古典ライブラリー

古事記 中巻

久米歌と大和の平定

弟宇迦斯の献じたごちそうを兵士に与えて、天皇は宇陀の歌を歌う。忍坂の大室では、歌を合図に土雲の八十建を一斉に討ち、登美毘古や兄師木・弟師木との戦いでも、勇ましい久米歌を歌って兵を励ます。邇芸速日命が天つ瑞を献じて従い、天皇は畝火の白檮原の宮で天下を治める。

  1. 1然しか然しかしかしてしてして其そ其そそののの弟宇迦斯おとうかし弟宇迦斯おとうかしおとうかしががが獻たてまつ獻たてまつたてまつれるれるれる大饗おほみあへ大饗おほみあへおおみあえをばをばをば、、、悉ことごと悉ことごとことごとににに其そ其そそののの御軍みいくさ御軍みいくさみいくさ人ひと人ひとひとどもにどもにどもに賜たま賜たまたまひきひきいき。。。このこのこの時とき時ときときににに御歌みうた御歌みうたみうたよみしたまはくよみしたまはくよみしたまわく、、、宇陀うだ宇陀うだうだののの   ににに   鴫しぎ鴫しぎしぎ羂わな羂わなわな張は張ははるるる   我あ我ああががが待ま待ままつやつやつや   鴫しぎ鴫しぎしぎははは障さや障さやさやらずらずらず   勇細いすくは勇細いすくはいすくわししし   障さや障さやさやるるる   ががが   魚いを魚いをいお乞こ乞ここはははさばさばさば   ののの   實み實みみののの   長な長ななけくけくけくををを   幾許こきし幾許こきしこきし稗ひ稗ひひゑねゑねえね   後のち後のちのち妻め妻めめががが   魚いを魚いをいお乞こ乞ここはははさばさばさば   ののの大おほ大おほおおけくけくけくををを   幾許こきし幾許こきしこきし稗ひ稗ひひゑねゑねえね   ええええええ、、、。。。(((此こ此ここはははいごのいごのいごのふぞふぞふぞ。。。)))ああああああ、、、しやこしやしやこしやしやこしや。。。(((此こ此ここははは嘲咲あざわら嘲咲あざわらあざわらふぞふぞふぞ。。。)))かれかれかれ其そ其そそののの弟宇迦斯おとうかし弟宇迦斯おとうかしおとうかし。。。(((此こ此ここははは宇陀うだ宇陀うだうだのののががが祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))然而其弟宇迦斯之獻大饗者。悉賜其御軍。此時歌曰。宇陀能。多加紀爾。志藝和那波留。和賀麻都夜。志藝波佐夜良受。伊須久波斯。久治良佐夜流。古那美賀。那許波佐婆。多知曾婆能微能。那祁久袁。許紀志斐惠泥。宇波那理賀。那許波佐婆。伊知佐加紀。微能。意富祁久袁。許紀陀斐惠泥。疊疊〈音引〉志夜胡志夜。此者伊棊能布曾。〈此五字以音〉阿阿〈音引〉志夜胡志夜。此者嘲咲者也。故其弟宇迦斯。〈此者宇陀水取等之祖也〉
  2. 2其地そこ其地そこそこよりいでましてよりいでましてよりいでまして、、、ののの大室おほむろ大室おほむろおおむろににに到いた到いたいたりませるりませるりませる時とき時ときときににに、、、尾を尾をおあるあるある、、、そのそのその室むろ室むろむろにありてにありてにありて待ま待ままちいなるちいなるちいなる。。。かれこゝにかれこゝにかれここに天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこののの命みこと命みことみこともちてもちてもちて、、、八十建やそたける八十建やそたけるやそたけるににに御饗みあへ御饗みあへみあえををを賜たま賜たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに八十建やそたける八十建やそたけるやそたけるににに宛あ宛ああてててててて、、、八十膳夫やそかしはで八十膳夫やそかしはでやそかしわでををを設ま設ままけてけてけて、、、人ひと人ひとひと每ごと每ごとごとににに刀佩たちは刀佩たちはたちわけてけてけて、、、其そ其そそののの膳夫かしはで膳夫かしはでかしわでどもにどもにどもに、、、「「「歌うた歌うたうたををを聞き聞ききかばかばかば、、、一時もろとも一時もろとももろともににに斬き斬ききれれれ。。。」」」ととと誨をし誨をしをしへたまひきへたまひきへたまいき。。。かれかれかれ其そ其そそののの土雲つちぐも土雲つちぐもつちぐもををを打う打ううたむとすることたむとすることたむとすることををを明あか明あかあかせるせるせる歌うた歌うたうた。。。忍坂おさか忍坂おさかおさかののの   大室屋おほむろや大室屋おほむろやおおむろやににに   人ひと人ひとひと多おほ多おほおおににに   來入きい來入きいきいりりり居を居をおりりり   人ひと人ひとひと多おほ多おほおおににに   入い入いいりりり居を居をおりともりともりとも      久米くめ久米くめくめののの子こ子ここががが   もちもちもち   ちてしやまむちてしやまむちてしやまむ   みつ〳〵しみつ〳〵しみつみつし   久米くめ久米くめくめののの子等こども子等こどもこどもががが   頭椎石椎くぶつついしつつい頭椎石椎くぶつついしつついくぶつついしつついもちもちもち   今擊いまう今擊いまういまうたばたばたば善よ善よよらしらしらし   かくかくかく歌うた歌うたうたひてひていて、、、刀たち刀たちたちををを拔ぬ拔ぬぬきてもろともにきてもろともにきてもろともにうちうちうち殺ころ殺ころころしつしつしつ。。。自其地幸行。到忍坂大室之時。生尾土雲〈訓云具毛〉八十建。在其室待伊那流。〈此三字以音〉故爾天神御子之命以。饗賜八十建。於是宛八十建設八十膳夫。每人佩刀。誨其膳夫等曰。聞歌之者一時共斬。故明將打其土雲之歌曰。意佐加能。意富牟盧夜爾。比登佐波爾。岐伊理袁理。比登佐波爾。伊理袁理登母。美都美都斯。久米能古賀。久夫都都伊。伊斯都都伊母知。宇知弖斯夜麻牟。美都美都斯。久米能古良賀。久夫都都伊。伊斯都都伊母知。伊麻宇多婆余良斯。如此歌而。拔刀一時打殺也。
  3. 3そのそのその後のち後のちのち、、、登美毘古とみびこ登美毘古とみびことみびこををを擊う擊ううちたまはむとせしちたまはむとせしちたまわむとせし時とき時ときときののの大御歌おほみうた大御歌おほみうたおおみうた。。。みつ〳〵しみつ〳〵しみつみつし   久米くめ久米くめくめののの子等こども子等こどもこどもががが   粟生あはふ粟生あはふあおうにににははは      其根そね其根そねそねががが莖もと莖もともと   其根そね其根そねそね芽繫めつな芽繫めつなめつなぎてぎてぎて   擊う擊ううちてしやまむちてしやまむちてしやまむ   またまたまた、、、みつ〳〵しみつ〳〵しみつみつし   久米くめ久米くめくめののの子等こども子等こどもこどもががが   垣下かきもと垣下かきもとかきもとににに   植う植ううゑしゑしえし   口響くちひひ口響くちひひくちひひくくく   吾あ吾ああははは忘わす忘わすわすれじれじれじ   擊う擊ううちてしやまむちてしやまむちてしやまむ然後將擊登美毘古之時歌曰。美都美都斯。久米能古良賀。阿波布爾波。賀美良比登母登。曾泥賀母登。曾泥米都那藝弖。宇知弖志夜麻牟。又歌曰。美都美都斯。久米能古良賀。加岐母登爾。宇惠志波士加美。久知比比久。和禮波和須禮士。宇知弖斯夜麻牟。
  4. 4またまたまた、、、風かぜ風かぜかぜののの   伊勢いせ伊勢いせいせののの海うみ海うみうみののの   大石おほいし大石おほいしおおいしににに   はひはひはいもとほらふもとほらふもとおらう   ののの   いいいはひはひわいもとほりもとほりもとおり   擊う擊ううちてしやまむちてしやまむちてしやまむ   またまたまた兄師木えしき兄師木えしきえしき弟師木おとしき弟師木おとしきおとしきををを擊う擊ううちたまへるちたまへるちたまえる時とき時ときときににに、、、御軍みいくさ御軍みいくさみいくさ暫しま暫しましましししははは疲つか疲つかつかれたりきれたりきれたりき。。。そのときのそのときのそのときの大御歌おほみうた大御歌おほみうたおおみうた。。。楯たて楯たてたて竝ならび竝ならびならびめてめてめて   伊那佐いなさ伊那佐いなさいなさののの山やま山やまやまののの   樹き樹ききののの間ま間ままよもよもよも   いいい行ゆ行ゆゆきまもらひきまもらひきまもらい   戰たたか戰たたかたたかへばへばえば   われわれわれはやはやはや飢ゑ飢ゑえぬぬぬ   島しま島しましまつつつ鳥とり鳥とりとり   ががが徒とも徒ともとも   今助いますけ今助いますけいますけににに來き來ききねねね又歌曰。加牟加是能。伊勢能宇美能。意斐志爾。波比母登富呂布。志多陀美能。伊波比母登富理。宇知弖志夜麻牟。又擊兄師木弟師木之時。御軍暫疲。爾歌曰。多多那米弖。伊那佐能夜麻能。許能麻用母。伊由岐麻毛良比。多多加閉婆。和禮波夜惠奴。志麻都登理。宇〈上〉加比賀登母。伊麻須氣爾許泥。
  5. 5かれかれかれ玆ここ玆ここここにににののの命みこと命みことみことまゐまゐまい來き來ききててて、、、天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこににに申まを申まをもうさくさくさく、、、「「「天あま天あまあまつつつ神かみ神かみかみののの御子みこ御子みこみこ天降あも天降あもあもりましぬとりましぬとりましぬと聞き聞きききつるきつるきつる故かれ故かれかれににに、、、追お追おおひてまゐひてまゐいてまい降くだ降くだくだりりり來き來ききつつつ。。。」」」ととと申まを申まをもうしてしてして、、、卽すなは卽すなはすなわちちち天あま天あまあまつつつををを獻たてまつ獻たてまつたてまつりてりてりて仕つか仕つかつかへまつりきへまつりきえまつりき。。。かれかれかれ邇藝速日にぎはやひ邇藝速日にぎはやひにぎはやひののの命みこと命みことみこと、、、登美毘古とみびこ登美毘古とみびことみびこががが妹いも妹いもいも、、、登美夜毘賣とみやびめ登美夜毘賣とみやびめとみやびめににに娶あ娶ああひてひていて生う生ううめるめるめる子こ子ここ、、、宇摩志麻遲うましまぢ宇摩志麻遲うましまぢうましまじののの命みこと命みことみこと。。。(((此こ此ここははは物部もののべ物部もののべもののべののの連つら連つらつら、、、穗積ほづみ穗積ほづみほずみののの臣おみ臣おみおみ、、、婇うねべ婇うねべうねべののの臣おみ臣おみおみののの祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))故爾邇藝速日命。參赴白於天神御子。聞天神御子天降坐故。追參降來。卽獻天津瑞以仕奉也。故邇藝速日命。娶登美毘古之妹。登美夜毘賣生子。宇摩志麻遲命。〈此者物部連。穗積臣。婇臣祖也。〉
  6. 6かれかくのごとかれかくのごとかれかくのごと、、、荒あら荒あらあらぶるぶるぶる神等かみたち神等かみたちかみたちををを言向ことむ言向ことむことむけやはしけやはしけやわし、、、伏まつろ伏まつろまつろはははぬぬぬ人ひと人ひとひとどもどもどもををを掃はら掃はらはらひひい平たひら平たひらたいらけたまひてけたまひてけたまいて、、、畝火うねび畝火うねびうねびのののののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、天あめ天あめあめののの下治したしろ下治したしろしたしろしめしきしめしきしめしき。。。故如此。言向平和荒夫琉神等。〈夫琉二字以音〉退撥不伏人等而。坐畝火之白檮原宮治天下也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて、弟宇迦斯が献上したごちそうを、すべて軍勢の兵士たちにお与えになった。このときにお詠みになった歌は、

宇陀の高城に鴫を捕る罠を張って、私が待っていると、鴫はかからず、なんと鯨がかかった。古い妻がおかずをほしがったら、立ち柧稜(そば)の実のように中身の少ないところを、たくさん削ってやれ。新しい妻がおかずをほしがったら、檪(いちさかき)の実のように中身の多いところを、たくさん削ってやれ。ええ、しやこしや(これは相手を威嚇する言葉である)。ああ、しやこしや(これはあざ笑う言葉である)。

さて、その弟宇迦斯は、宇陀の水取らの祖先である。

そこから進んで、忍坂の大室に着かれたとき、尾のある土雲の八十建(大勢の勇者たち)が、その室屋にいて、うなり声をあげて待ち構えていた。そこで天つ神の御子の仰せで、八十建にごちそうをお与えになった。そして、八十建の一人ひとりに一人ずつ料理人を付け、それぞれに刀を帯びさせて、その料理人たちに「歌が聞こえたら、いっせいに斬れ」とお教えになった。そこで、その土雲を討とうとすることを知らせる合図の歌は、

忍坂の大きな室屋に、人が大勢入って来ている。人が大勢入っていても、勇ましい久米の兵士たちが、頭椎の太刀、石椎の太刀で撃ち取ってしまおう。勇ましい久米の兵士たちが、頭椎の太刀、石椎の太刀で、今撃てばよいぞ。

このように歌って、刀を抜いて、いっせいに打ち殺してしまった。

その後、登美毘古を撃とうとなさったときのお歌。

勇ましい久米の兵士たちの粟畑には、くさい韮が一本生えている。その根も茎も、根と芽をつないでまるごと引き抜くように、撃ち取ってしまおう。

また、

勇ましい久米の兵士たちが、垣根のもとに植えた山椒は、口がひりひりする。その辛さのように受けた恨みを、私は忘れまい。撃ち取ってしまおう。

また、

神風の吹く伊勢の海の大きな石に、這い回っているきさごのように、這い回って取り囲み、撃ち取ってしまおう。

また兄師木・弟師木を撃たれたとき、軍勢はしばらく疲れてしまった。そのときのお歌。

楯を並べて伊那佐の山の木々のあいだを通って、行きながら見張りをして戦ったので、私はもう飢えてしまった。鵜飼をする者たちよ、今すぐ助けに来てくれ。

そこへ邇芸速日命がやって来て、天つ神の御子に「天つ神の御子が天から降りていらしたと聞いたので、後を追って降ってまいりました」と申し上げて、すぐに天つ神の子孫であるしるしの宝を献じてお仕えした。邇芸速日命が、登美毘古の妹の登美夜毘売と結婚して生んだ子は、宇摩志麻遅命である。これは物部連・穂積臣・婇臣の祖先である。

こうして荒ぶる神々を説き伏せて従わせ、従わない者たちを追い払って平定なさり、畝火の白檮原の宮にいらっしゃって、天下をお治めになった。

意訳

この段には、「久米歌」と呼ばれる一連の戦いの歌が収められています。久米歌は、大伴氏・久米氏が伝えた宮廷の歌舞(久米舞)の歌詞で、平安時代には大嘗祭などで演じられました。「撃ちてし止まむ(撃ち取らずにはおかない)」というくり返しの句は、のちに太平洋戦争中の標語にも使われ、勇ましい戦の歌として知られています。

最初の宇陀の歌は、戦勝の宴で歌われたとされるもので、鴫の罠に鯨がかかったという、勝利を大げさにたとえた滑稽な歌です。古い妻には少なく、新しい妻には多く分けてやれ、という言葉や、「ええ、しやこしや」というはやし言葉には、宴の席の荒々しい笑いが感じられます。

忍坂の土雲を討つ場面では、歌が攻撃の合図として使われます。ごちそうでもてなしたうえで、歌を合図にいっせいに斬りかかるという戦い方は、だまし討ちの話として後の倭建命の物語にも見られます。最後に、先に大和に降っていた邇芸速日命が、天つ神の子孫であることを示す宝を献じて従い、神武天皇は畝傍山のふもとの橿原の宮で即位します。

語釈・文法注

宇陀の高城
宇陀の高い所に設けた柵や砦。そこに鴫を捕る罠を張ったと歌う。
鯨障る
鯨がかかる。鴫の罠に鯨がかかるという誇張で、思いがけない大きな獲物(勝利)をたとえる。「勇細し」は「くぢら」にかかる言葉とされる。
前妻・後妻
「こなみ」は古い妻、「うはなり」は新しい妻。
立柧稜の實の長けくを
立ったソバノキ(カナメモチとも)の実の、中身の少ないところを。原文は「多知曾婆能微能那祁久袁」で、「実の無けくを(なけくを)」と解されるが、底本の訓み下しは「長けくを」とする。
檪實の大けくを
イチサカキ(ヒサカキとも)の実の、中身の多いところを。
しやこしや
相手を威嚇し、あざ笑うはやし言葉。原文の分注に「此は伊棊能布曾(いごのふぞ)」「此は嘲咲ふ者なり」とある。
宇陀の水取
朝廷の飲料水をつかさどった水取部(もいとりべ)。
忍坂の大室
忍坂(奈良県桜井市忍阪)の大きな室屋(岩屋)。
土雲
土蜘蛛。朝廷に従わない土着の人々を、穴に住む者として卑しめて呼んだ名。尾があるとされる。
八十建
大勢の勇者たち。「たける」は勇猛な者。
みつ〳〵し
「久米」にかかる枕詞。勢いの盛んな、勇ましい意とされる。
頭椎石椎
柄頭が槌の形をした大刀(頭椎)と、石の槌(石椎)。
擊ちてしやまむ
撃ち取ってから終わりにしよう。必ず撃ち取ろうという強い決意を表す。久米歌のくり返しの句。
臭韮
「かみら」。においの強いニラ。根ごと抜き取るように敵を根絶やしにしようと歌う。
薑
「はじかみ」。山椒(または生姜)。口がひりひりする辛さを、受けた恨みの痛さにたとえる。
神風の
「伊勢」にかかる枕詞。
細螺
「しただみ」。キサゴなどの小さな巻貝。岩に這いつくばう貝のように敵を取り囲もうと歌う。
鵜養が徒
鵜飼をする人々。吉野で出会った阿陀の鵜飼(贄持之子)らを指すとされ、食料を届けてほしいと呼びかける。
邇藝速日の命
天つ神の子で、神武天皇より先に大和に天降っていた神。登美毘古の妹を妻にしていたが、天つ神の御子に従い、天つ瑞を献じた。物部氏の祖神とされる。
天つ瑞
天つ神の子孫であることを示すしるしの宝物。日本書紀では天羽羽矢と歩靫とする。
畝火の白檮原の宮
畝傍山(奈良県橿原市)の東南のふもとにあったとされる神武天皇の宮。現在の橿原神宮の地とされる。

文法

宇陀の歌
原文は一字一音で、「疊疊〈音引〉志夜胡志夜」(ええ、しやこしや)のように、のばす音を〈音引〉と注記している。
待ちいなる
原文は「待伊那流」。「いなる」はうなり声をあげる意とされる。
擊ちてしやまむ
「撃つ」の連用形+完了の助動詞「つ」の連用形+強意の副助詞「し」+「止む」の未然形+意志の助動詞「む」。「撃ってこそ止めよう」。
原文の歌の字
底本は、同じ「擊ちてしやまむ」を「宇知弖斯夜麻牟」「宇知弖志夜麻牟」と書き分ける。底本どおりとした。
今助に來ね
「来」の連用形+願望の終助詞「ね」。「今すぐ助けに来てほしい」。

歌謡

宇陀の 高城に 鴫羂張る 我が待つや 鴫は障らず 勇細し 鯨障る 前妻が 魚乞はさば 立柧稜の 實の 長けくを 幾許稗ゑね 後妻が 魚乞はさば 檪實の 大けくを 幾許稗ゑね ええ、しやこしや ああ、しやこしや

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
宇陀で兄宇迦斯を討ち、弟宇迦斯の献じたごちそうを兵士たちに与えたときの、戦勝の宴の歌。

修辞

誇張
鴫の罠に鯨がかかるという大げさな表現で、思いがけない大勝利を表す。
対句
「前妻が魚乞はさば…」「後妻が魚乞はさば…」と対句を重ねる。
はやし言葉
「ええ、しやこしや」「ああ、しやこしや」は、威嚇しあざ笑うはやし言葉。

忍坂の 大室屋に 人多に 來入り居り 人多に 入り居りとも みつ〳〵し 久米の子が 頭椎石椎もち 擊ちてしやまむ みつ〳〵し 久米の子等が 頭椎石椎もち 今擊たば善らし

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
忍坂の大室で、土雲の八十建をもてなしながら、いっせいに斬りかかる合図として歌った。

修辞

くり返し
「人多に」「みつみつし久米の子が頭椎石椎もち」をくり返す。
枕詞
「みつみつし」は「久米」にかかる。

みつ〳〵し 久米の子等が 粟生には 臭韮一莖 其根が莖 其根芽繫ぎて 擊ちてしやまむ

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
登美毘古を撃とうとしたときの歌。

修辞

比喩
敵を、根も芽も一緒に抜き取る臭韮にたとえる。

みつ〳〵し 久米の子等が 垣下に 植ゑし薑 口響く 吾は忘れじ 擊ちてしやまむ

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
前の歌に続けて、登美毘古への恨み(兄五瀬命の死)を忘れまいと歌う。

修辞

比喩
口がひりひりする山椒の辛さを、受けた恨みにたとえる。

神風の 伊勢の海の 大石に はひもとほらふ 細螺の いはひもとほり 擊ちてしやまむ

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
登美毘古との戦いで歌った歌。

修辞

枕詞
「神風の」は「伊勢」にかかる。
比喩
岩に這い回る細螺(きさご)のように、敵を取り囲もうと歌う。

楯竝めて 伊那佐の山の 樹の間よも い行きまもらひ 戰へば われはや飢ぬ 島つ鳥 鵜養が徒 今助に來ね

詠者
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
状況
兄師木・弟師木との戦いで軍勢が疲れたときに歌った歌。

修辞

枕詞
「楯並めて」は「伊那佐」に、「島つ鳥」は「鵜」にかかる。

解説

神武天皇の東征の後半は、久米歌と呼ばれる戦いの歌を中心に構成されています。久米歌は、大伴氏とその配下の久米部が伝えた宮廷の歌舞で、のちに大嘗祭などの儀式で久米舞として演じられました。古事記は、その歌詞を東征の具体的な場面に結びつけて、歌の由来を語っています。

歌に詠まれる宇陀・忍坂・伊那佐の山などは、いずれも奈良盆地の東南部の地名です。神武天皇は熊野から吉野・宇陀を経て、この地域の豪族たちを次々に平定し、ついに大和を手中に収めました。邇芸速日命が天つ瑞を献じて従う場面は、物部氏が天皇家に先立って大和にいた有力な氏族であったことを反映していると考えられます。

畝傍山のふもとの橿原の宮で即位した神武天皇は、古事記では「畝火の白檮原の宮にましまして、天の下治しめしき」と簡潔に記されるだけです。日本書紀は、この即位を辛酉の年の春正月とし、これがのちの紀元節(建国記念の日)の根拠となりました。明治23年(1890)には、宮跡とされた地に橿原神宮が創建されています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。124〜128頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日