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古事記 中巻

熊曾建と出雲建

兄を殺した小碓命の荒々しさを恐れた天皇は、西方の熊曾建兄弟を討つよう命じる。小碓命は叔母倭比売命の衣装を借りて少女に姿を変え、新築祝いの宴に紛れ込んで熊曾建兄弟を刺す。弟建は死に際に「倭建」の名を献じる。帰途、出雲建と友を装い、木刀とすり替えた太刀で討ち取る。

  1. 1こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと其そ其そそののの御子みこ御子みこみこののの建たけ建たけたけくくく荒あら荒あらあらききき御おん御おんおん心こころ心こころこころををを惶かしこ惶かしこかしこみましてみましてみまして、、、詔の詔ののりたまはくりたまはくりたまわく、、、「「「西にし西にしにしののの方かた方かたかたにににありありあり。。。これこれこれ伏まつろ伏まつろまつろはははずずず、、、禮無ゐやな禮無ゐやないやなききき人等ひとども人等ひとどもひとどもなりなりなり。。。かれかれかれ其そ其そそののの人等ひとども人等ひとどもひとどもををを取と取ととれれれ。。。」」」ととと詔の詔ののりたまひてりたまひてりたまいて遣つか遣つかつかはしきはしきわしき。。。此こ此ここののの時とき時ときときににに當あた當あたあたりてりてりて、、、其そ其そそのののににに結ゆ結ゆゆはせりはせりわせり。。。こゝにこゝにここに小碓をうす小碓をうすおうすののの命みこと命みことみこと、、、其そ其そそのののののの命みこと命みことみことののの御衣みけし御衣みけしみけし御裳みも御裳みもみもををを給たま給たまたまはははりりり、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎををを御おん御おんおん懷なつ懷なつなつににに納い納いいれてれてれて幸さき幸さきさきしきしきしき。。。かれかれかれ熊曾建くまそたける熊曾建くまそたけるくまそたけるががが家いへ家いへいえににに到いた到いたいたりてりてりて見み見みみたまへばたまへばたまえば、、、其そ其そそののの家いへ家いへいえののの邊へ邊へへににに軍三重いくさみへ軍三重いくさみへいくさみえににに圍かく圍かくかくみみみ、、、室むろ室むろむろををを作つく作つくつくりてぞりてぞりてぞ居を居をおりけるりけるりける。。。こゝにこゝにここに、、、「「「せむせむせむ。。。」」」ととと言い言いいひひい動とよ動とよとよみてみてみて、、、食物をしもの食物をしものをしものををを設ま設ままけけけ備そな備そなそなへたりきへたりきえたりき。。。かれかれかれ其そ其そそののの傍かたへ傍かたへかたへををを遊行ある遊行あるあるきてきてきて其そ其そそののの樂うたげ樂うたげうたげするするする日ひ日ひひををを待ま待ままちたまひきちたまひきちたまいき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの樂うたげ樂うたげうたげののの日ひ日ひひになりてになりてになりて、、、其そ其そそののの結ゆ結ゆゆはせるはせるわせる御髮みかみ御髮みかみみかみををを童女をとめ童女をとめおとめののの髮かみ髮かみかみのごとのごとのごと梳けづ梳けづけずりりり垂し垂ししれれれ、、、其そ其そそののの姨みをば姨みをばみおばののの御衣みけし御衣みけしみけし御裳みも御裳みもみもををを服け服けけしてしてして、、、既すで既すですでににに童女をとめ童女をとめおとめののの姿すがた姿すがたすがたににに成な成ななりてりてりて、、、女人をみな女人をみなおみなどものどものどもの中なか中なかなかににに交まじ交まじまじりりり立た立たたちてちてちて、、、其そ其そそののの室むろ室むろむろ內うち內うちうちににに入い入いいりましきりましきりましき。。。こゝにこゝにここに熊曾建兄弟二人くまそたけるあにおとふたり熊曾建兄弟二人くまそたけるあにおとふたりくまそたけるあにおとふたり、、、其そ其そそののの孃子をとめ孃子をとめおとめををを見感みめ見感みめみめでてでてでて、、、己おの己おのおのががが中なか中なかなかににに坐ま坐まませてせてせて、、、盛も盛ももりにりにりに樂うたげ樂うたげうたげげたりげたりげたり。。。かれかれかれ其そ其そそのののなるなるなる時とき時ときときになりてになりてになりて、、、御おん御おんおん懷なつ懷なつなつよりよりより劒つるぎ劒つるぎつるぎををを出い出いいししし、、、熊曾くまそ熊曾くまそくまそががが衣きぬ衣きぬきぬののの衿くび衿くびくびををを取と取ととりてりてりて、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎもてもてもて其そ其そそののの胸むな胸むなむなよりよりより刺さ刺ささししし通かよ通かよかよししし給たま給たまたまふふう時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの弟建おとたける弟建おとたけるおとたける、、、見畏みかしこ見畏みかしこみかしこみてみてみて逃に逃ににげげげ出い出いいできできでき。。。乃すなは乃すなはすなわちちち其そ其そそののの室むろ室むろむろのののののの本もと本もともとににに追お追おおひひい至いた至いたいたりてりてりて、、、其そ其そそののの背そ背そそををを取と取ととらへらへらえ、、、劒つるぎ劒つるぎつるぎもてもてもて尻しり尻しりしりよりよりより刺さ刺ささししし通かよ通かよかよしたまひきしたまひきしたまいき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの熊曾建くまそたける熊曾建くまそたけるくまそたけるまままをををしつらくしつらくしつらく、、、「「「其そ其そそののの御刀みはかし御刀みはかしみはかしをををななな動うご動うごうごかしかしかし給たま給たまたまひそひそいそ。。。僕あ僕ああ申まを申まをもうすべきすべきすべき事こと事ことことありありあり。。。」」」とまとまとまをををすすす。。。かれかれかれ暫しま暫しましま許もと許もともとしておししておししておし伏ふ伏ふふせたまふせたまふせたまう。。。こゝにこゝにここにまをしつらくまをしつらくまおしつらく、、、「「「汝な汝ななががが命みこと命みことみことははは誰たれ誰たれたれにますぞにますぞにますぞ。。。」」」「「「吾あ吾ああははは纒向之日代まきむくのひしろ纒向之日代まきむくのひしろまきむくのひしろののの宮みや宮みやみやにましましてにましましてにましまして、、、大八島國おほやしまぐに大八島國おほやしまぐにおおやしまぐに知し知ししろしめすろしめすろしめす、、、大帶日子淤斯呂和氣おほたらしひこおしろわけ大帶日子淤斯呂和氣おほたらしひこおしろわけおおたらしひこおしろわけののの天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの御子みこ御子みこみこ、、、御名みな御名みなみなははは倭男具那やまとをぐな倭男具那やまとをぐなやまとおぐなののの王きみ王きみきみにますにますにます。。。おれおれおれ熊曾建二人くまそたけるふたり熊曾建二人くまそたけるふたりくまそたけるふたり、、、伏まつろ伏まつろまつろはははずずず、、、禮ゐや禮ゐやいやなしときこしめしてなしときこしめしてなしときこしめして、、、おれおれおれををを殺と殺ととれとれとれと詔の詔ののりりり給たま給たまたまひてひていて遣つか遣つかつかはせりはせりわせり。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの熊曾建くまそたける熊曾建くまそたけるくまそたける、、、「「「信まこと信まことまことにしかまさむにしかまさむにしかまさむ。。。西にし西にしにしののの方かた方かたかたににに吾あ吾ああ二人ふたり二人ふたりふたりををを除お除おおきてきてきて、、、建たけ建たけたけくくく強こは強こはこわききき人ひと人ひとひと無な無ななししし。。。然しか然しかしかるにるにるに大倭おほやまと大倭おほやまとおおやまとののの國くに國くにくにににに、、、吾あ吾ああ二人ふたり二人ふたりふたりにましてにましてにまして建たけ建たけたけききき男をとこ男をとこおとこははは坐ま坐まましけりしけりしけり。。。是ここ是ここここををを以もつ以もつもつててて吾あ吾ああ、、、御名みな御名みなみなををを獻たてまつ獻たてまつたてまつらむらむらむ。。。今いま今いまいまよりよりより後のち後のちのちののの御子みこ御子みこみこととと稱しよう稱しようしようへまへまえまをををすべしすべしすべし。。。」」」とまとまとまをををしきしきしき。。。このこのこの事こと事ことことまままをををししし訖を訖ををへつればへつればへつれば、、、卽すなは卽すなはすなわちちちのごとのごとのごと、、、振ふ振ふふりりり拆さ拆ささきてきてきて殺ころ殺ころころししし給たま給たまたまひきひきいき。。。其そ其そそののの時とき時ときときよりぞよりぞよりぞ御名みな御名みなみなををを稱しよう稱しようしようへてへてえて、、、倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみこととととはははまままをををしけるしけるしける。。。然しか然しかしかしてしてして還かへ還かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりますりますります時とき時ときときににに、、、山やま山やまやまののの神かみ神かみかみ河かは河かはかわののの神かみ神かみかみまたまたまたののの神かみ神かみかみををを皆みな皆みなみな言向ことむ言向ことむことむけけけ和やは和やはやわしてまゐしてまゐしてまい上のぼ上のぼのぼりましきりましきりましき。。。於是天皇。惶其御子之建荒之情而。詔之。西方有熊曾建二人。是不伏无禮人等。故取其人等而遣。當此之時。其御髮結額也。爾小碓命。給其姨倭比賣命之御衣御裳。以劒納于御懷而幸行。故到于熊曾建之家見者。於其家邊軍圍三重。作室以居。於是言動爲御室樂。設備食物。故遊行其傍。待其樂日。爾臨其樂日。如童女之髮梳垂其結御髮。服其姨之御衣御裳。既成童女之姿。交立女人之中。入坐其室內。爾熊曾建兄弟二人。見感其孃子。坐於己中而。盛樂。故臨其酣時。自懷出劒。取熊曾之衣衿。以劒自其胸刺通之時。其弟建。見畏逃出。乃追至其室之椅本。取其背。皮劒。自尻刺通。爾其熊曾建白言。莫動其刀。僕有白言。爾暫許押伏。於是白言。汝命者誰。爾詔。吾者坐纒向之日代宮。所知大八島國。大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子。名倭男具那王者也。意禮熊曾建二人。不伏無禮聞看而。取殺意禮詔而遣。爾其熊曾建白。信然也。於西方。除吾二人。無建強人。然於大倭國。益吾二人而。建男者坐祁理。是以吾獻御名。自今以後應稱倭建御子。是事白訖。卽如熟苽振折而殺也。故自其時稱御名。謂倭建命。然而還上之時。山神。河神。及穴戶神。皆言向和而參上。
  2. 2卽すなは卽すなはすなわちちち出雲いづも出雲いづもいずもののの國くに國くにくにににに入い入いいりましてりましてりまして、、、其そ其そそのののををを殺ころ殺ころころらむとおもほしてらむとおもほしてらむとおもおして、、、到いた到いたいたりましてりましてりまして卽すなは卽すなはすなわちちち結友うるはし結友うるはしうるわししたまひきしたまひきしたまいき。。。かれかれかれ竊ひそ竊ひそひそかにかにかにもてもてもて刀たち刀たちたちににに作つく作つくつくりなしてりなしてりなして、、、御佩みはか御佩みはかみはかかしてかしてかして、、、共とも共ともともににに肥ひ肥ひひののの河かは河かはかはににに沐かはあみ沐かはあみかわあみしたまひきしたまひきしたまいき。。。こゝにこゝにここに倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみこと河かは河かはかわよりよりより先ま先ままづづず上のぼ上のぼのぼりましてりましてりまして、、、出雲建いづもたける出雲建いづもたけるいずもたけるががが解と解ととききき置お置おおけるけるける横刀たち横刀たちたちををを佩は佩ははかしてかしてかして、、、「「「易刀たちかへ易刀たちかへたちかえせむせむせむ。。。」」」ととと詔の詔ののりたまふりたまふりたまう。。。かれかれかれ後のち後のちのちににに出雲建河いづもたけるかは出雲建河いづもたけるかはいずもたけるかわよりよりより上のぼ上のぼのぼりてりてりて、、、倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみことののの詐刀こだち詐刀こだちこだちををを佩は佩ははきききききき。。。こゝにこゝにここに倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみこと、、、「「「いざいざいざ刀合たちあ刀合たちあたちあはさむはさむわさむ。。。」」」ととと誂あとら誂あとらあとらへたまふへたまふへたまう。。。かれかれかれ各おのおの各おのおのおのおの其そ其そそののの刀たち刀たちたちををを拔ぬ拔ぬぬくくく時とき時ときときににに、、、出雲建詐刀いづもたけるこだち出雲建詐刀いづもたけるこだちいずもたけるこだちををを得え得ええ拔ぬ拔ぬぬかずかずかず。。。卽すなは卽すなはすなわちちち倭建やまとたける倭建やまとたけるやまとたけるののの命みこと命みことみこと、、、其そ其そそののの刀たち刀たちたちををを拔ぬ拔ぬぬかしてかしてかして、、、出雲建いづもたける出雲建いづもたけるいずもたけるををを打う打ううちちち殺ころ殺ころころしたまひきしたまひきしたまいき。。。かれかれかれ御歌みうた御歌みうたみうたよみしたまはくよみしたまはくよみしたまわく、、、すすす   出雲建いづもたける出雲建いづもたけるいずもたけるががが   佩は佩ははけるけるける劒つるぎ劒つるぎつるぎ   黑葛多纒つづらさはま黑葛多纒つづらさはまつづらさわまききき   眞身無さみな眞身無さみなさみなしにあはれしにあはれしにあわれ   かれかくかれかくかれかく撥はら撥はらはらひひひ平たひら平たひらたいららげてらげてらげて、、、まゐまゐまい上のぼ上のぼのぼりてりてりて、、、覆奏かへりごと覆奏かへりごとかえりごとしたまひきしたまひきしたまいき。。。卽入坐出雲國。欲殺其出雲建而。到卽結友。故竊以赤檮。作詐刀。爲御佩。共沐肥河。爾倭建命。自河先上。取佩出雲建之解置橫刀而。詔爲易刀。故後出雲建自河上而。佩倭建命之詐刀。於是倭建命。誂云伊奢合刀。爾各拔其刀之時。出雲建不得拔詐刀。卽倭建命拔其刀而。打殺出雲建。爾御歌曰。夜都米佐須。伊豆毛多祁流賀。波祁流多知。都豆良佐波麻岐。佐味那志爾阿波禮。故如此撥治參上。覆奏。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

そこで天皇は、その御子の勇猛で荒々しい心を恐れて、「西の方に熊曾建という二人がいる。これは従わず礼儀を知らない者たちである。だから、その者たちを討ち取れ」とおっしゃって遣わした。このとき小碓命は、まだ髪を額で結う少年の髪型をしていた。そこで小碓命は叔母の倭比売命の衣と裳をいただき、剣を懐に入れてお出かけになった。そして熊曾建の家に着いてご覧になると、その家のまわりには軍勢が三重に取り囲み、新しい室屋を作って住んでいた。

そして「新室の祝いの宴をしよう」と言い騒いで、食べ物を用意していた。そこで小碓命はその付近をぶらぶらと歩いて、宴の日を待っておられた。その宴の日になると、結っていた髪を少女の髪のように梳いて垂らし、叔母の衣と裳を身につけて、すっかり少女の姿になって、女たちの中にまじって室屋に入っていかれた。すると熊曾建の兄弟二人は、その乙女を見てすっかり気に入り、自分たちのあいだに座らせて、盛んに宴を楽しんだ。そして宴がたけなわになったとき、小碓命は懐から剣を取り出し、熊曾建(兄)の衣の襟をつかんで、剣でその胸から刺し通された。すると弟の建は、それを見て恐れて逃げ出した。小碓命はすぐにその室屋の階段のもとまで追いかけて、その背をつかまえ、剣で尻から刺し通された。そこで熊曾建(弟)は「その刀を動かさないでください。申し上げたいことがあります」と言った。そこでしばらく押さえつけておかれた。熊曾建が「あなた様はどなたですか」と尋ねると、小碓命は「私は纏向の日代の宮にいらして大八島国をお治めになる、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子で、名は倭男具那王である。おまえたち熊曾建二人が従わず礼儀を知らないとお聞きになって、おまえたちを討てとおっしゃって遣わされたのだ」とおっしゃった。すると熊曾建は「本当にそうでいらっしゃるのでしょう。西の方には、私たち二人のほかに勇猛で強い者はいません。けれども大倭の国には、私たち二人にもまさる勇猛な男がいらっしゃったのですね。そこで私はあなた様にお名前を献上いたしましょう。今から後は、倭建の御子とおたたえ申し上げましょう」と申し上げた。

こう申し終えたところで、熟した瓜を裂くように切り裂いて殺してしまわれた。そのときから名をたたえて、倭建命と申し上げるようになった。そして都へ帰り上られるとき、山の神・河の神、また穴戸の神をみな説き伏せて従わせて、参上なさった。

それからすぐに出雲の国に入って、その出雲建を殺そうと思い、着くとすぐに友となる契りを結ばれた。そしてひそかにいちいがしの木で刀を作って、それを腰に帯び、二人で肥の河で水浴びをされた。そのとき倭建命は先に川から上がって、出雲建が解いて置いておいた太刀を腰に帯び、「刀を取り替えよう」とおっしゃった。そこで後から出雲建が川から上がって、倭建命の木刀を帯びた。そこで倭建命が「さあ、刀を合わせよう」と誘いかけられた。そしてそれぞれが刀を抜くとき、出雲建は木刀を抜くことができなかった。

すぐに倭建命はその刀を抜いて、出雲建を打ち殺された。そしてお詠みになった歌は、

(八雲刺す)出雲建が腰に帯びた太刀は、つる草をたくさん巻いて飾ってあるが、刀身がないとは、ああ哀れなことよ。

こうして賊を払い平らげて、都に帰り上って、天皇にご報告なさった。

意訳

父に恐れられた小碓命は、まだ少年の身で、西の果ての熊曾建の討伐に送り出されます。軍勢を与えられず、叔母の倭比売命から借りた女の衣装と一振りの剣だけを持っての旅でした。少女に変装して宴にもぐりこみ、酔った熊曾建の兄弟を討つという策略は、日本の英雄物語の中でも特に有名な場面です。

死にゆく熊曾建(弟)が「倭建(やまとたける)」の名を献じたという話は、この英雄の名の由来です。「たける」は勇者の意で、熊曾建は自分の名の一部を、自分を倒した勇者に贈りました。敵を倒して名を受け継ぐことは、その力を取り込むことでもあったと考えられます。

続く出雲建の話では、倭建命は友情を装い、水浴びのすきに刀をすり替えるというだまし討ちをします。刀身のない木刀を抜けずに倒れた出雲建を、「つる草を巻いて飾った立派な刀だが、中身がないとは哀れだ」と嘲る歌には、英雄の冷酷さも表れています。日本書紀では、この話は崇神天皇の代の出雲振根と飯入根の兄弟の争いとして伝えられています。

語釈・文法注

熊曾建
熊襲(南九州の勢力)の首長の兄弟。「たける」は勇猛な者の意。日本書紀では川上梟帥(かわかみのたける)。
御髮御額に結はせり
髪を額のところで結う、少年の髪型。小碓命がまだ元服前の少年であったことを示す。
姨倭比賣の命
小碓命の叔母(垂仁天皇の皇女)で、伊勢の大神を祭る斎宮。その衣装には神の加護が宿ると考えられた。
新室樂
新築祝いの宴。室屋(土を掘り下げた住居)を新しく建てたときの祝い。
酣
「たなはり」。宴が最も盛り上がったとき。
椅
室屋の出入口にかけた階段(はしご)。
倭建の命
小碓命が熊曾建から贈られた名。大和の勇者の意。日本書紀では日本武尊。
熟苽
「ほぞち」。熟した瓜。それを裂くようにやすやすと切り裂いた。
穴戶の神
穴門(長門国、山口県西部)の海峡(関門海峡)の神。
出雲建
出雲の勇者。倭建命にだまし討ちにされた。
赤檮
「いちひ」。イチイガシ。堅い木で、刀の形に作って本物の太刀とすり替えた。
八雲刺す
「出雲」にかかる枕詞。底本の訓み下しは「八雲刺す」と書き、原文は「夜都米佐須」。

文法

原文の「取其背。皮劒」
底本の原文は「取其背。皮劒。自尻刺通」と区切る(通行本文は「取其背皮。劒自尻刺通」)。底本どおりとした。
おれ
「おれ(意禮)」は相手を見下して呼ぶ二人称。「おまえたち」。
信にしかまさむ
「まことにそうでいらっしゃるのでしょう」。原文は「信然也」。
眞身無しにあはれ
刀身がないとは、ああ哀れだ。原文は「佐味那志爾阿波禮」。

歌謡

八雲刺す 出雲建が 佩ける劒 黑葛多纒き 眞身無しにあはれ

詠者
倭建命
状況
友を装って刀をすり替え、木刀を抜けずにいた出雲建を打ち殺したあとに詠んだ歌。

修辞

枕詞
「八雲刺す(やつめさす)」は「出雲」にかかる。
対比
つる草を巻いた立派な外見と、中身(刀身)がないことを対比させて嘲る。

解説

熊曾建征伐は、倭建命の英雄物語の第一の山場です。少年の英雄が女装して敵の宴にもぐりこみ、知恵と勇気で強敵を倒すという筋は、世界の英雄伝説にもよく見られる型です。熊曾建が倒した相手に名を献じる場面は、英雄が新しい名を得て一人前になる成長の儀礼としても読めます。

出雲建の話は、倭建命が西方の平定の帰り道に出雲を服属させたことを語っています。上巻で国譲りをした出雲は、ここでも大和の王権に従わされる存在として描かれます。友情を装ってだまし討ちにする倭建命の姿は、後世の英雄像とは異なる、古代の勇者の荒々しさを伝えています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。178〜182頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日