古事記 中巻
天之日矛
新羅の沼のほとりで昼寝をしていた女が、日の光に感じて赤い玉を生む。その玉を手に入れた新羅の王子天之日矛が玉を床に置くと美しい乙女になり、妻とする。おごった王子にののしられた妻は、親の国へ帰ると言って小船で日本に渡り、難波の阿加流比売神となる。追ってきた天之日矛は但馬に留まり、その子孫に神功皇后の母が出る。
- 1またまたまた昔昔むかし新羅新羅しらぎののの國王國王こにきしののの子子こ、、、名名なはははととと謂謂いふありふありうあり、、、このこのこの人人ひとまゐまゐまい渡渡わたりけりりけりりけり。。。まゐまゐまい渡渡わたりけるりけるりける故故かれははは、、、新羅新羅しらぎののの國國くにににに一一ひとつのつのつの沼沼ぬまありありあり、、、名名なをををといふといふという。。。此此こののの沼沼ぬまののの邊邊べににに、、、或賤或賤あるしずののの女晝寢女晝寢めひるねしたりきしたりきしたりき。。。こゝにこゝにここに日日ひののののごとのごとのごと、、、其其そののの陰陰ほとををを指指さしたるしたるしたるををを、、、またあるまたあるまたある賤賤しずののの男男を、、、そのそのその狀狀さまををを異異ことしとしとしと思思おもひてひていて、、、恆恆つねににに其其そののの女女おみなののの行行ゆひひいををを伺伺うかがひけりひけりひけり。。。かれかれかれ此此こののの女女おみな、、、そのそのその晝寢晝寢ひるねしたりししたりししたりし時時ときよりよりより妊妊はらみてみてみて、、、をををなもなもなも生生うみけるみけるみける。。。こゝにこゝにここに其其そののの伺伺うかがへるへるへる賤賤しずののの男男を、、、其其そののの玉玉たまををを乞乞こひひひ取取とりてりてりて、、、恆恆つねははは裹裹つつみてみてみて腰腰こしににに著著つけたりきけたりきけたりき。。。此此こののの人谷邊人谷邊ひとたにへににに田田たををを作作つくれりければれりければれりければ、、、田人共田人共たびとどもののの食物食物くらいものををを牛牛うしににに負負おおせてせてせて、、、谷谷たにののの中中なかににに入入いりけるにりけるにりけるに、、、其其そののの國主國主こにきしののの子天之日矛遇子天之日矛遇こあめのひぼこあへりへりへり。。。かれかれかれ其其そののの人人ひとにいひけらくにいひけらくにいいけらく、、、「「「何何なにぞぞぞ汝汝な食物食物くらいものををを牛牛うしににに負負おおせてせてせて、、、谷谷たにへへへははは入入いるぞるぞるぞ。。。汝汝なかならずこのかならずこのかならずこの牛牛うしををを殺殺ころしてしてして食食くららふならむらふならむらうならむ。。。」」」といひてといひてといいて、、、卽卽すなわちちち其其そののの人人ひとををを捕捕とらへてへてえて、、、ににに入入いれむとすればれむとすればれむとすれば、、、其其そののの人人ひと答答こたへけらくへけらくえけらく、、、「「「吾吾あ牛牛うしををを殺殺ころさむとにさむとにさむとにはははあらずあらずあらず、、、唯田人唯田人ただたびとののの食物食物くらいものををを送送おくるにこそあれるにこそあれるにこそあれ。。。」」」といふといふという。。。然然しかれどもなほれどもなほれどもなお赦赦ゆるさざりければさざりければさざりければ、、、其其そののの腰腰こしなるなるなる玉玉たまををを解解ときてきてきて、、、其其そののの國主國主こにきしののの子子こににに幣幣まいひしつひしつひしつ。。。かれかれかれ其其そののの賤賤しずののの男男をををを赦赦ゆるしてしてして、、、其其そののの玉玉たまををを持持もちちち來來きててて、、、牀牀とこののの邊邊べににに置置おけりしかばけりしかばけりしかば、、、卽卽すなわちちち顏美顏美かおよききき少女少女おとめになりぬになりぬになりぬ。。。かれかれかれ婚婚めしてしてして嫡妻嫡妻むかいめとしたりきとしたりきとしたりき。。。こゝにこゝにここに其其そののの少女少女おとめ、、、常常いつににに種々種々くさぐさのののををを設設まけてけてけて、、、いつも〳〵いつも〳〵いつもいつも其其そののの夫夫ひこじににに進進すすめきめきめき。。。かれかれかれ其其そののの國主國主こにきしののの子子こ、、、心奢心奢こころおごりてりてりて、、、妻妻めををを罵罵のればればれば、、、其其そののの女女おみな、、、「「「おほかたおほかたおおかた吾吾あははは、、、汝汝なののの妻妻めととと爲爲なるべきるべきるべき女女おみなにあらずにあらずにあらず、、、吾吾あががが祖祖やののの國國くにににに行行ゆなむとすなむとすなむとす。。。」」」といひてといひてといいて、、、竊竊しのびてびてびて小船小船おぶねににに乘乘じようりてりてりて、、、逃逃にげげげ渡渡わたりりり來來きててて、、、難難かた波波なみになもになもになも留留とどまりけるまりけるまりける。。。(((此此こははは難難かた波波なみのののののの社社やしろにますにますにますとまとまとまをををすすす神神かみなりなりなり。。。)))又昔有新羅國主之子。名謂天之日矛。是人參渡來也。所以參渡來者。新羅國有一沼。名謂阿具奴摩。〈自阿下四字以音〉此沼之邊。一賤女晝寢。於是日耀如虹指其陰上。亦有一賤夫。思異其狀。恆伺其女人之行。故是女人。自其晝寢時妊身。生赤玉。爾其所伺賤夫。乞取其玉。恆裹著腰。此人營田於山谷之間故。耕人等之飮食負一牛而。入山谷之中。遇逢其國主之子天之日矛。爾問其人。曰何汝飮食負牛。入山谷。汝必殺食是牛。卽捕其人。將入獄囚。其人答曰。吾非殺牛。唯送田人之食耳。然猶不赦爾。解其腰之玉。幣其國主之子。故赦其賤夫。將來其玉。置於牀邊。卽化美麗孃子。仍婚爲嫡妻。爾其孃子。常設種種之珍味。恆食其夫。故其國主之子心奢。詈妻。其女人。言凡吾者。非應爲汝妻之女。將行吾祖之國。卽竊乘小船。逃遁渡來。留于難波。〈此者坐難波之比賣碁曾社。謂阿加流比賣神者也。〉
- 2こゝにこゝにここに天之日矛天之日矛あめのひぼこ、、、其其そののの妻妻めののの遁遁のがれしことれしことれしことををを聞聞ききてきてきて、、、乃乃すなわちちち追追おひひい渡渡わたりりり來來きててて、、、難難かた波波なみににに到到いたらむとするらむとするらむとする程程ほどににに、、、そのそのその渡渡わたりののの神神かみ塞塞さへてへてえて入入いれざりきれざりきれざりき。。。かれかれかれ更更さらににに還還かえりてりてりて、、、ののの國國くにににに泊泊はてつてつてつ。。。卽卽すなわちちち其其そののの國國くにににに留留とどまりてまりてまりて、、、多遲摩多遲摩たじまののの俣尾俣尾またおががが女女むすめ、、、名名なははは前津見前津見まえつみににに娶娶あひてひていて生生うめるめるめる子子こ、、、多遲摩母呂須玖多遲摩母呂須玖たじまもろすく、、、これがこれがこれが子子こ、、、多遲摩斐泥多遲摩斐泥たじまひね。。。これがこれがこれが子子こ、、、多遲摩比那良岐多遲摩比那良岐たじまひならき。。。これがこれがこれが子子こ、、、、、、次次つぎににに多遲摩比多訶多遲摩比多訶たじまひたか、、、次次つぎににに淸日子淸日子きよひこ。。。(((三柱三柱みはしら。。。)))このこのこの淸日子淸日子きよひこ、、、當摩之咩斐當摩之咩斐たぎまのめひににに娶娶あひてひていて生生うめるめるめる子子こ、、、酢鹿之諸男酢鹿之諸男すがのもろお、、、つぎにつぎにつぎに妹菅竈由良度美妹菅竈由良度美いもすがかまゆらどみ。。。かれかれかれ上上うえにいへるにいへるにいえる多遲摩比多訶多遲摩比多訶たじまひたか、、、其其そののの姪由良度美姪由良度美めいゆらどみににに娶娶あひてひていて生生うめるめるめる子子こ、、、ののの命命みこと。。。(((此此こははは息長帶比賣息長帶比賣おきながたらしひめののの命命みことののの御祖御祖みおや。。。)))かれかれかれ其其そののの天之日矛天之日矛あめのひぼこののの持持もちちち渡渡わたりりり來來きつるつるつる物物ものははは、、、玉津寶玉津寶たまつたからといひてといひてといいて、、、珠二貫珠二貫たまふたつら、、、またまたまた、、、切浪比禮切浪比禮なみきるひれ、、、振風比禮振風比禮かぜふるひれ、、、切風比禮切風比禮かぜきるひれ、、、またまたまた、、、邊津鏡邊津鏡へつかがみ、、、幷幷あわせてせてせて八種八種やくさなりなりなり。。。(((此此こはははののの八前八前やまえののの大神大神おおかみなりなりなり。。。)))於是天之日矛聞其妻遁。乃追渡來。將到難波之間。其渡之神塞以不入。故更還。泊多遲摩國。卽留其國而。娶多遲摩之俣尾之女名前津見生子多遲摩母呂須玖。此之子多遲摩斐泥。此之子多遲摩比那良岐。此之子多遲麻毛理。次多遲摩比多訶。次淸日子。〈三柱〉此淸日子娶當摩之咩斐生子酢鹿之諸男。次妹菅竈上由良度美。〈此四字以音〉故上云多遲摩比多訶。娶其姪由良度美生子。葛城之高額比賣命。〈此者息長帶比賣命之御祖。〉故其天之日矛持渡來物者。玉津寶云而。珠二貫。又振浪比禮。〈比禮二字以音。下效此〉切浪比禮。振風比禮。切風比禮。又奧津鏡。邊津鏡。幷八種也。〈此者伊豆志之八前大神也。〉
現代語訳
また昔、新羅の国王の子で、名を天之日矛という者がいた。この人が渡来してきた。渡来したわけは、こうである。新羅の国に一つの沼があり、名を阿具沼という。この沼のほとりで、ある身分の低い女が昼寝をしていた。すると日の光が虹のように、その女の陰部を照らした。また、ある身分の低い男が、その様子を不思議に思って、いつもその女の様子をうかがっていた。するとこの女は、その昼寝をしたときから身ごもって、赤い玉を生んだ。そこで、その様子をうかがっていた身分の低い男は、その玉をもらい受けて、いつも包んで腰につけていた。この人は谷あいに田を作っていたので、
田で働く人たちの食べ物を牛に背負わせて、谷の中に入っていくと、その国王の子の天之日矛に出会った。天之日矛はその人に「なぜおまえは食べ物を牛に背負わせて谷に入っていくのか。おまえはきっとこの牛を殺して食べるつもりだろう」と言って、すぐにその人を捕らえて、牢屋に入れようとした。その人は「私は牛を殺そうというのではありません。ただ田で働く人の食べ物を届けるだけです」と答えた。それでもなお許さなかったので、その腰につけていた玉をほどいて、その国王の子に贈った。そこで天之日矛はその身分の低い男を許し、その玉を持ち帰って床のそばに置いておくと、すぐに美しい乙女になった。そこで結婚して正妻とした。その乙女は、いつもさまざまのおいしい料理を用意して、いつもいつもその夫に食べさせた。ところがその国王の子は、心がおごって妻をののしったので、その女は「そもそも私は、あなたの妻になるような女ではありません。私の親の国に行きます」と言って、ひそかに小船に乗って逃げ渡ってきて、難波にとどまった。(これは難波の比売碁曾の社にいらっしゃる、阿加流比売という神である。)
さて天之日矛は、その妻が逃げたことを聞いて、すぐに追って渡ってきて、難波に着こうとしたときに、その海峡の神がさえぎって入れなかった。そこでまた引き返して、多遅摩(但馬)の国に船を着けた。そしてその国にとどまって、多遅摩の俣尾の娘、名は前津見を妻として生んだ子が多遅摩母呂須玖、その子が多遅摩斐泥、その子が多遅摩比那良岐、その子が多遅摩毛理、次に多遅摩比多訶、次に清日子。(三柱。)この清日子が当摩之咩斐を妻として生んだ子は酢鹿之諸男、次に妹の菅竈由良度美。そして先に述べた多遅摩比多訶が、その姪の由良度美を妻として生んだ子が葛城之高額比売命である。(これは息長帯比売命(神功皇后)の母君である。)そしてその天之日矛が持って渡ってきた物は、玉津宝といって、珠を二連、また波を起こす領巾、波を鎮める領巾、風を起こす領巾、風を鎮める領巾、また沖つ鏡、辺つ鏡、あわせて八種である。(これは伊豆志の八前の
大神である。)
意訳
新羅の沼のほとりで、日の光を受けた女が赤い玉を生むという話は、日光に感じて子を生む「日光感精説話」と呼ばれる型で、朝鮮半島や中国東北部の建国神話にも見られます。その玉から生まれた乙女は、ごちそうを作って夫に尽くしますが、おごった夫にののしられ、「親の国(日本)に帰る」と言って海を渡ってきました。
妻を追って渡来した天之日矛は、難波に入ることを海の神に阻まれ、但馬(兵庫県北部)に住みつきます。その子孫には、常世の国から橘を持ち帰った多遅摩毛理や、神功皇后の母の葛城之高額比売命がいます。神功皇后が新羅に渡ったことの背景に、母方の祖先が新羅の王子であったという伝承があるのは興味深いところです。
天之日矛がもたらした八種の宝は、風や波を操る呪力をもつ品々で、兵庫県豊岡市出石町の出石神社に祭られる「伊豆志の八前の大神」とされています。
語釈・文法注
- 天之日矛
- 新羅の王子。日本書紀では天日槍。但馬の出石神社の祭神。渡来した人々の集団の伝承を人格化したものとも考えられる。
- 阿具沼
- 新羅にあったという沼。
- 日の光虹のごと、其の陰を指したる
- 日の光に感じて身ごもる日光感精説話。高句麗の始祖朱蒙の誕生神話などにも同じ型がある。
- 赤玉
- 赤い玉。乙女に姿を変え、天之日矛の妻となった。
- 獄囚
- 「ひとや」。牢屋。
- 珍味
- 「ためつもの」。おいしい料理。
- 阿加流比賣
- 天之日矛の妻。大阪市東成区の比売許曾神社に祭られる。日本書紀では、都怒我阿羅斯等が追った童女の話として伝えられる。
- 難波の比賣碁曾の社
- 大阪市東成区東小橋の比売許曾神社。
- 多遲摩の國
- 但馬国(兵庫県北部)。
- 多遲摩毛理
- 常世の国から非時の香の木の実を持ち帰った人物(垂仁天皇の段)。
- 葛城之高額比賣の命
- 息長帯比売命(神功皇后)の母。神功皇后は天之日矛の子孫ということになる。
- 振浪比禮・切浪比禮
- 「ひれ」は女性が首にかける細長い布。振れば波や風を起こし、また鎮める呪力があるとされた。
- 奧津鏡・邊津鏡
- 沖の鏡、岸辺の鏡。海の霊力にかかわる鏡。
- 伊豆志の八前の大神
- 兵庫県豊岡市出石町の出石神社の祭神。八種の宝を神として祭る。
文法
- 原文の「菅竈上由良度美」
- 底本の原文は「菅竈上由良度美」と刷り、訓み下しは「菅竈由良度美」とする。
- 幣ひしつ
- 「まひ」は贈り物、賄賂。玉を贈って許しを求めた。
- いつも〳〵其の夫に進めき
- 原文は「恆食其夫」。いつも夫に食べさせた。
- 玉津寶
- 原文は「玉津寶云而」。玉のような宝の意。
解説
天之日矛の話は、古事記では応神天皇の段に「昔」の出来事として挿入されています。日本書紀では垂仁天皇の代のこととし、天日槍が八種の宝を持って来朝し、但馬に住んだと記します。播磨国風土記には、天日槍と葦原志許乎命(大国主神)が土地を争った話も伝えられています。
この話が応神天皇の段に置かれたのは、天之日矛の子孫である神功皇后が新羅に渡ったこと、そして応神天皇の時代に多くの渡来人が来たことと関係があると考えられます。玉から生まれた乙女が夫を捨てて海を渡る話は、上巻の豊玉毘売の話とも通じる、海の彼方とのつながりを語る物語です。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。221〜225頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日