古事記 中巻
垂仁天皇と沙本毘古王の反乱
第十一代垂仁天皇の后妃と御子の系譜。皇后沙本毘売は、兄の沙本毘古王から「夫と兄とどちらが愛しいか」と問われ、天皇を刺し殺すよう小刀を渡される。天皇の寝顔に刃を向けながら殺せずに泣き、すべてを打ち明けた沙本毘売は、兄の籠もる稲城に入る。燃える稲城の中で生まれた本牟智和気王を天皇に託し、兄とともに死ぬ。
- 1ののの命命みこと。。。師木師木しきののの玉玉たま垣垣かきののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。此此こののの天皇天皇すめらみこと、、、沙本毘古沙本毘古さほびこののの命命みことののの妹妹いも、、、佐波遲比賣佐波遲比賣さわじひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、品牟都和氣品牟都和氣ほむつわけののの命命みこと。。。(((一柱一柱ひとはしら。。。)))またまたまた旦旦あした波波なみののの比古多々須美知能宇斯比古多々須美知能宇斯ひこたたすみちのうしののの王王きみののの御女御女みむすめ、、、冰羽州比賣冰羽州比賣ひばすひめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、ののの命命みこと。。。次次つぎにににののの命命みこと。。。次次つぎににに大中津日子大中津日子おおなかつひこののの命命みこと。。。次次つぎにににののの命命みこと。。。次次つぎににに若木入日子若木入日子わかきいりひこののの命命みこと。。。(((五柱五柱いつはしら。。。)))またまたまた其其そののの冰羽州比賣冰羽州比賣ひばすひめののの命命みことののの弟弟おとうと、、、沼羽田之入毘賣沼羽田之入毘賣ぬはたのいりびめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、沼帶別沼帶別ぬたらしわけののの命命みこと。。。次次つぎににに伊賀帶日子伊賀帶日子いがたらしひこののの命命みこと。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))またまたまた其其そののの沼羽田之入日賣沼羽田之入日賣ぬはたのいりひめののの命命みことののの弟弟おとうと、、、阿邪美能伊理毘賣阿邪美能伊理毘賣あざみのいりびめののの命命みことににに娶娶あひましてひましていまして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、伊許婆夜和氣伊許婆夜和氣いこばやわけののの命命みこと。。。次次つぎににに阿邪美都比賣阿邪美都比賣あざみつひめののの命命みこと。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))またまたまた大筒木垂根大筒木垂根おおつつきたりねののの王王きみののの女女おんな、、、ののの命命みことををを召召めしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、袁邪辨袁邪辨おざべののの王王きみ。。。(((一柱一柱ひとはしら。。。)))またまたまた山代山代やましろののの大國之淵大國之淵おおくにのふちががが女女おんな、、、苅羽田刀辨苅羽田刀辨かりはたとべををを召召めしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、落別落別おちわけののの王王きみ。。。次次つぎににに五十日帶日子五十日帶日子いかたらしひこののの王王きみ。。。次次つぎににに伊登志別伊登志別いとしわけののの王王きみ。。。またまたまた其其そののの大國之淵大國之淵おおくにのふちががが女女おんな、、、弟苅羽田刀辨弟苅羽田刀辨おとかりはたとべををを娶娶あしてしてして、、、生生うみませるみませるみませる御子御子みこ、、、石衝別石衝別いわつくわけののの王王きみ。。。次次つぎににに石衝毘賣石衝毘賣いわつくびめののの命命みこと、、、またのまたのまたの御名御名みなははは布多遲能伊理毘賣布多遲能伊理毘賣ふたじのいりびめののの命命みこと。。。(((二柱二柱ふたはしら。。。)))すべてすべてすべて此此こののの天皇天皇すめらみことののの御子等御子等みこたち、、、十六王十六王とおまりむはしら。。。(((男王十三男王十三ひこみことおまりみはしら、、、女王三女王三ひめみこみはしら。。。)))伊久米伊理毘古伊佐知命。坐師木玉垣宮。治天下也。此天皇。娶沙本毘古命之妹。佐波遲比賣命。生御子。品牟都和氣命。〈一柱〉又娶旦波比古多多須美知能宇斯王之女。冰羽州比賣命。生御子。印色之入日子命。〈印色二字以音〉次大帶日子淤斯呂和氣命。〈自淤至氣五字以音〉次大中津日子命。次倭比賣命。次若木入日子命。〈五柱〉又娶其冰羽州比賣命之弟。沼羽田之入毘賣命。生御子。沼帶別命。次伊賀帶日子命。〈二柱〉又娶其沼羽田之入日賣命之弟。阿邪美能伊理毘賣命。〈此女王名以音〉生御子。伊許婆夜和氣命。次阿邪美都比賣命。〈二柱。此二王名以音〉又娶大筒木垂根王之女。迦具夜比賣命。生御子。袁邪辨王。〈一柱〉又娶山代大國之淵之女。苅羽田刀辨。〈此二字以音〉生御子。落別王。次五十日帶日子王。次伊登志別王。〈伊登志三字以音〉又娶其大國之淵之女。弟苅羽田刀辨。生御子。石衝別王。次石衝毘賣命。亦名布多遲能伊理毘賣命。〈二柱〉凡此天皇之御子等。十六王。〈男王十三。女王三。〉
- 2かれかれかれ大帶日子淤斯呂和氣大帶日子淤斯呂和氣おおたらしひこおしろわけののの命命みことははは、、、天天あめののの下治下治したしろしめしきしめしきしめしき。。。(((御身御身みみののの長一丈二寸長一丈二寸たけひとつえまりふたき、、、御脛御脛みはぎののの長長ながさささ四尺一寸四尺一寸よさかひときましきましきましき。。。)))次次つぎににに印色印色いにしきののの入入い日日ひ子子こののの命命みことははは、、、血沼血沼ちぬののの池池いけををを作作つくりりり、、、またまたまた狹山狹山さやまののの池池いけををを作作つくりりり、、、またまたまた日下之高津日下之高津くさかのたかつののの池池いけををを作作つくりたまひきりたまひきりたまいき。。。またまたまた鳥取之河上鳥取之河上ととりのかわかみののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、横刀壹仟口横刀壹仟口たちちふりををを作作つくらしめたまひきらしめたまひきらしめたまいき。。。こここををを石石いそののの上上かみののの神神かみののの宮宮みやににに納納おさめまつりきめまつりきめまつりき。。。卽卽すなわちちち其其そののの宮宮みやにましましてにましましてにましまして、、、河上部河上部かわかみべををを定定さだめたまひきめたまひきめたまいき。。。故大帶日子淤斯呂和氣命者。治天下也。〈御身長一丈二寸。御脛長四尺一寸也。〉次印色入日子命者。作血沼池。又作狹山池。又作日下高津池。又坐鳥取之河上宮。令作橫刀壹仟口。是奉納石上神宮。卽坐其宮。定河上部也。
- 3次次つぎににに大中津日子大中津日子おおなかつひこののの命命みことははは、、、(((山山やまののの邊之別邊之別べのわけ、、、三枝之別三枝之別さきくさのわけ、、、稻木之別稻木之別いなきのわけ、、、阿太之別阿太之別あだのわけ、、、尾張尾張おわりののの國之三野國之三野くにのみぬののの別別わけ、、、吉備之石无吉備之石无きびのいわなしののの別別わけ、、、許呂母之別許呂母之別ころものわけ、、、高巢鹿之別高巢鹿之別たかすかのわけ、、、飛飛と鳥鳥とりののの君君きみ、、、牟禮之別等牟禮之別等むれのわけらののの祖祖おやなりなりなり。。。)))次次つぎににに倭比賣倭比賣やまとひめののの命命みことははは、、、(((伊勢伊勢いせののの大神大神おおかみののの宮宮みやををを拜拜いつききき祭祭まつりりり給給たまふふう。。。)))次次つぎににに伊許婆夜和氣伊許婆夜和氣いこばやわけののの王王きみははは、、、(((沙本沙本さほののの穴太部之別穴太部之別あなほべのわけののの祖祖おやなりなりなり。。。)))次次つぎににに阿邪美都比賣阿邪美都比賣あざみつひめののの命命みことははは、、、(((稻瀨毘古稻瀨毘古いなせびこののの王王きみににに嫁嫁あひましきひましきいましき。。。)))次次つぎににに落別落別おちわけののの王王きみははは、、、(((小月之山小月之山おつきのやまののの君君きみ、、、三川之衣三川之衣みかわのころもののの君君きみののの祖祖おやなりなりなり。。。)))次次つぎににに五十日帶日子五十日帶日子いかたらしひこののの王王きみははは、、、(((春日春日かすがののの山山やまののの君君きみ、、、高志高志こしののの池池いけののの君君きみ、、、春日部春日部かすがべののの君君きみののの祖祖おや。。。)))次次つぎににに伊登志和氣伊登志和氣いとしわけののの王王きみははは、、、(((御子御子みこまさざるにまさざるにまさざるに因因よしりてりてりて、、、としてとしてとして伊登志部伊登志部いとしべををを定定さだむむむ。。。)))次次つぎににに石衝別石衝別いわつくわけののの王王きみははは、、、(((羽咋羽咋はくいののの君君きみ、、、三尾三尾みおののの君君きみののの祖祖おや。。。)))次次つぎににに布多遲能伊理毘賣布多遲能伊理毘賣ふたじのいりびめののの命命みことははは、、、(((倭建倭建やまとたけるののの命命みことののの后后きさきとなりたまひきとなりたまひきとなりたまいき。。。)))次大中津日子命者。〈山邊之別。三枝之別。稻木之別。阿太之別。尾張國之三野別。吉備之石无別。許呂母之別。高巢鹿之別。飛鳥君。牟禮之別等祖也。〉次倭比賣命者。〈拜祭伊勢大神宮也。〉次伊許婆夜和氣王者。〈沙本穴太部之別祖也。〉次阿邪美都比賣命者。〈嫁稻瀨毘古王。〉次落別王者。〈小月之山君。三川之衣君之祖也。〉次五十日帶日子王者。〈春日山君。高志池君。春日部君之祖。〉次伊登志和氣王者。〈因無子而。爲子代。定伊登志部。〉次石衝別王者。〈羽咋君。三尾君之祖。〉次布多遲能伊理毘賣命者。〈爲倭建命之后。〉
- 4此此こののの天皇天皇すめらみこと、、、ををを后后きさきとしたまへるとしたまへるとしたまえる時時ときににに、、、沙本毘賣沙本毘賣さほびめののの兄兄いろせ、、、沙本毘古沙本毘古さほびこののの王王きみ、、、其其そののの同母妹同母妹いろもににに、、、「「「夫夫ひこじととと兄兄いろせとととははは孰孰いずれかれかれか愛愛うつくしきしきしき。。。」」」ととと問問とへばへばへば、、、「「「兄兄いろせぞぞぞ愛愛うつくしきしきしき。。。」」」ととと答答こたへたまひきへたまひきえたまいき。。。こゝにこゝにここに沙本毘古沙本毘古さほびこののの王王きみ、、、謀謀はかりけらくりけらくりけらく、、、「「「汝汝な寔寔まことににに我我あををを愛愛はしくしくしく思思おもほさばほさばおさば、、、吾吾あととと汝汝なととと天天あめののの下下しもををを治治おさりてむとすりてむとすりてむとす。。。」」」といひてといひてといいて、、、卽卽すなわちちち八鹽折八鹽折やしおおりのののををを作作つくりてりてりて、、、其其そののの妹妹いもににに授授さずけてけてけて、、、「「「此此こののの小刀小刀かたなもてもてもて、、、天皇天皇すめらみことののの寢寢ねませらむませらむませらむををを刺刺さししし殺殺ころしまつれしまつれしまつれ。。。」」」といふといふという。。。かれかれかれ天皇天皇すめらみこと其其そののの謀謀はかりごとををを知知しろしめさずてろしめさずてろしめさずて、、、其其そののの后后きさきののの御膝御膝みひざををを枕枕まきてきてきて、、、御寢御寢みねましきましきましき。。。こゝにこゝにここに其其そののの后后きさき、、、紐小刀紐小刀ひもがたなもてもてもて、、、其其そののの天皇之御頸天皇之御頸おおみくびををを刺刺さしまつらむとしてしまつらむとしてしまつらむとして、、、三度三度みたびまでまでまで擧擧ふりたまひしかどもりたまひしかどもりたまいしかども、、、忍忍しのへへへかてにかてにかてに哀哀かなしくしくしく思思おもほしてほしておして、、、得得え刺刺さしまつらずてしまつらずてしまつらずて、、、泣泣なききき給給たまふふう御御おん淚淚なみだ、、、御面御面みおもににに落落おちちち溢溢なずされきれきれき。。。かれかれかれ天皇天皇すめらみこと驚驚おどろきましてきましてきまして、、、其其そののの后后きさきににに問問とひたまはくひたまはくいたまわく、、、「「「吾吾あはははあやしきあやしきあやしき夢夢いめををを見見みたりたりたり。。。沙本沙本さほののの方方かたよりよりより、、、暴雨暴雨はやさめののの零零ふりりり來來きててて、、、急急いそににに吾吾あががが御面御面みおもををを沾沾ぬらしつらしつらしつ。。。またまたまた錦色錦色にしきいろなるなるなる小蛇小蛇へみ、、、我我あががが御頸御頸みくびになもになもになも纏纏まへりしへりしえりし。。。かくのかくのかくの夢夢いめははは、、、何何なにののの表表しるしにかあらましにかあらましにかあらまし。。。」」」ととと問問とひひい給給たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに其其そののの后后きさき、、、爭爭あらそはははえじとおもほしてえじとおもほしてえじとおもおして、、、申申もうししし給給たまはくはくわく、、、「「「妾妾あれががが兄兄いろせ、、、沙本毘古沙本毘古さほびこののの王王きみ、、、妾妾あれににに、、、『『『夫夫ひこじととと兄兄いろせとととははは孰孰いずれかれかれか愛愛うつくしきしきしき。。。』』』ととと問問とひたりきひたりきいたりき。。。かくかくかく問問とふにふにうにははは、、、えええ面勝面勝おもかたずてなもたずてなもたずてなも、、、『『『兄兄いろせぞぞぞ愛愛うつくしきしきしき。。。』』』ととと答答こたへつればへつればえつれば、、、妾妾あれににに誂誂あとらへへへけらくけらくけらく、、、『『『吾吾あととと汝汝なととと天天あめののの下下しもををを治治おさらさむらさむらさむ。。。かれかれかれ天皇天皇すめらみことををを殺殺ころせせせ奉奉たてまつれれれ。。。』』』といひてといひてといいて、、、八鹽折八鹽折やしおおりののの紐小刀紐小刀ひもがたなををを作作つくりてりてりて、、、汝汝なににに授授さずけつけつけつ。。。是是ここををを以以もつててて御頸御頸みくびををを刺刺さししし奉奉たてまつらむとしてらむとしてらむとして、、、三度三度みたびまでまでまで擧擧ふりしかどもりしかどもりしかども、、、忽忽たちまちにちにちに哀哀かなしくなりてしくなりてしくなりて、、、得得え刺刺さししし奉奉たてまつらずてらずてらずて、、、泣泣なきつるきつるきつる涙涙なみだののの落落おちてちてちて、、、御面御面みおもををを沾沾ぬらしつるらしつるらしつる。。。必必かならずこのずこのずこの表表しるしにこそあらめにこそあらめにこそあらめ。。。」」」とまとまとまをををししし給給たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと、、、「「「吾吾あははは殆殆ほとほととにとにとに欺欺あざむかえつるかもかえつるかもかえつるかも。。。」」」ととと詔詔のりりり給給たまひてひていて、、、乃乃すなわちちち軍軍いくさををを興興おこしてしてして、、、沙本毘古沙本毘古さほびこののの王王きみををを擊擊とりにつかはすりにつかはすりにつかわす時時ときににに、、、其其そのののををを作作つくりてりてりて待待まちちち戰戰たたかふふう。。。此此こののの時時とき沙本毘賣沙本毘賣さほびめののの命命みこと、、、其其そののの兄兄いろせををを思思おもほしかねてほしかねておしかねて、、、後後しりつつつ門門かどよりよりより逃逃にげげげ出出いでてでてでて、、、其其そののの稻城稻城いなきににに納納いりましきりましきりましき。。。このこのこのをををりしもりしもりしも其其そののの后后きさき妊妊はらましたりきましたりきましたりき。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと、、、そのそのその后后きさきののの、、、愛愛うつくしみしみしみ重重おもみしたまふこともみしたまふこともみしたまうことも、、、三年三年みとせになりぬるにになりぬるにになりぬるに、、、妊妊はらましてさへあることましてさへあることましてさえあることををを、、、いといといと哀哀かなしとしとしと思思おもほしきほしきおしき。。。かれかれかれ其其そののの軍軍いくさををを廻廻めぐらはしめつゝらはしめつゝらわしめつつ、、、急急すむやけくもけくもけくも攻攻せめたまはざりきめたまはざりきめたまわざりき。。。かくかくかく逗留逗留とどこおれるれるれる間間まににに、、、其其そののの妊妊はらませりしませりしませりし御子御子みこ產產うれましぬれましぬれましぬ。。。かれかれかれ其其そののの御子御子みこををを出出いしてしてして、、、稻城稻城いなきののの外外とににに置置おきまつりてきまつりてきまつりて、、、天皇天皇すめらみことにまをさしめたまはくにまをさしめたまはくにまおさしめたまわく、、、「「「若若もししし此此こののの御子御子みこをばをばをば、、、天皇天皇すめらみことののの御子御子みこととと思思おもしめさばしめさばしめさば、、、治治おさめめめ給給たまへへえ。。。」」」とまをさしめとまをさしめとまおさしめ給給たまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと、、、其其そののの兄兄いろせをををこそこそこそ怨怨うらひひひ給給たまへれへれえれ、、、猶猶なお后后きさきをばいとをばいとおばいと愛愛えしとおもほせりければしとおもほせりければしとおもおせりければ、、、それそれそれ得得えたまはむのたまはむのたまわむの御御おん心心こころましきましきましき。。。こゝこゝここををを以以もつててて軍士軍士いくさびとののの中中なかににに、、、力士力士ちからびとののの捷捷はやきききををを選選えらりりり聚聚つどへてへてへて、、、宣宣のりたまひつらくはりたまひつらくはりたまいつらくわ、、、「「「かのかのかの御子御子みこををを取取とらむらむらむ時時とき、、、其其そののの母王母王ははみこをもをもをも掠掠かそひひひ取取とりてよりてよりてよ。。。御髮御髮みかみにまれにまれにまれ、、、御手御手みてにまれにまれにまれ、、、取取とりりり獲獲えむむむまに〳〵まに〳〵まにまに、、、掬掬つかみてみてみて控控ひききき出出いでまつれでまつれでまつれ。。。」」」とのりたまひきとのりたまひきとのりたまいき。。。こゝにこゝにここに其其そののの后后きさき、、、豫豫あらかじめめめ其其そののの御御おん心心こころををを知知しりたまひてりたまひてりたまいて、、、悉悉ことごとににに其其そののの御髮御髮みかみををを剃剃そりてりてりて、、、其其そののの御髮御髮みかみもてもてもて御頭御頭みかしらををを覆覆おおひひい、、、またまたまた玉玉たまののの緒緒をををを腐腐くたしてしてして、、、御手御手みてににに三重纏三重纏みへまかしかしかし、、、またまたまた酒酒さけもてもてもて御衣御衣みけしををを腐腐くたしてしてして、、、全全またききき衣衣きぬのごとのごとのごと服服けせりせりせり。。。かくかくかく設設まけけけ備備そなへてへてえて、、、其其そののの御子御子みこををを抱抱いだきてきてきて、、、城城きののの外外とににに刺刺さししし出出いでたまひきでたまひきでたまいき。。。かれかれかれ其其そののの力士力士ちからびとどもどもども、、、其其そののの御子御子みこををを取取とりまつりてりまつりてりまつりて、、、卽卽すなわちちち其其そののの御祖御祖みおやををを握握とりまつらむとりまつらむとりまつらむと、、、其其そののの御髮御髮みかみををを握握とればればれば、、、御髮御髮みかみ自自ずかららら落落おちちち、、、其其そののの御手御手みてををを握握とればればれば、、、玉玉たまののの緒緒おまたまたまた絕絕たえええ、、、其其そののの御衣御衣みけしををを握握とればればれば、、、御衣便御衣便みけしすなわちちち破破やぶれつれつれつ。。。こゝこゝここををを以以もつててて其其そののの御子御子みこををを取取とりりり獲獲えまつりてまつりてまつりて、、、其其そののの御祖御祖みおやをばをばをば得得えとりまつらざりきとりまつらざりきとりまつらざりき。。。かれかれかれ其其そののの軍士軍士いくさびとどもどもども、、、還還かえりまゐりまゐりまい來來きててて、、、奏奏そうしつらくしつらくしつらく、、、「「「御髮御髮みかみ自自ずかららら落落おちちち、、、御衣御衣みけしまたまたまた破破やぶれれれ、、、御手御手みてににに纏纏まかせるかせるかせる玉玉たまののの緒緒をももも絕絕たえにしかばえにしかばえにしかば、、、御祖御祖みおやをばをばをば獲獲えまつらずまつらずまつらず、、、御子御子みこををを取取とりりり得得えまつりつまつりつまつりつ。。。」」」とまとまとまをををすすす。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと悔悔くいいい恨恨うらみたまひてみたまひてみたまいて、、、玉作玉作たまつくりりしりしりし人人ひとどもどもどもををを惡惡にくましてましてまして、、、其其そののの地地ところををを皆皆みな奪奪うばりたまひきりたまひきりたまいき。。。かれかれかれ諺諺ことわざににに、、、ぬぬぬ玉作玉作たまつくりとぞいふなるとぞいふなるとぞいうなる。。。此天皇。以沙本毘賣爲后之時。沙本毘賣命之兄。沙本毘古王。問其伊呂妹曰。孰愛夫與兄歟。答曰愛兄。爾沙本毘古王謀曰。汝寔思愛我者。將吾與汝治天下而。卽作八鹽折之紐小刀。授其妹曰。以此小刀。刺殺天皇之寢。故天皇不知其之謀而。枕其后之御膝。爲御寢坐也。爾其后。以紐小刀。爲刺其天皇之御頸。三度擧而。不忍哀情。不能刺頸而。泣淚。落溢於御面。乃天皇驚起。問其后曰。吾見異夢。從沙本方。暴雨零來。急沾吾面。又錦色小蛇。纏繞我頸。如此之夢。是有何表也。爾其后。以爲不應爭。卽白天皇言。妾兄沙本毘古王。問妾曰。孰愛夫與兄。是不勝面問故。妾答曰愛兄歟。爾誂妾曰。吾與汝共治天下。故當殺天皇云而。作八鹽折之紐小刀。授妾。是以欲刺御頸。雖三度擧。哀情忽起。不得刺頸而。泣淚落。沾於御面。必有是表焉。爾天皇。詔之吾殆見欺乎。乃興軍。擊沙本毘古王之時。其王作稻城。以待戰。此時沙本毘賣命。不得忍其兄。自後門逃出而。納其之稻城。此時其后妊身。於是天皇。不忍其后。懷妊及愛重至于三年。故廻其軍。不急攻迫。如此逗留之間。其所妊之御子既產。故出其御子。置稻城外。令白天皇。若此御子矣。天皇之御子所思看者。可治賜。於是天皇。詔雖怨其兄。猶不得忍愛其后。故卽有得后之心。是以選聚軍士之中。力士輕捷而。宣者。取其御子之時。乃掠取其母王。或髮或手。當隨取獲而。掬以控出。爾其后豫知其情。悉剃其髮。以髮覆其頭。亦腐玉緒。三重纏手。且以酒腐御衣。如全衣服。如此設備而。抱其御子。刺出城外。爾其力士等。取其御子。卽握其御祖。爾握其御髮者。御髮自落。握其御手者。玉緒且絕。握其御衣者。御衣便破。是以取獲其御子。不得其御祖。故其軍士等。還來。奏言。御髮自落。御衣易破。亦所纏御手之玉緒便絕故。不獲御祖。取得御子。爾天皇悔恨而。惡作玉人等。皆奪其地。故諺曰不得地玉作也。
- 5またまたまた天皇天皇すめらみこと、、、其其そののの后后きさきににに詔詔のらしめたまはくらしめたまはくらしめたまわく、、、「「「すべてすべてすべて子子こののの名名なははは、、、必必かならずずず母母おもなもつくるなもつくるなもつくるををを、、、そのそのその御子御子みこののの御名御名みなをばをばをば何何なにとかつけむとかつけむとかつけむ。。。」」」ととと詔詔のらしめたまひきらしめたまひきらしめたまいき。。。かれかれかれ御御おん答答こたへまへまえまをををしたまはくしたまはくしたまわく、、、「「「今稻城今稻城いまいなきををを燒燒やくくくをををりしもりしもりしも、、、火中火中ほなかににに生生うれませればれませればれませれば、、、其其そののの御名御名みなははは、、、ののの御子御子みことぞつけまつるべきとぞつけまつるべきとぞつけまつるべき。。。」」」とまをさしめたまひきとまをさしめたまひきとまおさしめたまいき。。。またまたまた、、、「「「如何如何いかにしてにしてにして養養ひたしまつらむしまつらむしまつらむ。。。」」」ととと詔詔のらしめたまへるにらしめたまへるにらしめたまえるに、、、「「「御母御母みははををを取取とりりり、、、若湯坐若湯坐わかゆえををを定定さだめてめてめて、、、養養ひたしまつるべししまつるべししまつるべし。。。」」」とまをさしめたまひきとまをさしめたまひきとまおさしめたまいき。。。かれかれかれ其其そののの后后きさきのまのまのまをををししし給給たまひのひのいのまに〳〵まに〳〵まにまに、、、養養ひたしまつりきしまつりきしまつりき。。。またまたまた其其そののの后后きさきににに、、、「「「汝汝なののの堅堅かためしめしめし美豆美豆みずのののははは、、、誰誰たれかもかもかも解解とかむかむかむ。。。」」」ととと問問とはしめはしめわしめ給給たまへばへばえば、、、「「「旦旦あした波波なみののの比古多々須美智能宇斯比古多々須美智能宇斯ひこたたすみちのうしののの王王きみののの御女御女みむすめ、、、名名なははは兄比賣兄比賣えひめ弟比賣弟比賣おとひめ、、、このこのこの二柱二柱ふたはしらののの女王女王ひめみこぞぞぞ、、、淨淨きよききき公民公民おおみたからにませばにませばにませば、、、使使つかひたまふべしひたまふべしひたまうべし。。。」」」とまをさしめたまひきとまをさしめたまひきとまおさしめたまいき。。。然然しかありてありてありて遂遂ついににに其其そののの沙本比古沙本比古さほびこののの王王きみををを殺殺とりたまへるにりたまへるにりたまえるに、、、其其そののの同母妹同母妹いろもももも從從したがひたまひきひたまひきいたまいき。。。亦天皇。命詔其后。言凡子名。必母名。何稱是子之御名。爾答白。今當火燒稻城之時而。火中所生故。其御名。宜稱本牟智和氣御子。又命詔何爲日足奉。答白取御母。定大湯坐若湯坐。宜日足奉。故隨其后白。以日足奉也。又問其后曰。汝所堅之美豆能小佩者誰解。〈美豆能三字以音也〉答白旦波比古多多須美智能宇斯王之女。名兄比賣弟比賣。玆二女王。淨公民故。宜使也。然遂殺其沙本比古王。其伊呂妹亦從也。
現代語訳
伊久米伊理毘古伊佐知命(垂仁天皇)は、師木の玉垣の宮にいらして天下を治められた。この天皇は、沙本毘古命の妹、佐波遅比売命を妻として生んだ御子は、品牟都和気命の一柱。また丹波の比古多多須美知能宇斯王の娘、氷羽州比売命を妻として生んだ御子は、印色之入日子命、次に大帯日子淤斯呂和気命、次に大中津日子命、次に倭比売命、次に若木入日子命の五柱。またその氷羽州比売命の妹、沼羽田之入毘売命を妻として生んだ御子は、沼帯別命、次に伊賀帯日子命の二柱。またその沼羽田之入日売命の妹、阿邪美能伊理毘売命を妻として生んだ御子は、伊許婆夜和気命、次に阿邪美都比売命の二柱。また大筒木垂根王の娘、迦具夜比売命を妻として生んだ御子は、袁邪弁王の一柱。また山代の大国之淵の娘、苅羽田刀弁を妻として生んだ御子は、落別王、次に五十日帯日子王、次に伊登志別王。
またその大国之淵の娘、弟苅羽田刀弁を妻として生んだ御子は、石衝別王、次に石衝毘売命、またの名は布多遅能伊理毘売命の二柱。この天皇の御子たちは、あわせて十六柱(男王十三、女王三)である。
そして大帯日子淤斯呂和気命(景行天皇)は天下を治められた。(身の丈は一丈二寸、すねの長さは四尺一寸あった。)次に印色入日子命は、血沼の池を作り、また狭山の池を作り、また日下の高津の池を作られた。また鳥取の河上の宮にいらして、太刀千振りを作らせ、これを石上神宮に納めた。そしてその宮にいらして、河上部を定めなさった。
次に大中津日子命は、山辺の別・三枝の別・稲木の別・阿太の別・尾張国の三野の別・吉備の石无の別・許呂母の別・高巣鹿の別・飛鳥君・牟礼の別らの祖先である。次に倭比売命は、伊勢の大神の宮をあがめ祭られた。次に伊許婆夜和気王は、沙本の穴太部の別の祖先である。次に阿邪美都比売命は、稲瀬毘古王に嫁がれた。次に落別王は、小月の山君・三河の衣君の祖先である。次に五十日帯日子王は、春日の山君・高志の池君・春日部君の祖先である。次に伊登志和気王は、子がなかったので、子代として伊登志部を定めた。次に石衝別王は、羽咋君・三尾君の祖先である。次に布多遅能伊理毘売命は、倭建命の妃となられた。
この天皇が沙本毘売を皇后としていらしたとき、沙本毘売命の兄の沙本毘古王が、その同母妹に「夫と兄と、どちらが愛しいか」と尋ねると、「兄が愛しい」とお答えになった。そこで沙本毘古王は謀って、「おまえが本当に私を愛しいと思うなら、私とおまえとで天下を治めよう」と言って、すぐに何度も鍛えた紐小刀を作って妹に授け、「この小刀で、天皇が寝ていらっしゃるところを刺し殺しなさい」と言った。天皇はその謀をご存じなく、皇后の膝を枕にしてお休みになった。そこで皇后は紐小刀で天皇の首を刺そうとして、三度まで振り上げたが、悲しみをこらえきれず、刺すことができずに泣いて、その涙が天皇の顔に落ちてあふれた。すると天皇は驚いて目を覚まし、皇后にお尋ねになった。「私は不思議な夢を見た。沙本の方から激しい雨が降ってきて、急に私の顔をぬらした。また錦の色をした小さな蛇が、私の首に巻きついた。このような夢は、何のしるしであろうか」。
そこで皇后は、もう隠しきれないと思って申し上げた。「私の兄の沙本毘古王が、私に『夫と兄と、どちらが愛しいか』と尋ねました。面と向かって尋ねられて、拒むことができずに『兄が愛しい』と答えたところ、私に頼んで、『私とおまえとで天下を治めよう。だから天皇を殺し申し上げよ』と言って、何度も鍛えた紐小刀を作って私に授けました。それで御首を刺し申し上げようとして、三度まで振り上げましたが、急に悲しくなって刺すことができず、泣いた涙が落ちて、御顔をぬらしたのです。夢はきっとこのしるしでしょう」。そこで天皇は「私はもう少しでだまされるところだった」とおっしゃって、すぐに軍を起こして沙本毘古王を討ちに遣わしたとき、王は稲城(稲を積んだ砦)を作って待ち構えて戦った。このとき沙本毘売命は兄を思う気持ちを抑えきれず、裏の門から逃げ出して、その稲城にお入りになった。このとき皇后は身ごもっていらした。天皇は、皇后がいとしく、大切にしてきて三年になるうえ、身ごもってさえいることを、たいそう悲しくお思いになった。それで軍を取り囲ませたまま、急いで攻めることはなさらなかった。このようにとどまっているあいだに、身ごもっていた御子が生まれた。そこで皇后はその御子を連れ出して稲城の外に置き、天皇に申し上げさせた。
「もしこの御子を天皇の御子とお思いになるなら、お育てください」。天皇は、兄の方こそ恨んでいらしたが、なおも皇后をたいそういとしく思っていらしたので、皇后を取り戻したいとお思いになった。そこで兵士の中から力の強い身軽な者を選び集めて、「あの御子を受け取るとき、その母の王もさらってこい。髪でも手でも、つかめるところをつかんで引き出せ」とお命じになった。ところが皇后はあらかじめその心を見抜いて、髪をすっかり剃ってその髪で頭をおおい、また玉の緒を腐らせて手に三重に巻き、また酒で着物を腐らせて、ふつうの着物のように着ていた。こうして準備を整えて、御子を抱いて稲城の外に差し出された。そこで力士たちは御子を受け取ると、すぐにその母をつかまえようとして、髪をつかむと髪は自然に抜け落ち、手をつかむと玉の緒はちぎれ、着物をつかむと着物はすぐに破れた。それで御子は取り戻したが、その母は取り戻すことができなかった。兵士たちは帰ってきて、「御髪は自然に落ち、御衣は破れ、御手に巻いた玉の緒もちぎれたので、母君は取り戻せず、御子だけをお連れしました」と申し上げた。天皇は悔しく恨めしくお思いになって、玉を作った人々を憎んで、その土地をすべて取り上げてしまわれた。それでことわざに「地(ところ)得ぬ玉作(土地をもてない玉作り)」というのである。
また天皇は皇后に問わせなさった。「子の名は必ず母がつけるものだが、この御子の名を何とつけようか」。皇后は「今、稲城を焼くちょうどそのときに、火の中で生まれたのですから、その名は本牟智和気の御子とつけるのがよいでしょう」と申し上げさせた。また「どのようにして育てようか」と問わせなさると、「乳母をつけ、大湯坐・若湯坐を定めて、お育てなさいませ」と申し上げさせた。そこで皇后の言葉のとおりにお育て申し上げた。また皇后に「おまえが結び固めた下紐は、これから誰が解くのか」と問わせなさると、「丹波の比古多多須美知能宇斯王の娘、名は兄比売・弟比売、
この二柱の女王は、清らかな民でございますから、お召しなさいませ」と申し上げさせた。こうしてついに沙本比古王をお討ちになると、その同母妹も兄に従って死んでしまわれた。
意訳
「夫と兄と、どちらが愛しいか」――兄の問いに「兄が愛しい」と答えてしまった沙本毘売は、夫を殺す役目を負わされます。けれども、膝枕で眠る夫の首に三度刃を振り上げても刺すことができず、こぼれた涙が夫の顔をぬらしました。夢に見た「沙本からの雨」と「首に巻きつく錦の小蛇」が、皇后の涙と小刀のたとえであったことが、そのまま明かされます。古事記の中でも特に心を打つ悲劇の一つです。
夫と兄のどちらも捨てられない沙本毘売は、結局兄のもとへ走ります。そこに古代の兄妹のきずなの強さ(ヒメ・ヒコ制ともいわれる、兄妹が一対となって治める古い支配の形)を見る説もあります。天皇は皇后を取り戻そうとしますが、皇后は髪を剃り、腐らせた玉の緒と衣を身につけて、つかまれても逃れられるように準備していました。愛する子だけを夫に託し、自分は兄と運命をともにするという、強い意志が感じられます。
燃える稲城の中で生まれた御子は、本牟智和気(ほむちわけ)と名づけられました。木花之佐久夜毘売が火の中で子を生んだ話と同じく、「火中出産」の型です。最後に沙本毘売は、自分の後の妃として丹波の姉妹を推薦します。下紐を解く人を誰にするか、という問いに答えるこの場面には、死を覚悟した皇后の、夫への最後の思いやりがこめられています。
語釈・文法注
- 伊久米伊理毘古伊佐知の命
- 第十一代垂仁天皇。師木の玉垣の宮(奈良県桜井市穴師)にいた。
- 印色之入日子の命
- 五十瓊敷入彦命。太刀千振りを作って石上神宮に納めたと伝える。石上神宮の神宝の管理の起源とされる。
- 大帶日子淤斯呂和氣の命
- 次の景行天皇。倭建命の父。身長一丈二寸(約3.6メートル)という巨人として描かれる。
- 倭比賣の命
- 倭姫命。伊勢神宮を祭った皇女で、のちに倭建命に草薙剣と火打ち袋を授ける。伊勢神宮の創祀の伝承の中心人物。
- 迦具夜比賣の命
- 大筒木垂根王の娘。竹取物語のかぐや姫の名との関係が指摘されている(大筒木=竹、垂根の王)。
- 子代
- 子のない皇族のために、その名を後世に伝える目的で設けた部民(べみん)。
- 沙本毘賣
- 垂仁天皇の皇后(佐波遅比売命)。日子坐王の娘。兄の沙本毘古王の反乱に殉じた。
- 八鹽折の紐小刀
- 何度も鍛えた紐のついた小刀。「八塩折」は八俣の大蛇の段の「八塩折の酒」と同じく、くり返し鍛え(醸し)た意。
- 稻城
- 稲束を積み上げて作った砦。
- 地得ぬ玉作
- 玉作りの人々が土地を取り上げられたことによることわざ。玉の緒が腐っていたのは玉作りのせいだとして罰したのである。
- 本牟智和氣の御子
- 品牟都和気命。「ほむち」は火の中を表すとされる。次の話で、長く言葉を発しない御子として描かれる。
- 大湯坐・若湯坐
- 赤子を湯浴みさせる役の女性。乳母とともに皇子を養育する役。
- 美豆の小佩
- 瑞々しい下紐。夫婦の契りのしるしで、それを解く人とは次の妻のこと。
文法
- 汝に授けつ
- 皇后が天皇に事情を語る場面で、底本の訓み下しは「汝に授けつ」と刷る。原文は「授妾」で、「妾(私)に授けた」の意。底本どおりとした。
- 原文の「掬以控出」
- 底本の原文は「掬以控出」と刷る。訓み下しは「掬みて控き出でまつれ」。
- 爭はえじ
- 「争ふ」の未然形+可能の「ゆ」の未然形「え」+打消推量の「じ」。「(もう)隠し争うことはできまい」。
- 欺かえつるかも
- 「欺く」の未然形+受身の「ゆ」の連用形+完了「つ」の連体形+詠嘆「かも」。
- 伊登志部
- 底本の原文は「定伊[登]志部」と、「登」を四角で囲む(校訂で補った字の印と思われる)。
解説
沙本毘古王の反乱は、垂仁天皇の段の中心となる悲劇です。兄と夫のあいだで引き裂かれる女性という主題は、日本の文学で最も古い例の一つで、近代になっても多くの小説や戯曲の題材となりました。日本書紀にもほぼ同じ話が載っていますが、古事記の方が皇后の心の動きをより細やかに描いています。
天皇が見た夢(沙本からの雨と錦の小蛇)は、皇后の涙と兄から渡された小刀を暗示しています。夢を通じて真実が明らかになるという筋は、崇神天皇の段の夢のお告げとも共通し、古代の人々が夢を神からの知らせとして重んじていたことがうかがえます。
燃える稲城の中で生まれた本牟智和気王は、次の話で、成長しても言葉を発しない御子として描かれます。その原因が出雲大神の祟りであったことがわかり、王は出雲へ参拝することになります。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。158〜167頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日