そこから回って進み、熊野の村に着かれたとき、大きな熊が山からちらりと現れて、すぐに消えた。すると神倭伊波礼毘古命はたちまち気を失い、また軍勢もみな気を失って倒れてしまった。そのとき熊野の高倉下が、一振りの太刀を持って天つ神の御子の倒れている所にやって来て献上すると、天つ神の御子はすぐに目を覚まして、「長く寝てしまったなあ」とおっしゃった。そしてその太刀をお受け取りになったとき、熊野の山の荒ぶる神々は、おのずからみな斬り倒されて、気を失って倒れていた軍勢もことごとく目を覚ました。そこで天つ神の御子が、その太刀を手に入れたわけをお尋ねになると、高倉下はこうお答えした。「私の夢に、天照大神と高木神の二柱の神の仰せで、建御雷神を召しておっしゃいました。『葦原の中つ国はひどく騒がしいようだ。我が御子たちは悩んでいるらしい。あの葦原の中つ国は、もっぱらおまえが平定した国であるから、建御雷神よ、降っていきなさい』。すると建御雷神は『私が降らなくても、もっぱらあの国を平定した太刀がありますので、これを降しましょう。(この太刀の名は佐士布都神といい、またの名は甕布都神といい、またの名は布都御魂という。この太刀は石上神宮にいらっしゃる。)この太刀を降すやり方は、高倉下の倉の屋根に穴をあけて、そこから落とし入れましょう』と申し上げました。そして建御雷神は私に『おまえの倉の屋根に穴をあけて、この太刀を落とし入れよう。だから朝目覚めたら縁起よく、おまえが取って天つ神の御子に献上せよ』と教えてくださいました。そこで夢のお告げのとおりに、朝、自分の倉を見ると、本当に太刀がありました。それでこの太刀を献上したのです」。

そこでまた、高木大神の仰せで、天つ神の御子にお告げになった。「天つ神の御子よ、ここから奥の方には入ってはならない。荒ぶる神がたいそう多い。今、天から八咫烏を遣わそう。その八咫烏が案内するだろう。その飛び立つ後について進みなさい」。そこでそのお告げのとおりに、八咫烏の後について進んでいかれると、吉野川の下流に着かれた。そのとき、やなを仕掛けて魚を捕っている人がいた。そこで天つ神の御子が「おまえは誰か」とお尋ねになると、「私は国つ神で、名は贄持之子です」と申し上げた。これは阿陀の鵜飼の祖先である。そこから進んでいかれると、尾のある人が井戸から出てきた。その井戸は光っていた。「おまえは誰か」とお尋ねになると、「私は国つ神で、名は井氷鹿です」と申し上げた。これは吉野首らの祖先である。そしてその山に入られると、また尾のある人に出会った。この人は岩を押し分けて出てきた。「おまえは誰か」とお尋ねになると、「私は国つ神で、名は石押分之子です。今、天つ神の御子がおいでになると聞いたので、お迎えに参ったのです」と申し上げた。これは吉野の国巣の祖先である。そこから山を踏み分けて越え、宇陀にお出ましになった。それで宇陀の穿(うがち)という。

さて宇陀には、兄宇迦斯と弟宇迦斯という二人の兄弟がいた。そこでまず八咫烏を遣わして、二人に「今、天つ神の御子がおいでになった。おまえたちはお仕えするか」と尋ねさせなさった。すると兄宇迦斯は、鏑矢でその使いを待ち受けて射返した。それでその鏑矢の落ちた所を訶夫羅前(かぶらさき)という。兄宇迦斯は待ち受けて撃とうと言って軍勢を集めたが、集めることができなかったので、お仕えすると偽って大きな御殿を造り、その御殿の中に押機(踏むと打ち殺される仕掛け)を張って待ち構えていた。そのとき弟宇迦斯が先に参り迎えて、拝んで申し上げた。「私の兄の兄宇迦斯は、天つ神の御子のお使いを射返し、待ち受けて攻めようとして軍勢を集めましたが、集めることができないので、大きな御殿を造り、その中に押機を張って、待ち受けて捕らえようとしています。それで参り迎えて、ありのままに申し上げるのです」。そこで大伴連らの祖先の道臣命と、久米直らの祖先の大久米命の二人が、兄宇迦斯を呼びつけて、ののしって言った。「おまえが造ってお仕えしようという大殿の中には、おまえがまず入って、どのようにお仕えするつもりかを明らかにしろ」と言って、太刀の柄を握り、矛をしごき、矢をつがえて追い入れたとき、兄宇迦斯は自分が張っておいた押機に打たれて死んだ。そこですぐに引き出して斬り散らした。それでその地を宇陀の血原という。

意訳

熊野で大熊が現れただけで、天つ神の御子と軍勢がみな気を失うというのは、土地の荒ぶる神の毒気に当てられたことを表しています。そこへ高倉下が、夢のお告げで得た太刀を届けると、一行は目覚め、荒ぶる神々は自然に斬り倒されました。この太刀は、国譲りで活躍した建御雷神が降したもので、天上の神々の力が地上の御子を救ったことを示しています。

八咫烏の道案内は、神武東征の中でも特によく知られた場面です。三本足の大きな烏として描かれる八咫烏は、のちに熊野の神の使いとされ、現在は日本サッカー協会のシンボルマークにもなっています。吉野の山中で出会う、井戸から現れる尾のある人や、岩を押し分けて出てくる尾のある人は、吉野の山の民の姿を伝えるものと考えられます。

宇陀の兄宇迦斯・弟宇迦斯の話は、兄弟のうち兄が逆らって滅び、弟が従って栄えるという、東征の物語にくり返し現れる型の一つです。罠を仕掛けた兄宇迦斯が自分の罠にかかって死ぬという結末は、悪だくみが自分に返ってくることを示す、印象的な場面です。

語釈・文法注

熊野の村
紀伊国の熊野(和歌山県南部・三重県南部)。神武天皇の一行は紀伊半島を南に回って熊野から上陸した。
倐忽にをえまし
「をゆ」は気を失う、萎える意。大熊の出現は、土地の荒ぶる神が毒気を吐いたことを表す。
高倉下
熊野の人。夢のお告げで建御雷神の太刀を得て献上した。和歌山県新宮市の神倉神社に祭られる。
布都の御魂
建御雷神が国を平定した太刀。佐士布都神・甕布都神とも。奈良県天理市の石上神宮の神体として祭られる。
不平みますらし
「やくさむ」は病み悩む意。原文は「不平坐良志」。
朝目吉く
朝、目覚めたときに縁起よく。夢のお告げを受けたあとの朝をいう。原文は「阿佐米余玖」と音で書く。
八咫烏
大きな烏。「咫(あた)」は長さの単位で、「八咫」は大きいことをいう。高木大神が遣わした道案内の神鳥で、のちに三本足の姿で描かれる。熊野本宮大社などで神の使いとされる。
吉野の河の河尻
吉野川の下流。奈良県五條市の辺りとされる。
筌
やな。川に仕掛けて魚を捕る道具。
贄持の子
「にへ」は神や朝廷に献上する食物。それを持つ者の意。阿陀(奈良県五條市)の鵜飼の祖。
井冰鹿
井戸から出てきた尾のある人。光る井戸は、水銀などの鉱物の採掘と関係があるとする説もある。吉野首(よしののおびと)の祖。
吉野の國巢
吉野の山中に住んでいた人々。朝廷の儀式で歌舞(国栖奏)を奉納した。奈良県吉野町に国栖の地名が残る。
兄宇迦斯・弟宇迦斯
宇陀(奈良県宇陀市)の豪族の兄弟。兄は抵抗して殺され、弟は従って宇陀の水取(もいとり)の祖となる。
押機
踏むと上から重しが落ちて押し殺す仕掛け。
道の臣の命
大伴連の祖。東征で天孫の先導をした天忍日命の子孫とされる。日本書紀では日臣命が八咫烏の後を追って道を開いたので、道臣の名を与えられたとする。
大久米の命
久米直の祖。武勇にすぐれ、のちの久米歌を歌う。
宇陀の血原
兄宇迦斯を斬り散らしたことによる地名。奈良県宇陀市に血原の伝承地がある。

文法

長寢しつるかも
「長寝す」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形+詠嘆の終助詞「かも」。「長く寝てしまったなあ」。
降してむ
「降す」の連用形+強意の助動詞「つ」の未然形+意志の助動詞「む」。「(太刀を)降しましょう」。
訓み下しの( )
底本の訓み下しは、原文の分注(太刀の名)と、建御雷神の言葉の一部を( )に入れて示す。底本どおり翻刻した。
原文の「倐忽」
底本は「倐忽」と刷る(「たちまち」の意の「倏忽」の異体)。訓み下しも「倐忽に」と書く。
伊賀
原文の「伊賀」は音で書かれ、「おまえが(い)」の意とされる。訓み下しも「伊賀」のまま書く。

解説

熊野から大和への道は、険しい山地を越えるものでした。古事記はこの難路を、天上の神々の助け(建御雷神の太刀と八咫烏)と、土地の国つ神たちの帰順によって進む物語として描いています。高倉下・贄持之子・井氷鹿・石押分之子といった人々は、それぞれ熊野や吉野の地方の氏族の祖先とされ、彼らが天皇に従ったことを語ることで、地方の氏族が朝廷に仕える由来を説明しています。

布都御魂の太刀を祭る石上神宮は、物部氏が管理した武器庫としての性格をもつ古い神社で、国宝の七支刀を伝えています。また、熊野・吉野は古くから山岳信仰の聖地で、のちに修験道の中心地となりました。神武天皇の東征の物語は、こうした聖地の信仰とも深く結びついています。

宇陀の兄宇迦斯の滅亡と弟宇迦斯の帰順の話の後、物語は「久米歌」と呼ばれる歌謡を中心とする場面に移ります。久米歌は、宮廷の儀式で久米舞とともに歌われた戦いの歌で、古事記は東征の場面にこれらの歌を組み込んでいます。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。119〜124頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日