古事記 中巻
渡来人と須須許理の酒
応神天皇の御世に、海部・山部などの部が定められ、新羅や百済から多くの人々が渡来する。百済の照古王は阿知吉師に馬を付けて献じ、和邇吉師は論語と千字文をもたらした。酒造りに通じた須須許理の醸した酒に酔った天皇は、歌いながら大坂の道の大石を杖で打ち、石が逃げたという。
- 1このこのこの御世御世みよににに、、、、、、山部山部やまべ、、、山守部山守部やまもりべ、、、伊勢部伊勢部いせべををを定定さだめめめ給給たまふふう、、、またまたまたののの池池いけををを作作つくるるる。。。またまたまた新羅新羅しらぎ人人ひとまゐまゐまい渡渡わたりりり來來きつつつ。。。是是ここををを以以もつててて建內建內たけうちののの宿禰宿禰すくねののの命命みこと引引ひききき率率いててて、、、堤池堤池つつみいけににに役役えだたせてだたせてだたせて、、、ののの池池いけををを作作つくるるる。。。またまたまた百濟百濟くだらののの國主國主こにきし、、、牡馬壹疋牡馬壹疋おうまひとつ、、、牝馬壹疋牝馬壹疋めうまひとつをををににに付付つけてけてけて貢貢みつぎりきりきりき。。。(((此此こののの阿知吉師阿知吉師あちきしははは阿直阿直あちののの史等史等ふみひとらががが祖祖おや。。。)))またまたまた大刀大刀たちととと大鏡大鏡おおかがみとととををを貢貢みつぎりきりきりき。。。又又また百濟百濟くだらののの國國くにににに、、、「「「若若もししし賢人賢人さかしびとあらばあらばあらば貢貢みつぎれとれとれと仰仰おおせせせ給給たまふふう。。。」」」かれかれかれ命命みことををを受受うけてけてけて貢貢みつぎれるれるれる人人ひと、、、名名なははは、、、卽卽すなわちちち、、、幷幷あわせてせてせて十一卷十一卷とおまりひとまきをををこのこのこの人人ひとににに附附つけてけてけて貢貢みつぎりきりきりき。。。(((此此こののの和爾吉師和爾吉師わにきしははは文文ふみののの首等首等おびとらががが祖祖おや。。。)))、、、名名なははは卓素卓素たくそ、、、またまたまたををを貢貢みつぎりきりきりき。。。此之御世。定賜海部山部山守部伊勢部也。亦作劒池。亦新羅人參渡來。是以建內宿禰命引率。爲役之堤池而。作百濟池。亦百濟國主照古王。以牡馬壹疋牝馬壹疋。付阿知吉師以貢上。〈此阿知吉師者。阿直史等之祖。〉亦貢上橫刀及大鏡。又科賜百濟國。若有賢人者貢上。故受命以貢上人名和邇吉師。卽論語十卷千字文一卷幷十一卷。附是人卽貢進。〈此和爾吉師者。文首等祖。〉又貢上手人韓鍛名卓素。亦吳服西素二人也。
- 2またまたまたののの造造みやつこののの祖祖おや、、、漢漢あやののの直直あたえののの祖祖おや、、、またまたまた酒酒さけををを釀釀かむことむことむことををを知知しれるれるれる人人ひと、、、名名なははは仁番仁番にほ、、、またのまたのまたの名名なははは須々許理等須々許理等すすこりら、、、まゐまゐまい渡渡わたりりり來來きつつつ。。。かれかれかれ、、、このこのこの、、、大御酒大御酒おおみきををを釀釀かみてみてみて獻獻まつりきりきりき。。。こゝにこゝにここに天皇天皇すめらみこと、、、このこのこの獻獻たてまつれるれるれる大御酒大御酒おおみきににに浮立浮立うらたけてけてけて、、、御歌御歌みうたはしけらくはしけらくわしけらく、、、須々許理須々許理すすこりががが 釀釀かみしみしみし御酒御酒みきににに われわれわれ醉醉えひにけりひにけりひにけり ぐぐぐ酒酒さけ 咲咲えぐぐぐぐ酒酒さけににに われわれわれ醉醉えひにけりひにけりひにけり かくかくかく歌歌うたはしつゝいでませるはしつゝいでませるわしつついでませる時時ときににに、、、御杖御杖みつえもちてもちてもちて、、、大坂大坂おおさかののの道中道中みちなかなるなるなる大石大石おおいしををを打打うちちち給給たまひしかばひしかばいしかば、、、其其そののの石石いわ走走はしりりり避避さりぬりぬりぬ。。。かれかれかれ諺諺ことわざにににももも醉人醉人えいびとををを避避そくるとぞいふなるくるとぞいふなるくるとぞいうなる。。。又秦造之祖漢直之祖。及知釀酒人名仁番。亦名須須許理等。參渡來也。故是須須許理。釀大御酒以獻。於是天皇。宇羅宜是所獻之大御酒而。〈宇羅宜三字以音〉御歌曰。須須許理賀。迦美斯美岐邇。和禮惠比邇祁理。許登那具志。惠具志爾。和禮惠比邇祁理。如此之歌幸行時。以御杖打大坂道中之大石者。其石走避。故諺曰堅石避醉人也。
現代語訳
この御世に、海部・山部・山守部・伊勢部を定められた。また剣池を作った。また新羅の人々が渡来してきた。そこで建内宿禰命が彼らを率いて、堤や池の工事に使役して、百済池を作った。また百済の国王の照古王が、牡馬一頭と牝馬一頭を阿知吉師に付けて献上した。(この阿知吉師は、阿直史らの祖である。)また横刀と大鏡を献上した。また天皇は百済の国に「もし賢い人がいたら献上せよ」とお命じになった。そこで命令を受けて献上した人は、名を和邇吉師といい、論語十巻と千字文一巻、あわせて十一巻をこの人に付けて献上した。(この和邇吉師は、文首らの祖である。)また手工業の技術者で韓鍛冶の卓素という者と、機織りの西素の二人を献上した。
また秦造の祖と漢直の祖、また酒を醸す技術を知る人で、名は仁番、またの名は須須許理らが渡来してきた。そしてこの須須許理が大御酒を醸して献上した。そこで天皇は、この献上された大御酒にすっかり浮かれて、お歌いになった。
須須許理が醸したお酒に、私は酔ってしまった。心を和ませる酒、笑いを誘う酒に、私は酔ってしまった。
こう歌いながらお出かけになったとき、御杖で大坂の道の中ほどにある大石をお打ちになると、その石は走って逃げてしまった。それでことわざに「堅い石も酔っぱらいを避ける」というのである。
意訳
応神天皇の時代には、朝鮮半島から多くの人々が渡ってきて、さまざまな技術や文化を伝えました。百済の王は馬を献じ、学者の和邇吉師(王仁)は論語と千字文をもたらしたといいます。これが日本に漢字や儒教の書物が伝わった始まりとして、後世長く語り継がれました。
鍛冶の卓素、機織りの西素、そして秦氏・漢氏の祖など、渡来人たちはのちの日本の産業や文化を支える氏族の祖となりました。酒造りの名人の須須許理が醸した酒に天皇はすっかり酔い、上機嫌で歌いながら杖で道の大石を打つと、石まで逃げ出したといいます。「堅石も酔人を避く」ということわざの由来を語るユーモラスな話です。
語釈・文法注
- 海部・山部・山守部・伊勢部
- 海や山の産物を納める部民。山守部は山林を守る部、伊勢部は伊勢の海人の部とされる。
- 劒の池
- 奈良県橿原市石川町の剣池(石川池)。
- 百濟の池
- 奈良県北葛城郡広陵町の百済の辺りにあった池とされる。
- 照古王
- 百済の第十三代近肖古王(在位346〜375)とされる。
- 阿知吉師
- 百済からの使者。日本書紀では阿直岐。「吉師」は朝鮮の官位の名。
- 和邇吉師
- 王仁。百済から論語と千字文を伝えたとされる学者。日本書紀では王仁。
- 論語十卷千字文一卷
- 孔子の言行録の論語と、漢字を学ぶ教科書の千字文。ただし千字文が作られたのは六世紀の中国(梁)で、年代は合わない。
- 手人韓鍛
- 「てひとからかぬち」。朝鮮半島から来た鍛冶の技術者。
- 吳服
- 「くれはとり」。機織りの技術者。
- 秦の造・漢の直
- 秦氏・漢(東漢)氏。渡来系の有力氏族で、機織り・土木・文筆などで朝廷に仕えた。
- 須々許理
- 仁番。酒造りの技術を伝えた渡来人。京都市の松尾大社などで酒の神としても語られる。
- 事慰ぐ酒・咲ぐ酒
- 心を和ませる酒、笑いを誘う酒。原文は「許登那具志・惠具志」。
- 堅石も醉人を避くる
- 堅い石でさえ酔っぱらいを避ける。酔った人には逆らうなという意のことわざ。
文法
- 原文の「宇羅宜」
- 「うらげ」。心が浮き立つ、浮かれる意。訓み下しは「浮立けて」と書いて「うらたけて」と訓む。
- 若し賢人あらば貢れと仰せ給ふ
- 底本の訓み下しは、天皇の命令を「」でくくり、その中に「仰せ給ふ」まで入れて刷る。底本どおりとした。
歌謡
須々許理が 釀みし御酒に われ醉ひにけり 事慰ぐ酒 咲ぐ酒に われ醉ひにけり
- 詠者
- 応神天皇
- 状況
- 渡来人の須須許理が醸した大御酒に酔って歌った歌。
修辞
- くり返し
- 「われ醉ひにけり」をくり返す。
- 対句
- 「事慰ぐ酒」「咲ぐ酒」を並べる。
解説
応神天皇の段の渡来人の記事は、日本に大陸の技術と文化がもたらされた時代の記憶を伝えています。日本書紀では、阿直岐が経典を読めたので、さらに優れた学者として王仁が招かれ、太子の菟道稚郎子の師となったと記されています。王仁は河内の西文氏(かわちのふみうじ)の祖とされ、大阪府枚方市には王仁の墓と伝えられる場所があります。
千字文は六世紀に作られた書物なので、四世紀後半とされるこの時代に伝わったとするのは年代が合いません。後世、漢字・漢籍の伝来を代表する書物として、この記事に結びつけられたものと考えられます。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。216〜217頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日