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古事記 中巻

大山守命の反乱と皇位の譲り合い

応神天皇が崩じると、大山守命は皇位を奪おうと宇遅能和紀郎子を討つ兵を起こす。大雀命の知らせを受けた宇遅能和紀郎子は、身分の低い船頭に変装して宇治川の渡しで待ち、大山守命を川に落とす。大山守命は射られて沈む。その後、大雀命と宇遅能和紀郎子は皇位を譲り合うが、宇遅能和紀郎子が早く亡くなり、大雀命が天下を治めた。

  1. 1かれかれかれ天皇すめらみこと天皇すめらみことすめらみこと崩かむあが崩かむあがかむあがりましてりましてりまして後のち後のちのちににに、、、大雀おほさざき大雀おほさざきおおさざきののの命みこと命みことみことははは、、、さきのさきのさきの大命おほみこと大命おほみことおおみことのののまに〳〵まに〳〵まにまに、、、天あめ天あめあめののの下した下したしたををを宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこ宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこうじのわきいらつこににに讓ゆづ讓ゆづゆずりりり給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに大山守おほやまもり大山守おほやまもりおおやまもりののの命みこと命みことみことははは、、、大命おほみこと大命おほみことおおみことにたがにたがにたがひてひてひて、、、なほなほなお天あめ天あめあめののの下した下したしたををを獲え獲ええむとしてむとしてむとして、、、其そ其そそののの弟王おとみこ弟王おとみこおとみこををを殺ころ殺ころころさむのさむのさむの心こころ心こころこころありてありてありて、、、竊しの竊しのしのびにびにびに兵士いくさびと兵士いくさびといくさびとををを設ま設ままけてけてけて攻せ攻せせめむとしめむとしめむとし給たま給たまたまひきひきいき。。。こゝにこゝにここに大雀おほさざき大雀おほさざきおおさざきののの命みこと命みことみこと、、、そのそのその兄王あにみこ兄王あにみこあにみこののの軍いくさ軍いくさいくさををを備そな備そなそなへへえ給たま給たまたまふことふことうことををを聞き聞ききかしてかしてかして、、、卽すなは卽すなはすなわちちち使つかひ使つかひつかいををを遣や遣ややりてりてりて、、、宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこ宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこうじのわきいらつこににに告つ告つつげしめげしめげしめ給たま給たまたまひきひきいき。。。かれかれかれ聞き聞ききききき驚おどろ驚おどろおどろかしてかしてかして、、、兵士いくさびと兵士いくさびといくさびとををを河かは河かはかはののの邊べ邊べべににに隱かく隱かくかくししし、、、またまたまた其そ其そそののの山やま山やまやまののの上うへ上うへうえににに、、、ををを張は張ははりりり、、、ををを立た立たたてててててて、、、詐いつは詐いつはいつわりてりてりてををを王みこ王みこみこになしてになしてになして、、、露あら露あらあらはははににににませてにませてにませて、、、百官敬つかさづかさゐやま百官敬つかさづかさゐやまつかさづかさいやまびびび往ゆ往ゆゆききき來き來ききふふふ狀さま狀さまさま、、、すでにすでにすでに王みこ王みこみこのますのますのます所ところ所ところところののの如ごと如ごとごとくしてくしてくして、、、更さら更さらさらににに其そ其そそののの兄王あにみこ兄王あにみこあにみこののの河かは河かはかはををを渡わた渡わたわたりまさむりまさむりまさむ時とき時ときときののの爲ため爲ためためににに、、、船楫ふなかぢ船楫ふなかぢふなかじををを具そな具そなそなへへえ飾かざ飾かざかざりりり、、、またまたまたののの根ね根ねねををを臼うす臼うすうすににに搗つ搗つつききき、、、其そ其そそののの汁しる汁しるしるののの滑なめ滑なめなめををを取と取ととりてりてりて、、、そのそのその船ふね船ふねふねののの中なか中なかなかのののににに塗ぬ塗ぬぬりてりてりて、、、蹈ふ蹈ふふみてみてみて仆たふ仆たふたおるべくるべくるべく設ま設ままけてけてけて、、、其そ其そそののの御子みこ御子みこみこははは、、、布ぬの布ぬのぬのののの衣褌きぬはかま衣褌きぬはかまきぬはかまををを服き服ききててて、、、既すで既すですでににに奴やつこ奴やつこやつこののの形かたち形かたちかたちになりてになりてになりて、、、楫かぢ楫かぢかじををを取と取ととりてりてりて船ふね船ふねふねににに立た立たたちませりちませりちませり。。。こゝにこゝにここに其そ其そそののの兄王あにみこ兄王あにみこあにみこ、、、兵士いくさびと兵士いくさびといくさびとををを隱かく隱かくかくししし、、、鎧よろひ鎧よろひよろいををを衣きぬ衣きぬきぬののの中なか中なかなかににに服き服ききせてせてせて、、、河かは河かはかはののの邊べ邊べべににに到いた到いたいたりてりてりて、、、船ふね船ふねふねにのりまさむとするにのりまさむとするにのりまさむとする時とき時ときときににに、、、かのかのかの嚴いかめ嚴いかめいかめしくしくしく飾かざ飾かざかざれるれるれる處ところ處ところところををを見み見みみ遣や遣ややりてりてりて、、、弟王おとみこ弟王おとみこおとみこををを其そ其そそののの吳牀あぐら吳牀あぐらあぐらににに居ゐ居ゐいますとますとますと思おも思おもおもほしてほしておして、、、楫かぢ楫かぢかじををを執と執ととりてりてりて船ふね船ふねふねににに立た立たたちませることちませることちませることをばをばをば、、、かつてかつてかつて知し知ししらずてらずてらずて、、、卽すなは卽すなはすなわちちち其そ其そそののの楫執かぢと楫執かぢとかじとれるれるれる者もの者ものものににに問と問ととひひい給たま給たまたまはくはくわく、、、「「「このこのこの山やま山やまやまににに忿いか忿いかいかれるれるれるありとありとありと傳つた傳つたつたてにてにてに聞き聞ききけりけりけり。。。吾あ吾ああ其そ其そそののの猪ゐ猪ゐいををを取と取ととらむとらむとらむと思おも思おもおもふふうををを、、、若も若ももししし其そ其そそののの猪ゐ猪ゐい獲え獲ええてむやてむやてむや。。。」」」ととと問と問ととひたまへばひたまへばいたまえば、、、楫執かぢと楫執かぢとかじとれるれるれる者もの者ものもの、、、「「「えええ獲え獲ええりたまはじりたまはじりたまわじ。。。」」」といへばといへばといえば、、、又また又またまた、、、「「「如何いか如何いかいかなればなればなれば。。。」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまへばへばえば、、、「「「時々往々ときどきゆきゆき時々往々ときどきゆきゆきときどきゆきゆきにしてにしてにして、、、取と取ととらむとすれどもらむとすれどもらむとすれども得え得ええずずず、、、こゝこゝここををを以もつ以もつもつててて、、、獲え獲ええたまはじとたまはじとたまわじと申まを申まをもうすなりすなりすなり。。。」」」といひきといひきといいき。。。渡わた渡わたわたりてりてりて河中かはなか河中かはなかかわなかににに到いた到いたいたれるれるれる時とき時ときときににに、、、其そ其そそののの船ふね船ふねふねををを傾かたぶ傾かたぶかたぶけしめてけしめてけしめて、、、水みづ水みづみずののの中なか中なかなかににに墮おと墮おとおとししし入い入いいれきれきれき。。。こゝにこゝにここに乃すなは乃すなはすなわちちち浮う浮ううききき出い出いいでてでてでて、、、水みづ水みづみずのののまに〳〵まに〳〵まにまに流なが流ながながれれれ下くだ下くだくだりたまひきりたまひきりたまいき。。。卽すなは卽すなはすなわちちち流なが流ながながれつゝれつゝれつつ歌うた歌うたうたひたまはくひたまはくいたまわく、、、ぶるぶるぶる   ののの渡わた渡わたわたににに   棹取さをと棹取さをとさおとりにりにりに   速はや速はやはやけむけむけむ人ひと人ひとひとししし   わがわがわが許もと許もともとににに來き來ききむむむ   こゝにこゝにここに河かは河かはかはののの邊べ邊べべににに隱かく隱かくかくれたるれたるれたる兵士いくさびと兵士いくさびといくさびと、、、彼方此方かなたこなた彼方此方かなたこなたかなたこなた、、、一時もろとも一時もろとももろともににに興おこ興おこおこりてりてりて、、、矢刺やさ矢刺やさやさしてしてして流なが流ながながしきしきしき。。。かれかれかれののの前さき前さきさきににに到いた到いたいたりてりてりて沉しづ沉しづしずみみみ入い入いいりたまひぬりたまひぬりたまいぬ。。。かれかれかれ鉤かぎ鉤かぎかぎをもちてをもちておもちて、、、そのそのその沉しづ沉しづしずみたまひしみたまひしみたまいし處ところ處ところところををを探さぐ探さぐさぐりしかばりしかばりしかば、、、其そ其そそののの衣きぬ衣きぬきぬののの中なか中なかなかなるなるなる鎧よろひ鎧よろひよろいににに繫かか繫かかかかりてりてりて、、、訶和羅かわら訶和羅かわらかわらととと鳴な鳴ななりきりきりき。。。かれかれかれ其所そこ其所そこそこののの名な名ななををを訶和羅かわら訶和羅かわらかわらののの前さき前さきさきとととははは謂い謂いいふなりふなりうなり。。。こゝにそのこゝにそのここにその骨かばね骨かばねかばねををを掛か掛かかききき出い出いいせるせるせる時とき時ときときににに、、、弟王おとみこ弟王おとみこおとみこののの御歌みうた御歌みうたみうた、、、千早人ちはやびと千早人ちはやびとちはやびと   宇治うぢ宇治うぢうじののの渡わた渡わたわたににに   渡瀨わたりぜ渡瀨わたりぜわたりぜににに立た立たたてるてるてる      射伐いき射伐いきいきらむとらむとらむと   心こころ心こころこころははは思おも思おもおもへどへどえど   射取いと射取いといとらむとらむとらむと   心こころ心こころこころははは思おも思おもおもへどへどえど   本方もとへ本方もとへもとへははは   君きみ君きみきみををを思おも思おもおもひでひでいで   末方すゑへ末方すゑへすえへははは   妹いも妹いもいもををを思おも思おもおもひでひでいで   苛無いらな苛無いらないらなけくけくけく   そこにそこにそこに思おも思おもおもひでひでいで   悲かな悲かなかなしけくしけくしけく   こゝにこゝにここに思おも思おもおもひでひでいで   射伐いき射伐いきいきらずぞらずぞらずぞ來き來ききるるる   梓弓眞弓あづさゆみまゆみ梓弓眞弓あづさゆみまゆみあずさゆみまゆみ   かれかれかれ、、、そのそのその大山守おほやまもり大山守おほやまもりおおやまもりののの命みこと命みことみことののの御骨みかばね御骨みかばねみかばねをばをばをば、、、ににに葬かく葬かくかくしきしきしき。。。このこのこの大山守おほやまもり大山守おほやまもりおおやまもりののの命みこと命みことみことははは、、、(((ののの君きみ君きみきみ、、、幣岐へき幣岐へきへきののの君きみ君きみきみ、、、榛原はりはら榛原はりはらはりはらののの君等きみら君等きみらきみらががが祖おや祖おやおやなりなりなり。。。)))故天皇崩之後。大雀命者。從天皇之命。以天下讓宇遲能和紀郞子。於是大山守命者。違天皇之命。猶欲獲天下。有殺其弟皇子之情。竊設兵將攻。爾大雀命。聞其兄備兵。卽遣使者。令告宇遲能和紀郞子。故聞驚。以兵伏河邊。亦其山之上。張絁垣立帷幕。詐以舍人爲王。露坐吳牀。百官恭敬往來之狀。既如王子之坐所而。更爲其兄王渡河之時。具餝船楫。者舂佐那〈此二字以音〉葛之根。取其汁滑而。塗其船中之簀椅。設蹈應仆而。其王子者。服布衣褌。既爲賤人之形。執楫立船。於是其兄王。隱伏兵士。衣中服鎧。到於河邊。將乘船時。望其嚴餝之處。以爲弟王坐其吳牀。都不知執楫而立船。卽問其執楫者曰。傳聞茲山有忿怒之大猪。吾欲取其猪。若獲其猪乎。爾執楫者。答曰不能也。亦問曰何由。答曰時時也往往也雖爲取而不得。是以白不能也。渡到河中之時。令傾其船。墮入水中。爾乃浮出。隨水流下。卽流歌曰。知波夜夫流。宇遲能和多理邇。佐袁斗理邇。波夜祁牟比登斯。和賀毛古邇許牟。於是伏隱河邊之兵。彼廂此廂一時共興。矢刺而流。故到訶和羅之前而沉入。〈訶和羅三字以音〉故以鉤探其沉處者。繫其衣中甲而。訶和羅鳴。故號其地謂訶和羅前也。爾掛出其骨之時。弟王歌曰。知波夜比登。宇遲能和多理邇。和多理是邇。多弖流。阿豆佐由美。麻由美。伊岐良牟登。許許呂波母閇杼。伊斗良牟登。許許呂波母閇杼。母登幣波。岐美袁淤母比傳。須惠幣波。伊毛袁淤母比傳。伊良那祁久。曾許爾淤母比傳。加那志祁久。許許爾淤母比傳。伊岐良受曾久流。阿豆佐由美。麻由美。故其大山守命之骨者。葬于那良山也。是大山守命者。〈土形君。幣岐君。榛原君等之祖。〉
  2. 2こゝにこゝにここに大雀おほさざき大雀おほさざきおおさざきののの命みこと命みことみことととと宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこ宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこうじのわきいらつこととと二柱ふたはしら二柱ふたはしらふたはしら、、、天あめ天あめあめののの下した下したしたををを相讓あひゆづ相讓あひゆづあいゆずりたまふりたまふりたまうほどにほどにほどに、、、いいい大贄おほにへ大贄おほにへおおにえををを貢たてまつ貢たてまつたてまつりきりきりき。。。かれかれかれ兄王あにみこ兄王あにみこあにみこははは辭いな辭いないなみてみてみて弟王おとみこ弟王おとみこおとみこににに貢たてまつ貢たてまつたてまつらしめたまひらしめたまひらしめたまい、、、弟王おとみこ弟王おとみこおとみこはははまたまたまた兄王あにみこ兄王あにみこあにみこににに貢たてまつ貢たてまつたてまつらしめてらしめてらしめて、、、相讓あひゆづ相讓あひゆづあいゆずりたまふりたまふりたまう間ほど間ほどほどににに、、、既すで既すですでににに許多日經あまたひへ許多日經あまたひへあまたひへぬぬぬ。。。かくかくかく相讓あひゆづ相讓あひゆづあいゆずりたまふことりたまふことりたまうこと一度二度ひとたびふたたび一度二度ひとたびふたたびひとたびふたたびにあらざりければにあらざりければにあらざりければ、、、海人あま海人あまあまははは既すで既すですでににに往還ゆきき往還ゆききゆききににに疲つか疲つかつかれてれてれて泣な泣ななきけりきけりきけり。。。かれかれかれ諺ことわざ諺ことわざことわざににに、、、「「「海人あま海人あまあまなれやなれやなれや、、、己おの己おのおのががが物もの物ものものからからからくくく。。。」」」とぞいふとぞいふとぞいう。。。然しか然しかしかるにるにるに宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこ宇遲能和紀郞子うぢのわきいらつこうじのわきいらつこははは早はや早はやはやくくく崩かむあが崩かむあがかむあがりましぬりましぬりましぬ。。。かれかれかれ大雀おほさざき大雀おほさざきおおさざきののの命みこと命みことみことぞぞぞ天あめ天あめあめののの下治したしろ下治したしろしたしろしめしけるしめしけるしめしける。。。於是大雀命與宇遲能和紀郞子二柱。各讓天下之間。海人貢大贄。爾兄辭令貢於弟。弟辭令貢於兄。相讓之間。既經多日。如此相讓非一二時故。海人既疲往還而泣也。故諺曰海人乎因己物而泣也。然宇遲能和紀郞子者。早崩。故大雀命治天下也。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

さて天皇がお亡くなりになったあと、大雀命は天皇のお言葉に従って、天下を宇遅能和紀郎子にお譲りになった。ところが大山守命は、天皇のお言葉に背いて、なおも天下を手に入れようとして、その弟の皇子を殺そうとする心をもち、ひそかに兵を用意して攻めようとなさった。そこで大雀命は、

その兄の王が軍勢を備えていることをお聞きになって、すぐに使者を遣わして、宇遅能和紀郎子に知らせた。宇遅能和紀郎子はこれを聞いて驚き、兵士を川のほとりに隠し、またその山の上に絹の幕を張り、とばりを立てて、偽って舎人を王に仕立て、人目につくように胡床に座らせて、多くの役人がうやうやしく行き来する様子を、まるで王子のいらっしゃる所のようにした。さらに、その兄の王が川を渡るときのために、船と楫を整え飾り、さなかずらの根を臼でついて、その汁のぬめりを取って、その船の中の簀の子の床に塗り、踏めば転ぶように仕掛けた。そしてその王子自身は、粗末な布の衣と袴を着て、すっかり身分の低い者の姿になって、楫を取って船に立っておられた。

さてその兄の王は、兵士を隠し、鎧を衣の下に着込んで、川のほとりに着き、船に乗ろうとするとき、あの立派に飾った所を見やって、弟の王がその胡床にいるものと思い、楫を取って船に立っているのが弟の王だとはまったく気づかずに、その楫を取る者に尋ねた。「この

山には怒り狂う大きな猪がいると噂に聞いた。私はその猪を捕らえようと思うのだが、その猪を捕らえられるだろうか」。すると楫を取る者は「捕らえられないでしょう」と答えた。また「どうしてか」と尋ねると、「これまでたびたび捕らえようとした者がいましたが、捕らえられませんでした。それで、捕らえられないでしょうと申し上げたのです」と言った。そして川の中ほどまで渡ったとき、その船を傾けさせて、兄の王を水の中に落とした。兄の王は浮かび上がって、水のまにまに流れ下っていった。そして流れながら歌った歌は、

(ちはやぶる)宇治の渡し場に、棹を操るのに素早い人よ、私のところに来てくれ。

すると川のほとりに隠れていた兵士たちが、あちらこちらから一斉に立ち上がって、矢をつがえて流していった。そして兄の王は訶和羅の崎まで流れて、沈んでしまわれた。そこで鉤でその沈んだ所を探ると、その衣の中の鎧に引っかかって、「かわら」と鳴った。それでその場所の名を訶和羅の崎というのである。そしてその亡骸を引き上げたとき、弟の王が歌った歌は、

(ちはやひと)宇治の渡し場の、渡り瀬に立っている梓弓と檀の弓よ、射倒そうと心では思うけれど、射取ろうと心では思うけれど、弓の本のほうでは君(父の天皇)を思い出し、末のほうでは妹を思い出して、つらいことに、そこで思い出し、悲しいことに、ここで思い出して、射倒さずに帰ってきた、梓弓と檀の弓よ。

そしてその大山守命の亡骸を、那良山に葬った。この大山守命は、(土形君・幣

岐君・榛原君らの祖である。)

さて大雀命と宇遅能和紀郎子の二柱が、天下を互いに譲り合っておられたとき、海人が大贄(海産物)を献上した。すると兄の王は辞退して弟の王に献上させ、弟の王はまた兄の王に献上させて、互いに譲り合っているうちに、もう何日もたってしまった。このように譲り合うことが一度や二度ではなかったので、海人は行き来に疲れて泣いてしまった。それでことわざに「海人だからか、自分の物のせいで声をあげて泣く」というのである。ところが宇遅能和紀郎子は早くお亡くなりになった。そこで大雀命が天下を治められた。

意訳

父の応神天皇が亡くなると、天皇の決めた継承に不満をもつ大山守命が、末の弟の宇遅能和紀郎子を討とうとします。宇遅能和紀郎子は、山の上に偽の王を座らせて兄の目をそらし、自分は粗末な身なりの船頭になりすまして、宇治川の渡し場で兄を待ちました。

何も知らない大山守命は、船頭に「この山の大猪を捕らえられるか」と尋ねます。「大猪」とは弟のこと。船頭(実は弟)は「捕らえられないでしょう」と答え、船を傾けて兄を川に落とします。兄が「棹さばきの速い人よ、助けに来てくれ」と歌いながら流されていく場面は、悲劇と滑稽さが入り交じっています。兄の亡骸を引き上げた弟の歌には、父や妹を思い出して、兄を射ることをためらった心の揺れが歌われています。

その後、大雀命と宇遅能和紀郎子は皇位を譲り合い、海人が献上した魚を互いに相手に回すうちに、行き来に疲れた海人が泣き出してしまいました。「海人なれや己が物から音泣く」ということわざの由来です。宇遅能和紀郎子が早く亡くなったため、大雀命が即位して仁徳天皇となりました。日本書紀では、宇遅能和紀郎子(菟道稚郎子)が兄に位を譲るために自ら命を絶ったと記されています。

語釈・文法注

絁垣
「きぬがき」。絹の布を張りめぐらした幕。
帷幕
「あげはり」。上に張る幕、とばり。
舍人
皇族や貴人のそば近くに仕える者。
吳牀
「あぐら」。腰かけ。高貴な人が座るもの。
佐那葛
「さなかづら」。サネカズラ。茎からぬめりのある汁が出る。
簀椅
「すばし」。竹や木を並べて作った、船の床。
忿れる大猪
大山守命が弟の宇遅能和紀郎子をたとえた言葉。
宇治の渡
京都府宇治市の宇治川の渡し場。
千早ぶる・千早人
「ちはやぶる」「ちはやひと」は「宇治」にかかる枕詞。
訶和羅の前
「かわらのさき」。京都府京田辺市河原とする説がある。鎧が「かわら」と鳴ったことによる地名とする。
梓弓眞弓
梓の木で作った弓と、檀(まゆみ)の木で作った弓。
那良山
奈良市北部の丘陵。
土形の君・幣岐の君・榛原の君
大山守命を祖とする氏族。土形は遠江国城飼郡(静岡県)、榛原は遠江国榛原郡の地名による。
海人
海で魚や貝をとって暮らす人々。
海人なれや、己が物から音泣く
海人だからか、自分の物のせいで声をあげて泣く。自分の持ち物が原因で苦労することのたとえ。

文法

原文の「具餝船楫。者舂佐那葛之根」
底本の原文は「具餝船楫。者舂佐那〈此二字以音〉葛之根」と、「者」の前に句点を刷る。底本どおりとした。
時々往々にして
原文は「時時也往往也」。これまでたびたび、の意。
え獲りたまはじ
「え…じ」は不可能の推量。「捕らえることはおできにならないでしょう」。
思ひで
「思ひ出で」の約。思い出して。
沉み
底本は原文・訓み下しとも「沉」の字を刷る。「沈」と同じ。

歌謡

千早ぶる 宇治の渡に 棹取りに 速けむ人し わが許に來む

詠者
大山守命
状況
宇治川で船から落とされ、流されながら助けを求めて歌った歌。

修辞

枕詞
「千早ぶる」は「宇治」にかかる。

千早人 宇治の渡に 渡瀨に立てる 梓弓眞弓 射伐らむと 心は思へど 射取らむと 心は思へど 本方は 君を思ひで 末方は 妹を思ひで 苛無けく そこに思ひで 悲しけく こゝに思ひで 射伐らずぞ來る 梓弓眞弓

詠者
宇遅能和紀郎子
状況
川から引き上げた兄大山守命の亡骸を前にして詠んだ歌。

修辞

枕詞
「千早人」は「宇治」にかかる。
対句
「射伐らむと心は思へど」「射取らむと心は思へど」、「本方は君を思ひで」「末方は妹を思ひで」など、対句を重ねる。
掛詞
弓の「本」「末」に、父君と妹を思う心を重ねる。

解説

大山守命の反乱は、日本書紀にもほぼ同じ形で記されています。宇遅能和紀郎子が船頭に変装して兄を川に落とす話は、知恵で強敵を倒す英雄譚の型をとっています。弟の歌は、亡き兄への複雑な思いを伝え、兄弟の争いの悲しさを印象づけます。

大雀命と宇遅能和紀郎子の皇位の譲り合いは、儒教的な美徳を体現した理想の兄弟の姿として語られています。日本書紀では、宇遅能和紀郎子は「兄の志を奪うことはできない」として自ら命を絶ち、大雀命は嘆き悲しみながら即位したとされます。京都府宇治市の宇治上神社・宇治神社は、宇遅能和紀郎子を祭る神社として知られています。

関連

出典

底本
古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。217〜221頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日