古典ライブラリー

古事記 中巻

本牟智和気王

火の中で生まれた本牟智和気王は、長いひげが胸に届くほどに成長しても言葉を発しない。空高く飛ぶ鵠(白鳥)の声を聞いて初めて片言を言い、天皇は鵠を国々に追わせて捕らえるが、王は話さない。夢のお告げで出雲大神の祟りとわかり、王を出雲に参拝させると、ついに言葉を発する。

  1. 1かれかれかれ其そ其そそののの御子みこ御子みこみこををを率ゐ率ゐいててて遊あそび遊あそびあそびべるべるべる狀さま狀さまさまははは、、、尾張をはり尾張をはりおわりののの相津あひづ相津あひづあいづなるなるなるををを二俣小舟ふたまたをぶね二俣小舟ふたまたをぶねふたまたおぶねににに作つく作つくつくりてりてりて、、、持も持ももちちち上のぼ上のぼのぼりりり來き來ききててて、、、倭やまと倭やまとやまとのののののの池いけ池いけいけ、、、輕かる輕かるかるののの池いけ池いけいけににに浮うか浮うかうかべてべてべて、、、其そ其そそののの御子みこ御子みこみこををを率ゐ率ゐいててて遊あそ遊あそあそびきびきびき。。。然しか然しかしかるにこのるにこのるにこの御子みこ御子みこみこ、、、八拳鬚やつかひげ八拳鬚やつかひげやつかひげ心こころ心こころこころ前さき前さきさきににに至いた至いたいたるまでるまでるまでとはずとはずとわず。。。かれこゝにかれこゝにかれここに高たか高たかたか往ゆ往ゆゆくくくががが音おん音おんおんををを聞き聞ききかしてかしてかして、、、始はじ始はじはじめてめてめて君きみ君きみきみ問と問ととひしひしいし給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ山やま山やまやまのののををを遣つか遣つかつかはしてはしてわして、、、其そ其そそののの鳥とり鳥とりとりををを取と取ととらしめきらしめきらしめき。。。故かれ故かれかれこのこのこの人ひと人ひとひと其そ其そそののの鵠たづ鵠たづたずををを追お追おおひひい尋たづ尋たづたずねてねてねて、、、木き木ききののの國くに國くにくによりよりより針間はりま針間はりまはりまののの國くに國くにくにににに到いた到いたいたりりり、、、又また又またまた追お追おおひてひていて稻羽いなば稻羽いなばいなばののの國くに國くにくにににに越こし越こしこしえええ、、、卽すなは卽すなはすなわちちち旦あした旦あしたあした波なみ波なみなみののの國くに國くにくに多おほ多おほおお遲おそ遲おそおそ麻を麻をおののの國くに國くにくにににに到いた到いたいたりりり、、、東ひむがし東ひむがしひむがしののの方かた方かたかたににに追お追おおひひい廻めぐ廻めぐめぐりてりてりて、、、近ちか近ちかちかつつつ淡海あふみ淡海あふみおうみののの國くに國くにくにににに到いた到いたいたりりり、、、乃すなは乃すなはすなわちちち三野みぬ三野みぬみぬののの國くに國くにくにににに越こし越こしこしえええ、、、尾張をはり尾張をはりおわりののの國くに國くにくによりよりより傳つた傳つたつたひてひてひて科おほ科おほおお野ぬ野ぬぬののの國くに國くにくにににに追お追おおひひい、、、遂つひ遂つひついににに高志こし高志こしこしののの國くに國くにくにににに追お追おおひひい到いた到いたいたりてりてりて、、、ににに網あみ網あみあみををを張は張ははりりり、、、其そ其そそののの鳥とり鳥とりとりををを取と取ととりてりてりて持も持ももちちち上のぼ上のぼのぼりてりてりて獻たてまつ獻たてまつたてまつりきりきりき。。。かれかれかれ其そ其そそののの水門みなと水門みなとみなとををを和那美之水門わなみのみなと和那美之水門わなみのみなとわなみのみなととととははは謂い謂いいふなりふなりうなり。。。またまたまた其そ其そそののの鳥とり鳥とりとりををを見み見みみたまへばたまへばたまえば、、、物言ものい物言ものいものいはむとはむとわむと思おも思おもおもほしてほしておして、、、思おも思おもおもほすがごとほすがごとおすがごと言い言いいひたまふひたまふいたまう事こと事ことことなかりきなかりきなかりき。。。故率遊其御子之狀者。在於尾張之相津。二俣榲作二俣小舟而。持上來以。浮倭之市師池輕池。率遊其御子。然是御子。八拳鬚至于心前。眞事登波受。〈此三字以音〉故今聞高往鵠之音。始爲阿藝登比。〈自阿下四字以音〉爾遣山邊之大鶙。〈此者人名〉令取其鳥。故是人追尋其鵠。自木國到針間國。亦追越稻羽國。卽到旦波國多遲麻國。追廻東方。到近淡海國。乃越三野國。自尾張國傳。以追科野國。遂追到高志國而。於和那美之水門張網。取其鳥而。持上獻。故號其水門。謂和那美之水門也。亦見其鳥者。於思物言而。如思爾勿言事。
  2. 2こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと患うれ患うれうれひたまひてひたまひていたまいて、、、御寢みね御寢みねみねませるませるませる時とき時ときときににに、、、御夢みいめ御夢みいめみいめににに覺さと覺さとさとしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「我あ我ああががが宮みや宮みやみやををを天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみことののの御舍みあらか御舍みあらかみあらかのごとのごとのごと造みやつこ造みやつこみやつこりたまはばりたまはばりたまわば、、、御子みこ御子みこみこ必かなら必かならかならずずず御言みこと御言みことみこととはむとはむとわん。。。」」」かくかくかく覺さと覺さとさとしたまふしたまふしたまう時とき時ときときににに、、、太卜ふとまに太卜ふとまにふとまにににに占相うらな占相うらなうらなへてへてへて、、、何いづ何いづいずれのれのれの神かみ神かみかみののの御おん御おんおん心こころ心こころこころぞとぞとぞと求もと求もともとむるにむるにむるに、、、そのそのその祟たたり祟たたりたたりははは出雲いづも出雲いづもいずもののの大神おほかみ大神おほかみおおかみののの御おん御おんおん心こころ心こころこころなりきなりきなりき。。。かれかれかれ其そ其そそののの御子みこ御子みこみこをををしてしてして、、、其そ其そそののの大神おほかみ大神おほかみおおかみののの宮みや宮みやみやををを拜をろが拜をろがおろがましめにましめにましめに遣や遣ややりたまはむとするりたまはむとするりたまわむとする時とき時ときときににに、、、誰たれ誰たれたれををを副そ副そそはしめばはしめばわしめば吉よ吉よよけむとけむとけむと卜うらな卜うらなうらなふにふにふに、、、ののの王きみ王きみきみ、、、卜うら卜うらうらににに合あ合ああへりへりえり。。。かれかれかれ曙立あけたつ曙立あけたつあけたつののの王きみ王きみきみににに科おほ科おほおおせてせてせて、、、うけひまをさしむらくうけひまをさしむらくうけひまおさしむらく、、、「「「此こ此ここののの大神おほかみ大神おほかみおおかみををを拜をろが拜をろがおろがむによりてむによりてむによりて、、、誠驗まことしるし誠驗まことしるしまことしるしあらばあらばあらば、、、このこのこの鷺巢さぎす鷺巢さぎすさぎすののの池いけ池いけいけののの樹き樹ききににに住す住すすめるめるめる鷺さぎ鷺さぎさぎややや、、、うけひうけひうけひ落お落おおちよちよちよ。。。」」」かくかくかく詔の詔ののりたまふりたまふりたまう時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの鷺さぎ鷺さぎさぎ地ところ地ところところににに墮おと墮おとおとちてちてちて死し死ししにきにきにき。。。又また又またまた、、、「「「うけひうけひうけひ活い活いいきよきよきよ。。。」」」ととと詔の詔ののりりり給たま給たまたまへばへばえば、、、更さら更さらさらににに活い活いいきぬきぬきぬ。。。またまたまた甜白檮あまかし甜白檮あまかしあまかしののの前まへ前まへまえなるなるなる葉廣熊白檮はびろくまかし葉廣熊白檮はびろくまかしはびろくまかしをををうけひうけひうけひ枯から枯からかららしらしらし、、、またまたまたうけひうけひうけひ生う生ううかしきかしきかしき。。。かれかれかれ其そ其そそののの曙立あけたつ曙立あけたつあけたつののの王きみ王きみきみににに、、、倭老師木登美豐朝倉曙立やまとおゆしきとみとよあさくらあけたつ倭老師木登美豐朝倉曙立やまとおゆしきとみとよあさくらあけたつやまとおゆしきとみとよあさくらあけたつののの王きみ王きみきみととと謂い謂いいふふう名な名ななををを賜たま賜たまたまひきひきいき。。。卽すなは卽すなはすなわちちち曙立あけたつ曙立あけたつあけたつののの王きみ王きみきみ菟上うなかみ菟上うなかみうなかみののの王きみ王きみきみ、、、二王ふたみこ二王ふたみこふたみこををを其そ其そそののの御子みこ御子みこみこににに副そ副そそへてへてえて遣つか遣つかつかはすはすわす時とき時ときときににに、、、那良戶ならど那良戶ならどならどよりはよりはよりわ、、、盲遇めしひあ盲遇めしひあめしいあはははむむん。。。大坂戶おほさかど大坂戶おほさかどおおさかどよりもよりもよりも跛あしなへ跛あしなへあしなえ、、、盲遇めしひあ盲遇めしひあめしいあはははむむん。。。唯ただ唯ただただぞぞぞ掖戶わきど掖戶わきどわきどののの吉よ吉よよききき戶と戶ととととと卜うらな卜うらなうらなへてへてへて、、、出い出いいででで行ゆ行ゆゆかすかすかす時とき時ときときににに、、、到いた到いたいたりますりますります地つち地つちつち每ごと每ごとごとにににををを定さだ定さださだめきめきめき。。。於是天皇患賜而。御寢之時。覺于御夢曰。修理我宮。如天皇之御舍者。御子必眞事登波牟。〈自登下三字以音〉如此覺時。布斗摩邇邇占相而。求何神之心。爾祟。出雲大神之御心。故其御子。令拜其大神宮將遣之時。令副誰人者吉。爾曙立王食卜。故科曙立王。令宇氣比白。〈宇氣比三字以音〉因拜此大神。誠有驗者。住是鷺巢池之樹鷺乎。宇氣比落。如此詔之時。宇氣比其鷺墮地死。又詔之宇氣比活爾者。更活。又在甜白檮之前葉廣熊白檮。令宇氣比枯。亦令宇氣比生。爾名賜其曙立王謂倭者師木登美豐朝倉曙立王。〈登美二字以音〉卽曙立王菟上王二王。副其御子遣時。自那良戶遇跛盲。自大坂戶亦遇跛盲。唯木戶是掖月之吉戶卜而。出行之時。每到坐地。定品遲部也。
  3. 3かれかれかれ出雲いづも出雲いづもいずもににに到いた到いたいたりましてりましてりまして、、、大神おほかみ大神おほかみおおかみををを拜をろが拜をろがおろがみみみ訖を訖ををへてへてへて、、、還かへ還かへかえりりり上のぼ上のぼのぼりますりますります時とき時ときときににに、、、肥ひ肥ひひののの河かは河かはかはののの中なか中なかなかににに黑樔橋くろきのすばし黑樔橋くろきのすばしくろきのすばしををを作つく作つくつくりりり、、、假宮かりみや假宮かりみやかりみやををを仕つか仕つかつかへへえ奉たてまつ奉たてまつたてまつりてりてりて、、、坐ま坐ままさしめきさしめきさしめき。。。爾ここ爾ここここににに出雲いづも出雲いづもいずもののの造みやつこ造みやつこみやつこののの祖おや祖おやおや、、、名な名ななははは、、、青葉あをば青葉あをばあおばののの山やま山やまやまををを飾かざ飾かざかざりてりてりて、、、其そ其そそののの河下かはしも河下かはしもかはしもににに立た立たたてててててて、、、大御食獻おほみけたてまつ大御食獻おほみけたてまつおおみけたてまつらむとするらむとするらむとする時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの御子みこ御子みこみこ詔の詔ののりりり給たま給たまたまひつらくひつらくいつらく、、、「「「このこのこの河下かはしも河下かはしもかはしもににに青葉あをば青葉あをばあおばののの山やま山やまやまなせるなせるなせるははは、、、山やま山やまやまととと見み見みみえてえてえて山やま山やまやまにににはははあらずあらずあらず、、、若も若ももししし出雲いづも出雲いづもいずものののののの宮みや宮みやみやにますにますにます、、、葦原色許男あしはらしこを葦原色許男あしはらしこをあしはらしこおののの大神おほかみ大神おほかみおおかみをもちをもちおもち齋いつ齋いついつくくく祝はふり祝はふりはふりががが大庭おほには大庭おほにはおおにわかかか。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ御供みとも御供みともみともににに遣つか遣つかつかはされたるはされたるわされたる王きみ王きみきみたちたちたち、、、聞き聞ききききき歡よろこ歡よろこよろこびびび見み見みみ喜よろこ喜よろこよろこびてびてびて、、、御子みこ御子みこみこをばをばをばののの長なが長ながなが穗ほ穗ほほののの宮みや宮みやみやににに坐ま坐まませまつりてせまつりてせまつりて、、、驛使はゆまづかひ驛使はゆまづかひはゆまずかいををを上のぼ上のぼのぼりきりきりき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの御子みこ御子みこみこ、、、ににに婚よば婚よばよばひましきひましきいましき。。。かれかれかれ其そ其そそののの美人をとめ美人をとめおとめををを伺かきま伺かきまかきまみたまへばみたまへばみたまえば、、、蛇へみ蛇へみへみなりきなりきなりき。。。卽すなは卽すなはすなわちちち見畏みかしこ見畏みかしこみかしこみてみてみて遁に遁ににげたまひきげたまひきげたまいき。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの肥長比賣患ひながひめうれ肥長比賣患ひながひめうれひながひめうれたみてたみてたみて、、、海原うなはら海原うなはらうなはらををを光てら光てらてらしてしてして船ふね船ふねふねよりよりより追お追おおひくればひくればいくれば、、、益ますます益ますますますます見畏みかしこ見畏みかしこみかしこみてみてみて、、、山やま山やまやまのたわよりのたわよりのたわより御船みふね御船みふねみふねををを引ひ引ひひききき越こし越こしこししてしてして、、、逃に逃ににげげげ上のぼ上のぼのぼりいでましつりいでましつりいでましつ。。。こゝにこゝにここに覆奏かへりごと覆奏かへりごとかえりごとまをさくまをさくまおさく、、、「「「大神おほかみ大神おほかみおおかみををを拜をろが拜をろがおろがみたまへるにみたまへるにみたまえるに因よし因よしよしりてりてりて、、、大御子物詔おほみこものの大御子物詔おほみこもののおおみこもののりたまへるりたまへるりたまえる故かれ故かれかれににに、、、まゐまゐまい上のぼ上のぼのぼりりり來き來ききつつつ。。。」」」ととと申まを申まをもうすすす。。。かれかれかれ天皇歡すめらみことよろこ天皇歡すめらみことよろこすめらみことよろこばしてばしてばして、、、卽すなは卽すなはすなわちちち菟上うなかみ菟上うなかみうなかみののの王きみ王きみきみををを返かへ返かへかへしてしてして、、、神かみ神かみかみののの宮みや宮みやみやををを造みやつこ造みやつこみやつこらしめたまひきらしめたまひきらしめたまいき。。。こゝにこゝにここに天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと、、、其そ其そそののの御子みこ御子みこみこににに因よし因よしよしりてりてりて、、、鳥甘部とりかひべ鳥甘部とりかひべとりかいべ、、、品遲部ほむぢべ品遲部ほむぢべほむじべ、、、大湯坐おほゆゑ大湯坐おほゆゑおおゆえ、、、若湯坐わかゆゑ若湯坐わかゆゑわかゆえををを定さだ定さださだめたまひきめたまひきめたまいき。。。故到於出雲。拜訖大神。還上之時。肥河之中。作黑樔橋。仕奉假宮而坐。爾出雲國造之祖。名岐比佐都美。餝青葉山而。立其河下。將獻大御食之時。其御子詔言。是於河下。如青葉山者。見山非山。若坐出雲之石硐之曾宮。葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷乎。問賜也。爾所遣御伴王等。聞歡見喜而。御子者。坐檳榔之長穗宮而。貢上驛使。爾其御子。一宿婚肥長比賣。故竊伺其美人者。蛇也。卽見畏遁逃。爾其肥長比賣患。光海原。自船追來故。益見畏以。自山多和〈此二字以音〉引越御船。逃上行也。於是覆奏言。因拜大神。大御子物詔故。參上來。故天皇歡喜。卽返菟上王。令造神宮。於是天皇。因其御子。定鳥取部。鳥甘部。品遲部。大湯坐若湯坐。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて、その御子を連れて遊ばせた様子は、尾張の相津にある二股の杉で二股の小舟を作り、大和に持ち上って、倭の市師の池や軽の池に浮かべ、その御子を連れて遊ばせた。ところがこの御子は、長いひげが胸元に届くほどになっても、まともに言葉を話さなかった。そんなある日、空高く飛んでいく鵠(白鳥)の声をお聞きになって、初めて片言をおっしゃった。そこで山辺の大鶙という者を遣わして、その鳥を捕らえさせた。この人はその鵠を追いかけて、

紀伊の国から播磨の国に至り、さらに追って因幡の国に越え、丹波の国・但馬の国に至り、東の方に追い回って近江の国に至り、そして美濃の国に越え、尾張の国から伝って信濃の国に追い、ついに越の国まで追って、和那美の河口に網を張って、その鳥を捕らえ、持ち帰って献上した。それでその河口を和那美の水門という。ところが御子はその鳥をご覧になっても、何か言おうとしているようでありながら、思うようには話されなかった。

そこで天皇が思い悩んでお休みになったとき、夢でお告げがあった。「私の宮を天皇の御殿のように造ってくれれば、御子はきっと話すようになるだろう」。このお告げを受けて、太占で占って、どの神の心によるものかを求めると、その祟りは出雲の大神の心によるものであった。

そこで御子を出雲の大神の宮に参拝させようとしたとき、誰を付き添わせたらよいかと占うと、曙立王が占いに当たった。そこで曙立王に誓約(うけい)をさせて言わせた。「この大神を拝むことによって、本当にしるしがあるならば、この鷺巣の池の木にとまっている鷺よ、誓約によって落ちよ」。こうおっしゃると、その鷺は地に落ちて死んだ。また「誓約によって生き返れ」とおっしゃると、また生き返った。また甜白檮の岬にある葉の広い大きな樫の木を、誓約によって枯らし、また誓約によって生き返らせた。そこでその曙立王に、倭老師木登美豊朝倉曙立王という名をお与えになった。そして曙立王と菟上王の二王を御子に付き添わせて遣わすとき、「奈良の口から出ると足の不自由な人や目の見えない人に出会うだろう。大坂の口から出ても足の不自由な人や目の見えない人に出会うだろう。ただ紀伊の口だけが脇の吉い口である」と占って出かけていき、行く先々で品遅部を定めた。

こうして出雲に着いて、大神を拝み終えて帰り上るとき、肥の河の中に黒木の簀の橋を作り、仮宮を造ってお住まいいただいた。そこへ出雲国造の祖、名は岐比佐都美が、青葉の山を飾り立ててその川下に立て、ごちそうを献上しようとしたとき、御子がおっしゃった。「この川下に、青葉の山のように見えるのは、山に見えて山ではない。もしや出雲の石硐之曾の宮にいらっしゃる葦原色許男大神をあがめ祭る祝(はふり)の祭場ではないか」。お供に遣わされていた王たちは、これを聞いて喜び、見て喜んで、御子を檳榔の長穂の宮にお住まわせして、早馬の使いを都に送った。

そこでその御子は、一夜、肥長比売と結ばれた。ところがひそかにその乙女をのぞいて見ると、蛇であった。御子はすぐに見て恐れて逃げ出された。するとその肥長比売は嘆いて、海原を照らしながら船で追いかけてきたので、御子はますます恐れて、山の低い所から船を引き越して、逃げ上ってこられた。そして使いが「大神を拝まれたので、御子がものをおっしゃるようになりましたので、参上いたしました」と報告した。天皇はお喜びになって、すぐに菟上王を出雲に返して、神の宮を造らせなさった。また天皇は、その御子のために、鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を定めなさった。

意訳

燃える稲城の中で生まれた本牟智和気王は、大人になっても言葉を話しませんでした。母の沙本毘売を失った悲しみの物語の続きとして、この「ものを言わぬ御子」の話は語られます。白鳥の声を聞いて初めて声を出したという場面には、鳥を霊魂の運び手とみる古代の信仰が表れています。のちの倭建命も死後に白鳥となって飛び去ります。

白鳥を捕らえるために、山辺の大鶙は紀伊から越の国まで、ほぼ本州の半分をめぐります。鳥を追う旅は、各地に鳥を飼う鳥取部(ととりべ)が置かれたことの由来を語っているとも読めます。しかし鳥を見せても御子は話しません。原因は出雲の大神の祟り――自分の宮を天皇の宮殿のようにしてほしいという要求でした。国譲りのとき大国主神が求めたのと同じ願いで、出雲大社の造営の起源がここでも語られています。

出雲を訪れた御子は、青葉で飾った祭場を見て、それが大神を祭る場所だと見抜き、初めてまとまった言葉を発します。一夜を共にした肥長比売が蛇であったので逃げ帰るという結末は、出雲の大神(蛇神)の姿を暗示しているとも考えられます。ものを言わない御子が神を祭ることで言葉を得るという話には、出雲の神の霊威の大きさが示されています。

語釈・文法注

二俣榲
二股に分かれた杉。それで作った二股の小舟は、霊力のある特別な舟と考えられた。
倭の市師の池・輕の池
市磯池(奈良県桜井市)と軽池(橿原市)。
眞事とはず
一人前の言葉を話さない。「まこと(真言)」はまともな言葉。
鵠
「くぐひ」。白鳥。底本の訓み下しは「鵠(たづ)」と読ませる。
吾君問ひ
「あぎとひ」。片言を言うこと。原文は「阿藝登比」と音で書く。
山の邊之大鶙
人名。鶙(たか)は鷹の一種。鳥を捕らえる役の者。
和那美之水門
越の国の河口。新潟県の河口とする説がある。「わな(罠)」で鳥を捕らえたことによる名とする。
曙立の王
日子坐王の孫。誓約で鷺や木を枯らし生かして神意を確かめ、倭老師木登美豊朝倉曙立王の名を賜った。
跛・盲遇はむ
足の不自由な人、目の見えない人に出会うだろう。旅立ちの不吉な前兆として避けた。
木戶
紀伊への道の出入口。奈良から出る道(那良戸)、大坂から出る道(大坂戸)を避け、紀伊の道を吉として選んだ。
品遲部
本牟智和気王のために置かれた部民(名代)。各地に設けられた。
岐比佐都美
出雲国造の祖。
出雲の石硐之曾の宮
出雲の神の宮の一つとされるが、所在ははっきりしない。
肥長比賣
御子と一夜を共にした女性。正体は蛇で、出雲の大神(大物主神と同じく蛇体の神)の化身とも考えられる。
檳榔の長穗の宮
檳榔(びんろうじゅ。古代ではビロウのこととされる)の葉で葺いた長い宮。出雲での仮の宮。
鳥取部・鳥甘部
鳥を捕らえて飼う部民。白鳥を捕らえた話の由来とされる。

文法

倭老師木登美豐朝倉曙立
原文は「倭者師木登美豐朝倉曙立王」で、底本の訓み下しは「倭老師木」と書く。原文の「者」と訓み下しの「老」は字形が近く、どちらかの誤植と思われる。底本どおりとした。
うけひ落ちよ
誓約によって落ちよ。原文は「宇氣比落」。曙立王が神意を確かめるために行った呪術。
患たみて
底本の訓み下しは「患たみて」と刷る。原文は「患」で、嘆き悲しむ意。
原文の「如思爾勿言事」
思うようには話されなかった。原文の「如思爾」の「爾」は通行本文にない字で、底本どおりとした。

解説

本牟智和気王の物語は、ものを言わない王子が神を祭ることで言葉を得るという話で、日本書紀では誉津別命の話として、鳥取造の起源を中心に語られています。古事記では出雲大神の祟りと出雲参拝が加えられ、出雲大社の造営の由来を語る話になっています。

この話には、口をきかない子が鳥の声をきっかけに話し始めるという民話的な要素、鳥を追って諸国をめぐる地名起源説話、誓約による神意の確認、蛇の正体を見て逃げる異類婚姻譚など、さまざまな要素が組み合わされています。出雲の神の祟りを鎮めるために神殿を造るという結末は、大和の王権が出雲の神を重く扱い続けたことを示しています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。167〜171頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日